利益のために従業員を平気で切る。こんな経営は「株主支配の会社」としか呼びようが無い。株主は当然短期的な利益を経営者に求める。それが出来ないなら株主総会で経営者を入れ換えることが出来るのだから。ここ10年の日本はアメリカ資本が流入している事もあり、株式会社もアメリカ的な「株主本位の株式会社」に変わりつつある。がしかし、ちょっと待ってよ。それが、今の日本の経済の先行きを見えなくしているんじゃないか。雇用の不安が全ての消費活動を停滞させている。セーフティネットとかの話しでは無い。日本の企業はアメリカ的な「株主本位な経営」をするのか、それとも独自の経営理念を持つのか、それぞれの企業の従業員が経営者の意志先送りににより、対応を決めかねているのだ。
不安に備えて金を貯めるの最良の防衛策である。日本の企業がアメリカのように「利益至上主義」になってくれるなら株を買っても良い。がしかし、日本の経営者すら迷っているのだろう。だから当面、貯めておくのだ。
人も原材料と同じ「人材」として考えるのか、企業は人なりと考えるか、多くの上場企業の経営者が意識を明確にしていないのが消費の停滞を起こしているのだ。経済界の団体だって、外国資本が入ってる為に、態度を明確化していない。従業員は株主の奴隷になるならさっさと自立する。自立するには資金が必要だからせっせとため込む。そんな企業の経営理念無き状態が消費を沈滞させているのだ。
戦後のアメリカ化の行き詰まり
結局、多民族集積で歴史の浅いアメリカと言う国は、文化的には大変未成熟なのだ。しいて言えば資本本位主義。物事を計るスケールが金銭しか無い文化土壌なのだ。
例示にはいとまが無いが、例えば音楽の世界ではビートルズはアメリカには生まれなかった。人為的な商業主義のモンキーズしか作れなかった。映画も同じである。カンヌ映画祭で讃えられるような映画はアメリカでは作れない。アメリカでは映画は投資と回収の事業なのだ。観客動員(興業売上)が高い映画が評価が高い。だから黒澤映画をパクッタ「荒野の七人」なんか平気で興業に乗せられるのだ。文化から考えたら恥ずかしい作品である。
小説に至ってはまったく見る目が無い。アメリカ文学は世界に皆無だ。パールバックやスタンダールだって、移民文化の残りだ、本当のアメリカ産の文学作品には見るべきものが無い。そもそも、国民世帯の6割が1年に1冊も本を買わないのだから文学なんて「外でやってくれ」となる。その例がアーサー
C・クラークだろう。興業になる「2001年宇宙の旅」以降、彼の作品はSFの頂点と言えるが、映像化が難しく原作を殺めるように「2010年宇宙の旅」が映画興業に乗っただけだった。
ここにきてアメリカが「資本本位主義」で世界を席巻しようと建国から200数十年ずっと「侵略」を繰り返していたことが解る。それが1990年代、「資本本位主義」(いわゆるバブル)に染まった日本を格好の培養土として取り付いたのだ。まるで、狐付きのように。で、すっかり自律心を失ってた日本は潜伏そして発病との経緯を辿ってしまった。何故か「資本本位ヴァイラス」は潜伏はするが発症する事は少ないのだが、文化が弱まると抗体が失われるのか、発病する。それが、今の日本だ。
ヘッジファンドで荒らされたシンガポールを見て当時の橋本総理大臣の馬鹿が急に方針転換して「日本発の経済恐慌は起こしてはならない」と意趣返ししたのは、発症の症状である。経済恐慌が起ころうがなにしようが、日本は独自の経済政策で行くと言えない程、実は日本はアメリカ資本に侵されてるのだ。
でもね。日本の対外輸出収益はGDPの10%程だ。90%を占める国内消費を敵に回して輸出のみに配慮して、それが国民のための政策なんだろうか。
国民不在のアメリカ「資本本位主義」が今の日本に蔓延している。それを打破するのが「民族自決権」などと左翼イデオロギーな話しは僕はしない。企業経営者も、国政選挙で選ばれた政治家も、そして個々の国民も気付けよ。「資本本位主義」の文化の中で生きたいのかどうか。現実にアメリカ経済は2%の国民の富を守るために98%の国民は奴隷化しているのだ。