マスコミって基本的に信用すべきで無い

週末ニュースは膳場貴子さん
 NHKはプロジェクトXでも膳場貴子さんを起用しているが、基本的に休日のニュースに女性を登用するのはNHKの古くからの「しきたり」なのだ。それが男社会の象徴だと攻められてもNHKは止めない。NHKには週末キャスターって枠があり、今それを演じているのが膳場貴子さんなのかもしれない。
 テレビが送る映像に国民を導く機能が無いとは言わないが、所詮、テレビは「物を売るための道具」だ。そのアンチテーゼとしてNHKが存在するのだが、基本的にNHKってモデルケースを監督することで総務省は民間の放送をコントロールしている。メディアってのは情けない事に「数を頼み」って面が有る。視聴率が低い番組は放映に値しないのだ。視聴率9%以下の番組を「ド!シングル」とか言って改編の対象にする。多くの人が見たいと思わない情報は価値が無いって考え方だ。確かに誰も興味を持たない情報には価値がないって考え方は有り得る、でも、ここに放送局の悩みがあるのだ。
 放送は広く行き渡るので「物を売る」には好都合かもしれないが、放送の使命は文化を広めるきちにあり、民放の「物を売る」(情報を売る)ビジネス・モデルはインタネ時代に限界に近づいているのではないか。
 週末のニュースはたまたま人員配置のために膳場貴子さんなのかもしれないが、週末は必ずNHKのニュースを見る僕は、ド!シングルを見ているマジョリティなのだろう。でも、何故か膳場貴子さんが出るのでチャンネルを合わせているのだ。
東大出て芸能界と言うと菊川令(菊川怜)が注目されてるが、膳場貴子さんも東大なのだ。唯一違うのは菊川怜(令)より少し足が太いくらいか。


着飾った「報道的な」番組
 時間が無いのでさすが昼の、いわゆるワイドショーみたいな番組は見ていないが、最近の番組には「報道番組的な」番組がずいぶん増えた。日曜日の昼間の「アッコにおまかせ」なんかも「報道番組的な」ってスタンスを広報したいバラエティ番組だ。そもそもバラエティがニュースに流れるのは解る。江戸の時代から情報はカワラ版によって伝えられたのだ。ニュースをカワラ版的に楽しむバラエティが出現してもおかしくない。ただ、それは報道とは別物なのだってスタンスを放送局側が明確にしないと、信憑性は報道部と同じって視聴者に伝わってしまう。結果、視聴者はバラエティの情報を報道の情報を同じ次元で捉える。これは各局の報道部の自己崩壊を放送局が行っているのだ。
 「馬鹿馬鹿もう死ね!」と僕が怒るのは「報道番組的な」なバラエティで「夕刊フジの記事ですが」なんてコーナが有ること。放送局が情報の信憑性よりもセンセーショナルな事に傾いている実情。それで、電波出す資格あるのかと怒ってしまう。
ここと同じ「個人のホームページ」くらいの能力しか無いのか放送局は。そもそも外部の新聞記事を取り上げて番組を作るのは放送局の報道の自滅だろう。それを許す会社にNoと言えない報道部門の腰抜けにも困ったものだ。
「講釈師、見てきたように嘘を言い」ってのが今の放送局なのだ。ただ、流すために流しているのだ。放送時間を埋めるコンテンツの用意が目的で内容は10分なのか20分なのかって時間の問題でしか語られない。そんな放送局が「流し屋」と「製作屋」と分離していくのは時代の流れだろう。そして「流し屋」は視聴率以外に関心が無くなる。電波行政のタガが外れてしまうのだ。
 前にも書いたが、電波資源は有限で国民のものであるって基本をテレビにも適用してもらいたい。無駄使いは国民の資源の浪費なのだ。まともな番組を作る姿勢を見せろよ放送局。

結局、情報収集は自己責任
 何処まで情報を収集してるかって事だと思うが、基本的に情報利用は自己責任である。国会の討論で「週刊誌によれば」って質問を行う人間は情報収集が週刊誌だって情報に関する自己責任を自覚すべきなのだ。同様に報道部の人間が「インターネットなんて適当な情報ばかりでしょう。我々は情報に責任持っていますよ」って言ってくるのだが、それは違うと思う。放送免許を剥奪されないために、自己保身してるだけなのだ。だから、当たり障りの無い情報に落ちつけて流しているってのが実情だろう。真実に迫るって姿勢とは一線を介した、情報への責任の詭弁なのだ。
 情報の真偽判断を自己の責任から放送局に委ねる人は情報収集自己責任を放棄しているのだ。先の「週刊文春の記事に有ることは本当なのか?」なんて国会質問する国会議員は「情報収集の自己責任」を放棄しているのだ。そんな人間によって国会が議論してる実情は情けない。
 マスコミの流す情報は「受けとめる情報」でしか無い。これを「発信する情報」と扱った段階で「発信する人間の人間性」があらわになるのだ。我々は世間話しの中で「フセインは死んだらしいですなぁ」なんて、結局他人からの得た情報で語っている。それはそれでバラエティとして良いのだが、事柄の決定に立脚する情報として扱ってはいけないのだ。
 同様にマスコミが流す情報を根拠にバラエティしても良いのだが、その情報を信じて判断を下してはいけない。「情報は民主主義の糧でえる」って言葉が有るが、その糧である情報をどのように捉えるか、それが情報化社会最大のテーマなのだが、あまり語られない。遊びの情報と意志決定の情報って違うってことすらあまり理解されてない。だから、朝から会社で新聞読む重役が情報収集してるって見えるのだろう。僕に言わせれば2チャンネルを見てる重役こそ情報収集に長けてると思うのだけれど。

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2003.03.24 Mint