青少年犯罪は増加しているのか

少年の実名が流れている
 最近は立て続けに17歳の少年による凶悪犯罪が起きているので、老夫婦宅襲撃を(a)、西鉄バスジャックを(b)と呼ぶことにする。(a)については高校名と本名が既にインタネで公開されてしまっている。(b)については今朝の事件で(何故か、徹夜してしまった)まだインタネは調べてないが、報道によると両者「成績優秀な少年」だった時期があるとか。
 僕が興味があるのは「青少年犯罪が増えている」との発言に接する時に、昔と比べて本当に増えているのかを納得させうる根拠情報。「いやいや、あんただって宮崎務と酒気薔薇聖徒とか知ってるでしょう」と言われそうだが、そんな印象批判で若者を語ることをよしとしない性格なのだ。
 昔の青少年の行動範囲を考えれば、今、マスコミで扱われている事件の多くは「常軌を逸した、考えられない程凶悪」となるのだろうけど、人間は何時の時代も17歳は17歳たる同じ価値観で生きているのだろうか。
僕は全然違うと思っている。今の17歳を昔の、例えば10年前の17歳と比較して分析することの意味を全然感じない。それは、年齢にだけ着目し、時代背景を無視した乱暴な統計分析だから。小学館ですら「小学1年生」の内容は時代とともに編集方針が変わっているのに、馬鹿な評論家は10年前の17歳と今の17歳を比較して、したり顔をテレビでコメント(コメンテーターって言うのか? あの馬鹿な場繋ぎ人間達は)している。
 年齢層による分類で「青少年犯罪の昨今」と語るのは時代背景を無視した暴論になるってヒョーロン家は気が付かないのだろうか。

青少年犯罪は増加していない
 殺人とか、いわゆる凶悪犯罪は少し置いておく。後で述べるが犯罪のいわゆる凶悪化は時代の流れであると思う。詳細は後述する。ここで大事なのは教育関係者の多くが叫ぶ「青少年犯罪は増えている」の真偽である。たしかに犯罪白書なんかでは増えている。これを根拠に「増えている」と信じてやまない人々が多いのが気になる。
統計数値を主張の論旨にする割に、統計分析に不自由な方々と同情はするが、あまりにも「言質取った」みたいに勝ち誇って「少年犯罪は増えている」と叫ぶ方々のデーターを疑う事を知らない思考構造にまいってしまう。
 数値を知りたい人はここに例があるが、この不自然な増減はサンプル(青少年)に起因するのでは無くサンプル抽出の意図が反映されたものなのだ。
 実は、少年犯罪の統計で現れる件数の増加は「警察が変わった」要素を加味しなければならない。
警察ってどんな組織と思われているのだろう。石原軍団の駄作「太陽に吠えろ」(これって、借金までして作った「黒部の太陽」のパロディと僕は思っている)に描かれる刑事かもしれない。また、僕が最高のテレビドラマに押す「特捜最前線」の二谷英明氏のようなものだろうか。実は日活で二人が競演した事は多いのだけれど、僕は「零戦黒雲一家」ってどうしようもない映画が何故か好きだ。最後の戦闘に挑む悲愴な彼ら二人、2機のゼロ戦に島の子どもが「バカヤロー」って言って手を振る。この言葉が日本語で最高の褒め言葉だと現地に駐留した日本兵隊が教えたものだから、この少年はそれを信じて叫ぶ。その悲しさがラストシーンを構成している。このシーンがたまらなく好きなのだ。
 おっと、話が逸れた。

警察組織の目指すものは警備マン
 なつかしついでに話すと、「赤いシリーズ」で有名になった宇津井健は昔「ザ・ガードマン」って番組に出ていた。一部「特捜最前線」とダブルが警備を中心にした事件簿であった。
事件の背景には人間の情がある。これは当たり前のことであって、TBSで言えば「七人の刑事」、NHKで言えば「事件記者」あたりで描かれている。
実は警察は「刑事事件対応」の機能だった。ところが、70年安保の時代から、警察は「事件の未然防止」に力点を置いてきた。何故なら、過激派のローラー作戦を含めて、市民の安全を担うには市民の前を走りながら障害を除去するのが良いと考えていた時代の経験を生かしているのだ。
 今年は沖縄でサミットが開催される。昔は東京でサミットがあった。その時警察は犯罪防止を旗印に徹底的な「防止」戦略で挑んだ。話は過去に遡るが、連合赤軍が浅間山荘に立てこもった事件あたりから、警察は「事件」の未然防止こそが警察の役割と信じ、これに積極的に邁進してきたようだ。
 それが500名も居ないキャリア組の「方針」で、それが20年前から続いている。
で、新潟県警の不祥事を出すまでもないが、組織が「防止」に力点をおく余り、「今、目の前にある危機」に目が届かない組織になってしまったのだ。
これを僕は「刑事無き警察、全員ガードマン化した警察」と呼びたい。犯罪の目を摘むのが目的の警察機構が辿った道は50年も前の歴史を勉強すれば解る。今の警察はまさに、あの時代の「事前防止」を名目に権力を振るう機関になり下がったのだ。

少年犯罪の検挙件数は確かに増加している
 ニューヨークとかアメリカ全般の犯罪とその検挙率をあげて日本の警察の優秀性を語る場面がある。しかし、犯罪検挙は基本的人権養護とスレスレの問題である。短絡的だが、アメリカの検挙率の低さは「人権重視」の結果であり、日本の検挙率の高さは「人権無視」故との極論も言える。
 さて、青少年の犯罪は増えているのか? に戻る。結論は青少年犯罪の実態は昔と同じ、但し統計の採り方が変わった。なのだ。
 多少「格好良い青春」を送った者なら「補導員」に代表される「我らが敵」を良くご存じだろう。抜き打ちで干支を聞いてくるワケワカメな奴だった。昔は少年の軽微な犯罪は「補導員」が対処した。そのため犯罪として立件されていない。当然統計数値にも乗らない。
青少年犯罪の犯罪別統計を見ると「横領」なんて犯罪が他を圧して増えている。別に少年が役場の窓口で公金をちょろまかした訳では無い。放置自転車の乗り逃げである。これを警察が横領として立件するようになったから青少年の「横領犯罪」が増えているのだ。放置自転車が増えているって背景もあるが、少年の犯意が増えたわけでは無い。
 警察は「刑事機能」を過去の遺物と考え「警備機能」を重視した戦略をたてた。でやってることは東洋警備保障と同じ警備。警察が持つ「捜査権」なんか古畑任三郎に委せて、ひたすら事件を防止するのが警察の使命だと勘違いしている。
だから「隙ができる」
日本くらい「核の抑止力」の恩恵を得た國はないのだが、自治省管轄の警察も犯罪捜査よりも事前抑止に走るのはいかがなものか。
 結局、検挙率が上がっていることが「犯罪が増えている」ことにはならず、検挙率は警察の恣意的「方針」に左右されるって統計的事実を踏まえて物事を判断してもらいたい。
キャスター「少年犯罪は増えていますか」
評論家  「あ、グラフを用意しました」
キャスター「なるほど増えていますね」
なんて会話は、もうもう「馬鹿は死んでも直らない」なのですよ。
日本の高い治安は「疑わしきは検挙」によるとしたら、それって、国民合意の産物なのだろうか。国民は「おかみ」にそこも含めて「実質的に」委ねているのだろうか。
 結論:青少年犯罪は昔と比べて増えている。それは事前検挙方針の警察の統計に現れている。がしかし、事前検挙がもたらす弊害は予測しえない犯罪は防げないってこと。そこに今回の双方の事件の背景がある。
 100万の民の人権を殺しても生かすべき治安があると僕には思えない。
自己責任社会は「少年犯罪が増えている」と言った他人の意見の丸飲み馬鹿が多い社会では実現しないだろう。鳩山由起夫さん、解ってるのかなぁ? 警察機構の豹変に留意してね。