もうもう許せないマスコミの不勉強

「軍隊」てのは武力集団なのはしょうがない
 なんだかなぁ。「えひめ丸」の話しはマスコミでは扱いが変。やっぱりジャーナリズムをテレビは別物なんだなぁって感覚を得た。このあたり田原総一朗さんが結局なし得なかった夢で、ジャーナリズムはマスメディアを利用しようとして、ことテレビに関してはジャーナリズムの負け。昭和30年代の「電気紙芝居」が実は正しい判断だったのだ。
「テレビは物を売るために有るんだ」って言葉は民放の活動としては正しい。その方針があるのなら、ジャーナリズムなんて民放では存在しないのだから、早々に切り上げれば良い物を、ま、田原さんもそうだけど「俺が民放をジャーナリズムの権化にする」とか、いきがってしまってねぇ。
 そもそも田原さんは民間企業ではすっかり定年の年齢でしょうが。亡くなった奥さんに支えられてるのかもしれないが、その「舌鋒」は日増しに落ちている。「平成日本の官僚」を書いた人とは思えないほどご老人である。
 ま、そんな個人攻撃をするつもりはないが、最近のテレビ(なんで、新聞すらテレビに引き回されるのかなぁ>朝日新聞)を見てると「えひめ丸」を衝突沈没に至らしめた原子力潜水艦の艦長の言動に注目し過ぎである。


軍隊は武力行使機能の最高潮に達したもの
 馬鹿じゃないかと思うのは、一般の交通事故と今回の事件の環境の違いが分からないマスコミの主にディレクター。民間人を乗せようが、所詮、「軍隊」って制度で運営されてる本質を知らない馬鹿が番組を作っている。日本には軍隊と呼ばれるものは憲法上「読売巨人軍」以外認められていないようだが、諸外国では「軍隊」はあたりまえの国防上の機能。そのことを教育されなかった教育の欠陥で育った世代が今テレビ番組を作っている。その証左が「えひめ丸」報道である。まったく、ここで物を言わなければ日本は何処に向かってしまうのだろうか。
 法治国家と言っても、所詮平治のこと、軍隊ってのは国際法上認められている国の主権を守る機能である国防権行使の手段である。ある意味では軍隊は国内の民法の制限を受けない組織なのである。その理念が「国防」に立脚する故に、「国」が無くなるような事態では「国の存続」を最優先にして機能する。だから、目的達成のために民法上のあらゆる制限に優先されなければ、その目的は達成出来ない。たとえ民間人を同乗させてのデモンストレーションであったとしても、国防の理念の元、日々の活動が容認されてる軍隊の国民認知の立場に立てば、行為の全てはアメリカ国民の総意を得たものであると(公的に)考えるべきである。
 つまり、アメリカは自国を守る(それが、政府として当然の行為であるが)ために軍隊を持ち、これを日々国防のために訓練(活動)させているのだ。その流れの中で起こった事件だったのだが、背景認識は説明されずに、交通事故では無く国家の危機管理対象だと騒ぐのはいかがなものか。それを「あれは事故でしょう」って言う森首相にどこまで認識があるんか知らないが。
基本的に「国防」は現在の独立国家形態を守るために必要な機能である。「いやいや、国家なんて概念じゃなくて、私の財産を破壊されたく無いのだよ」って考えが「国家なんて侵略されても、降伏すれば我々の生活は安泰じゃない。なのに自衛隊って戦って地域を荒廃させるだけじゃない」って意見に発展する。それもこれも「軍隊」って組織と、それを国家の機能として持つ事に考察が無いのだ。ただ、イデオロギーの概念の世界で自衛隊を語り、自己中心の「悪い個人主義」の論理しか無いのだ。

守るために果たす犠牲
 僕は宮崎さんの書いた「風の谷のナウシカ」が好きだ。ここで描かれてるのは平和ボケした日本人には解らないかもしれないが、「守るために戦う」って姿勢だ。実は我々も日常生活で「守るために戦う」ってことは体験しているのだが、それを具体的に認識する場面に出会う事は少ない。
 10年も前になるだろうか、「風の谷のナウシカ」のテレビ放映と同時進行でチャットをしていた。今は無いPC−VANのパソコン通信であった。そこで、ラストシーンの話しになった時に僕が「自己犠牲の勇気って難しいよねぇ」ってチャットしたら、「戦って死ぬことが、自己犠牲なんて美談になるのは宮崎さんの主旨じゃないだろう」ってレスがあった。
 ま、彼か彼女か解らないけれど、こいつに日本を託したいとは思わなかった。自己の生命を掛けてでも守らなければならないものが有るって事も有る(回りくどい言い方だが)ってことを忘れてはならない。そのために国家として成り立つために「国民、国土、主権」が確立されていなければならないのだ。その意味で「主権」を守るための手段としての「国防」をもっと意識して置かねばならない。
 そして、国防に携わる人々、「命を掛けて守る」を職業としている人々に理解を示さなければいけない。つまり軍隊とは特権階級なのだ。それが「のさばる」なら軍国主義国家であり、極端に抑制されたらな「国防機能」の無い国家になる。
 とまぁ、その認識が報道する側の底辺に有っての報道なら納得もするが、なんだかなぁ、紋切り型のワンパターン。これで良いとするディレクターが今の報道を仕切っているのは恐ろしい。

米国では「軍隊は国家として必要な機能」
 アメリカは日本のように自衛隊をイジメしてれば良いような国家では無くて、常に世界の何処かで戦争している国だから軍隊は意識高揚しておかなければならない。そのために、日本人の感情と違っても米国の国家の大義名分を優先することがあるだろう。それを文化摩擦と呼ぶ人もいるが、基本的に「国家感の違い」だろう。
 中央政府しか行えない機能は国防と外交である。他の機能は地方に分散しても良い。だが、日本は「国防と外交」については民族的に不勉強で、特にマスコミがオピニオンリーダだと思われているので、マスコミの不勉強が国民に蔓延する。
 小樽に米軍の空母が来たときに見たのだけれど、国家財産として空母を守るマニュアルは完備していて、あの狭い小樽港に9機ものヘリが飛ぶのは、国家財産である空母を養護するとともに米国は国防に軍事力の行使を捨てていないデモンストレーションだろう。
軍隊が間違って人を殺す。それは社会機構の中で軍隊に科せられた任務と比較すると許される部分じゃないかとあえて問題提起をしておこう。そもそも「人を殺す機能」を社会の中に組み込まなければ国家としての「主権」が無いのだと考える国なのだ。で、それは99%まで今の国際社会では是なのである。そこを踏まえて報道してほしい。「日米の文化の違い」なんて言葉を軽々しく使ってもらいたくない。


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2001.03.15 Mint