青函トンネルとエア・ドゥ

青函トンネルとエア・ドゥ
 正月休みをどのように過ごそうかと思っていたのだけれど、結局早起きしてたまっていたビデオの中から数点、そして、深夜等の放映の留守ロクしたビデオを何点か鑑賞した。もちろん、このあたりは早朝家族が寝ている間に一人で見たものである。
昔、まだレコードの時代に石坂浩二なんかのナレーションのレコードがブームになった事があって、例えば浅丘ルリ子の「レモンティは...」なんて語りがあった。
これって、ヘッドフォーン文化で、一人で深夜(とは限らないが)と言う限られた世界で聞く事により絶大なエフェクトをもたらすものだった。
僕の信念として「映画は一人で見る」がある。ま、性格なのかもしれないが、二人以上で映画を一緒に見ると「仕切って」しまうので、僕自身としては楽しめない。その意味で、映画の監督から発せられる、もしくは出演者から発せられる作品に込められたメッセージに触れるためには、一人で見るのがお勧めとなる。
 映画「海峡」は、僕にとって邦画ベストテンの中でもランクの高い作品である。既に何処かで書いたかもしれないが、全国の血液センターへシステムを展開していた時期に熊本の映画館で見た。当時、単身赴任で日曜日と言えば(当時は週休二日制では無く、土曜日も午前中半日は勤務であった)パチンコで散財するしか無かったとある日曜日、ふらりと入った映画館で見た。
原作本では持田豊を主人公にした「青函トンネル」が有るが、この映画は3代の男(満州で炭坑堀していたトンネル男の森繁久弥、戦争の特攻隊に間に合わず京都大学で地質学を専攻し国鉄に入社した持田をモデルにした高倉健、両親を洞爺丸で失った鉄建公団一期生の成瀬こと山口百恵の旦那(名前なんだったっけ))を中心に、風の竜飛で生活する吉永小百合、単身赴任の高倉健の妻とを織り込んだストーリである。
が、そこに描かれている「主役」は国家プロジェクトであり、政治に翻弄された「青函トンネル」である。そして、技術の粋を集めて、ついに北海道の風を本州に抜けさせた一大プロジェクトの物語である。
前人未到の偉業を成し遂げるには、自らが道を拓く、そして、それを人が道として利用する。そんな先人の努力と苦しみを描いている。 がぁ!

技術の成功、失敗は自画自賛
 実はこの映画を技術の苦悩と勝利と思っていままで見ていた。今年の正月に見ていて、ちょっと待てよって部分を感じた。それは、この映画の内容の話では無く、青函トンネルの予実の話である。
予定では2000億円で完成の計画であったが、実際は8000億円もかかっている。4倍である。(もっとも、計画段階の昭和31年の物価と、完成時の物価を比べると、4倍は許容範囲かもしれないが)難工事であるが故の停滞による損失も有った。
もう一つ大きいのは経済波及効果である。トンネルは出来た。がしかし、それが生み出す経済波及効果はどれくらいであろうか。既に時代は500km以上の移動には航空機が有利となっている。昭和31年頃のDC−3による三沢を経由した千歳−東京ルートとは雲泥の差で、ジャンボ・ジェット機が1時間で千歳ー羽田を500人乗せて結んでいる。
技術的には成功した「青函トンネル」ではあるが、それが、国家プロジェクトであるが故に背負わなければならなかった「国民の利益」をどれほど果たしたであろうか。
映画に描かれているように、「掘れて良かった」で良いので有れば、それはそれで良いだろう。がしかし、なんか違うような気がする。

日本に必要なもの、北海道に必要なもの
 北海道のマズイ所は中央を動かして「北海道開発」が日本の国家プロジェクトのように「化粧」し続けたことであろう。そのために、税金を使う補助事業には「日本に必要」の作文が盛り込まれている。もちろん、それこそが補助事業の予算獲得のテクニックだろうが、ちょっと待って欲しい。
北海道に必要なものは何かが北海道に住んだ経験も無い霞が関の役人に解るのだろうか。北海道の歴史はたかだか120年。日本の発展の礎(いしずえ)として、日本は北海道に投資してきたつもりかもしれない。がしかし、今、実現してるのは「日本の妾としての北海道」である。
もっと強烈に言わせてもらえば「土建屋の北海道」である。何も言わずに落ちてきた公共事業を喰っていれば良い。そんな北海道になりさがった。それが、自分達に続く子孫のプライドをいたく傷つけようが、今が良ければ良い。そんな北海道を作った戦犯は、間違いなく「町村」である。
戦前の知事は内閣の指名、その制度をコピーするような人間を北海道に持ち込み、知事を歴任した人間が牽いた線路は、上記の日本に必要な北海道路線の作文である。政治的に革新政党に知事を握られて、その巻返しに建設部を開発局にしたり、知事をラッカサン的に送り込んだり、与野党の戦場であった北海道が建設的地域の発展論議よりも右か左かのイデオロギーに振り舞わされて何も残さなかった時代。それが、昭和20年代だったのだろう。

自主、自立の北海道
 ま、今の知事の堀さんには林務部の課長の時に合っている(本人は忘れていると思うが)が、「自立の北海道」を「自律の北海道」と名言してもらいたい。知事が国の政策とは違えて勝手に北方4島を「国境無き経済圏」宣言して良いのです。
東京によらない独自性を目指すべきです。「人が歩いた跡に道は出来る」。
知事は行政のトップであると同時に、北海道道庁株式会社の経営者でもあるって視点を持って貰いたい。残念ながら役人出身のトップにはこれが出来ない。調整能力には長けるが、新規事案への取り組みには経験不足なのだ。
 自律は現在の延長線上には無く、新しい事業方向に向かわなくては現状を改革できない。まさに、人が歩いたところに道は出来るのであって、誰かが歩いた跡を辿っていても自律はできない。

民間登用をもっとすべき
 北海道庁の情報化はわかりますけど、他の都道府県と同じになりたいと思って、下手なページをあげて、それで、すまされては困るのですよ。あの、情報の無い北海道庁のホームページは役人の感覚でしか無いです。
「AllーHokkaido」の集団を作っていくための具体的リーダーシップを職員に求める発想は課長の発想ですよね。
幹部職員を全部民間に出しなさい(天下り組織に、ではなくて)役人感覚の職員は排除です。
とまぁ、ここまで書いた段階で年が明け、恒例の挨拶回り。
たしかに道庁職員の間にも自己批判と言うのか、上司批判と言うのか、いわゆるサムライが育ってきている。ま、このサムライは全部ぶち壊してしまうのか、新しい何かを産むのか未知数だが今の所は道庁職員専用酒場でくだを巻いている程度だが。
考えてみて欲しい。
イデオロギーの対立の実験場であった時代の遺産を。結局、共産主義が崩壊したのは共産主義では人間個々が持つ良い意味での「なりあがりたい」が権力欲に帰着する事実。政治的イデオロギーが無い資本本位制度(間違っても、組合の委員のような「資本主義」なんて用語は僕は使わないのだ)では、何かを生み出し、それで人類を豊かにした者が賞賛される。
しかし、公僕たる北海道の自治体労働者は何を目指して来たのか。権力じゃねぇのかぁ。
階級闘争じゃねぇのかぁ。
ばかばかしい。そやって官主導で階級闘争社会を北海道に築いて、何も残らなかったのですよ。
貧しい時代ならいざしらず現在の日本で未だに階級闘争やっている公僕は不適格なのだからスポイルすべき。年間500万円の持参金を付けて民間放出すべきですよ。少なくとも道民の納める税金がイデオロギー闘争の資金源である時代は20年くらい前に終わったのだから。
道庁の運営を林務部の課長に任せるには、兎の今年は耳の強化。民間の知恵を聞く堀知事になってもらいたい。でなければ、サムライの過激な行動で全てがタイセイ奉還に向かう。

団塊の世代のつけを清算する
 ま、戦後のベビームーブの頃の世代は今日本の中心から離れようとしている。昭和20年生まれが53歳を迎えているのだから、ほとんど、定年直前である。その世代が残した物はまさに、今の日本の抱える「日本らしさ」である。一つは国際感覚の欠如であり、一つはアメリカ標準を世界標準(デファクトスタンダード)として疑わない盲目である。 結局、同一世代の多い供給過剰の世代は、生き残りを賭けて競争するだけが人生の目的ではなかったのだろうか。そして、生き残った強者の論理は残ったけれど、決してそれは人間的な論理では無かった。「なりあがり」の論理で世の中を動かしていたのであろう。
「共生の社会」なんかは、その後の世代が主張しているのだから。
まさに、ベビーブーマの世代の遺産(遺跡)として青函トンネルは有るのかもしれない。映画で描かれた人間模様、実は既に風化が始まっているのかもしれないい。

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1999.02.14 Mint