立法府が行政府を担って職場放棄?

南野(のおの)が何故、法務大臣?
 総理大臣てのは国会で選ばれるが、基本的に国会議員から選ばれる。三権分立の制度から見たら総理大臣は政府であり、行政のトップである。このあたりに矛盾が有るとの話は何回か書いた。議院内閣制は三権分立の憲法に反しているって僕は考えている。日本には二権しか無いのが現状だろう。にも関わらず、学校で「三権分立」を教える空しさに現場の教師が気が付いていないのが今の教育の問題点なのだが、今回はこれについては書かない。
 今回(2004年10月)の小泉内閣の組閣は別表にまとめて有るが「2004年内閣人事誰もあまり感心が無いようだ。
僕が一番気にするのは国会議員が順送りで大臣を務めて、一見、国の制度として合理的に見えるが、実は国会議員の税金私物化が議員内閣制度に潜む欠陥なのだって点。
 「政治と金」の話は長く生きていると記憶がドンドン蓄積される。僕が最初に聞いたのは、佐藤栄作総理大臣の造船疑惑かなぁ。子供だったので、社会人になってからシッカリ見つめたのは田中角栄首相とロッキード事件だった。
 立法府を担う国会議員が「税金を私物化する」ってことは長年の「当たり前」の流れだったのだが、誰もこれにメスを入れない。「鈴木宗男的な」って感覚は全ての国会議員にある。波田陽区の表現を使えば「アンタ、立法の人ですから、税金の使い方に口を出すのは権限外ですからぁ...残念」となるのだが、新しい憲法が出来て60年。政治家が税金の使い方を考えるってのがこの国の「常識」になってしまった。
 行政のトップに座るために国会議員になるのか? 実は官僚出身の国会議員は多い。行政府から行政府のトップを目指すために国会議員にならなければと考える官僚は多いのだろう。先の宮澤喜一首相だって官僚出だ。行政のトップは国会議員ってのは「常識」化しているのだろう。

別に個人攻撃では無いのだが
 南野(のおの)が何故、法務大臣?
に戻る。そもそも、法務大臣てのは法の執行を担う行政の最高峰だ。死刑実施の署名(指示)を行うのが法務大臣だ。人が人を殺害する事象を民主的制度に融合させるのが法務大臣の責務だ。
 罪をあがなう方法を公的に認知された制度にするのが法務だ。そもそも「法務」ってのが必要になるのは、国を運営する(行政)には罪と罰を定義しないと何が国家の方向か解らないからだ。しかも、法治国家であることが租税徴収等の律令の基本でもあり。法が無かったり、守られなかったりしたら「失敗国家」の烙印を全世界から押される。その意味で、国際的には外務大臣、法務大臣、防衛大臣は高い国際見識を持った「専門家」を必要とする。国会議員の持ち回りでは官僚支配の温床でしか無い。
 で、法務大臣てのは何を「行政執行官」として担っているのか考えてもらいたい。「死刑執行」に署名し、実施させる手順の要が法務大臣だのだ。世の中には公文書が無くて死亡する人がほとんどだが、法治国家では人間による「殺し」は唯一、法の執行によって合法的になされる仕組みが存在する。
 で、先に開いた10月の内閣改造での顔ぶれを見てもらいたい。皆さんそれぞれお歳を召しているが、何を経験し、何に考察力があり、どの勢力が選挙基盤なにかを考えてみると、この顔ぶれは森前総理大臣が怒り狂う訳も分からないでもない.

人数が多すぎるし「取ってつけた役職」
 最初の閣僚名簿から「内閣府特命担当大臣」ってのが多いのが気になる。が、ましかし、省庁の枠を超えた調整が必要な場合の「内閣府特命大臣」なのだろうと思うが、それにしては兼務が多い。「特命」なのだから一生懸命やってくださいって専任なのかと言えば、兼任で単なる肩書き看板でしか無いだろう。なんで、特命を兼任するのかまったく訳が分からない。唯一「あまり、一生懸命やらないで」ってメッセージが潜んでいるのだろうとしか考えられない。
 省庁統合で大臣は減ったかと言うと、次の表を開いて欲しい。副大臣人事。これも正直言って肩書き看板だろう。行政の実務には程遠い経歴の方々で、ポスト与えておけば喜ぶからって官僚に舐められ切った副大臣制度ではないのか。せめて、担当大臣のブレインとして国会議員以外から行政の要として担当大臣が選択してはどうなのか。それとも行政ってのは職務を求められない機構なのか。まったく、あきれかえってしまう。
 で、ついでだから(笑い)つぎの政務官人事も見てもらいたい。こんなに国会議員がポストを占めて、行政が円滑に機能するのだろうか。唯一、口出しをしなければ行政が円滑に機能するような気もするが、こんなに肩書きバラマキなのが今の行政のトップと位置づけられる「内閣」なのだ。
 何を考えているかと言う以前に、何も考えていないのだろう。マスコミの多くは内閣大臣にだけ着目するが、もっと、行政って視点から内閣人事に言及すべきだろう。
 総勢66名が、立法から離れて行政に横滑りしてる。これで正常な立法府の機能を果たせるのか? はなはだ疑問だ。そもそも、「立法府を担う」と宣言して立候補したのに、行政府にスライドするのは公約違反ではないのか。
民主党の元代表の官直人氏が年金不払いだったのは、当時の厚生大臣になったので国会議員から行政府に身分が変わった。その時の事務処理の不備と本人は言うか、国民に隠された「立法府から行政府への、本人の勝手な移籍」の矛盾なのだ。
 ここに、日本の国会議員が立法府の職務を果たしてない元凶がある。自民党も66名も行政府に出して「立法府の政党」としての職務を果たせるのか。答えは「そんな事、全然考えてない」だろう。だから駄目なのか。

大阪大学医学部附属助産婦学校卒業
 オーム真理教にも医者が入信してたから良いのだけれど、医学系の哲学と法務系の哲学って人間として志を異にするのではないのか。絶対避けられない死に対して挑むのが医学だろう。もちろん、避けて通れないことを知りながらも挑んで行く。かたや法務は概念の世界だ。個々の「患者」に着目するのでは無く、概念としての社会、集団に着目する。その意味で個別対応の医療とは志の立脚する場面が違う。
 にも関わらず「南野法務大臣」かぁ!
 68歳の年齢を重ね、自分の人生で為してきた事を振り向くと、そこの先に「法務大臣」があるとは思えない。そもそも、何を目指して国会議員に立候補し、当選したのか。単なる支持団体からの担ぎ上げだったのか。疑問以前に「志が何処にあるのか」って単純な疑問をぶつけてみたい。
 「良識の府」なんて自画自賛している参議院だが、それにしても南野法務大臣って采配を受け入れる参議院は「良識」なのだろうか。異常ではないのか。
 「役不足」って言葉がある。正しくは「私の役柄から考えると、不足なキャスティング」って意味なのだが、結構誤解されていたりする。「私では役不足で勤まるかどうか」なんて発言を謙譲だと思って使っている人も散見される。ま、南野法務大臣のポスト就任は「役違い」だろう。「あんた、医療関係者ですから、死刑執行する役は出来ませんからぁ」って常識が何故か通用しない南野法務大臣就任ってことだ。
 論理的説明は簡単だ、「志が無いのだ」。
 もう、小泉首相の最大の嘘吐きは「総理大臣の直接選挙」をまったく忘れた健忘症。まったく、なんなのだ。日本の政治制度の問題点は総理大臣が行政を担う構造欠陥にある。だから、政治と金とかなんとか言う前に「構造改革」なのだが、小泉純一郎首相は、自分の利権に気が付くと現状肯定の立場に終始する。
 再度繰り返すが、立法府のトップが行政を支配している今の日本は政治制度が発展途上なのだ。だから「改革」と叫びながら、何もしない小泉純一郎首相は戦略的行動なのか、恍惚の人なのか。
 森田健作が演じる「打ち込め青春」の青春ドラマが、3年で「恍惚の人」になった、今回の小泉組閣人事だった。
「アンタ、三権分立を解ってないですからぁ...残念!」

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2004.10.26 Mint