公的資金と経済

公的資金って用語が誤解されてる
 経済の根本の原理が説明されずに、公的資金の利用の是非が語られてあきれてしまう。
公的資金の利用は国民が政治を政治家に預託すると同様に政治に公的資金を預託しているのだから、十分効果的に使ってしかるべきである。どうも、最近の政策決定は「世論の動向を見て」ってフレーズが多用されている。「世論の動向」は「住民投票が陥る罠」の項で述べたように諸刃の剣である。政治が「世論の動向」を参考にするのなら解るが、これに左右されていては国民の代表だることを忘れた欠陥政治家のよって政治が運営されていると言わざるを得ない。
 再度繰り返しになるが、代表民主制と言うのは当事者間で調整不可能な国益、広くは人類益に帰する問題を真摯な真剣な論議を重ねて代表者に解決を預託する制度である。しかるに、預託された当人が「どうして良いか解らないから、世論の動向により判断する」のでは、なにおかいわんやである。
 また、事象を正確に伝えるコミュニケーションも稚拙である。そもそも、解っていない人間が解っていない人に説明出来る訳がない。前の脳死法案の審議でも書いたが、判断する立場に無いのなら早急にギブアップすべき(解散総選挙)である。

経済って何? 不況って何?
 日本は経済大国になったと言われるが、この場合の「経済」は何を表しているのだろうか。日本の教育の欠陥はカリキュラム毎に用語の用法が違う点である。国語では経済とは富の蓄積を表す。その意味で「経済大国」とは「金持ち国家」と同義語である。かたら、社内の経済学では「経済」は流動する価値を表す。この解釈から日本が経済大国という意味は、日本が世界経済に及ぼす影響が大であるとの意味になる。
 日銀特融はセッセと紙幣を印刷して配布する行為だから、国内では江戸時代の藩札印刷となんら変わらない効果しか生まない。もちろん他の藩(貿易)から見て価値が下がるのは(円安)必然である。公的資金は紙幣の印刷と根本的に違う。すこし、経済の仕組みを勉強してみよう。
 紙幣とは何か、一言で言えば「物の価値を判断するスケール」である。では紙幣の価値とは何か、それは、物の価値が不変でないと同様に、物の供給量と紙幣の供給量で国際的に決まる。
 ここで重要な事は、経済規模は紙幣の(価値の)総流通量で決まる点である。
 市町村の中にも経済活動が活発な市町村と沈滞している市町村が有る。この違いは、かたや金持ちであり、かたや貧乏なのでは無い。経済活動が活発な市町村は紙幣の(価値の)流通が頻繁な地域であり、沈滞している市町村は紙幣の(価値の)流通が沈滞しているのである。必ずしも、住民の貯金量なんかでは無い。価値の流通頻度が高くなければ景気は悪いと言える。
 つまり、経済とは富の蓄積ではなく、価値の流通であり、好景気とは価値の流通の活発な状態を言う。逆に不況とは、アジア諸国の貨幣価値下落による構造的不況を別にして、日本について言えば、価値の流通の不活発状態である。  金融機関は不良債権と言う「貯蓄」を抱え、国民は不況に備え「貯蓄」を抱え、市場に出回る価値(紙幣)は、ドブ川の淀みのように滞留する。これを打破するために、公共事業を打っても、規模の大きな淀みにしかならないのは自明である。
 経済は価値の流通で成り立っている。価値が流通しなくなると、いわゆる不況と呼ばれる状態になる。これが大原則である(工業力に不安の無い日本やアメリカそしてロシア等先進諸国については、この法則が成り立つと僕は考えている)
 公的資金の金融不安への投入は、実は、淀みの解消として、詰まっている汚泥を洗い流す効果がある。

パイプの詰まりは公的資金で除去
 戦争では「取り戻せない時間」が雌雄を分かつことになるが、55年体制の崩壊からバブルの崩壊そしてその後始末まで、我々は取り戻せない時を無為に過ごしてきた。まさに、政治に決断力が無いが故の無策時代を過ごしてきた。
 初めは些細な淀みを発生させる突起であったのが、やがて流れを止める土手のようになり、その間一生懸命溢れるのを防止しようと土嚢を積み重ねてきた。しかし、この淀の源である土手の最下部に小さな流出穴をあければ、土手は自然に水により削り取られ崩壊し、流れは基に戻る。
 何故、これが出来ないのか。実は、責任を追及し、罪人を処罰する風潮にいまひとつなっていないからと言える。淀みのなかで白日に晒されずに済む間に自分の定年が来るのをひたすら待つ。そんな経営者が多いからである。山一証券なんかは、まさに逃げ切った経営者からバトンタッチした社長の不幸とお悔やみ申し上げたい。
 マーフィーの法則に「危機に接して、動揺しない人間は、誰に責任をとらせるか、決めた人間である」てのが有った。まさに、バブル後の再編成は経営者が逃げ切ったと思うまで続いたってことであろう。自分の人生の尽きるまで隠し通す。そんな「日本的」土壌は通用しない。戦後のベビーブーマー世代の特質は横並び無責任であることが明らかになって来ていると言ったら言い過ぎであろうか。戦後52年過ぎて反省してもしょうがない。全国民の過半数がこの教育制度から育っている現状を噛みしめて、個々の問題として考えるべきであろう。
 最後の選択しである公的資金は、有効に使われれば、日本経済の活性化をもたらし、公的資金の回収も可能である。がしかし、局地戦で乗り切ろうとしたら、もはや再生の道は無いかもしれない。
日本には既に黒船も来なければ、経済進出主導の戦争も無い。外圧によるリセットは利かない程世界で占める地位は高くなった。この後問われるのは、外圧によらない自ら決断する自律した国家であろう。そのためには、何時までもモラトリアムに先延ばしする風潮を改めなければならない。

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1997.12.02 Mint