イラク戦>試合で勝って勝負に負けたアメリカ
この武力行使を何と呼べば良いのだ
日本語の感覚では「イラク戦」と呼ぶとサッカーの国際試合程度の意味しか持たないだろう。「巨人戦」なんて文字が読売ジャイアンツの野球の試合のことだと解る表意文字社会なのだから。だからマスコミは「イラク戦争」って文字を使うが、僕はこれは適語表現では無いと思っているって話しは前に書いた。あえて「イラク戦」と書いたのは、たぶんアメリカ人もイギリス人も日本人が考える「イラク戦」と同じ感覚なのだろうってことで、あえてそれが日本人にも解る表記を選んだ。
前にも書いたが「スポーツ」って言葉に対して的確な日本語が無い。文化背景に元づいて使われる言葉の場合、的確な日本語が見つからずカタカナのまま利用されることが多い。
スポーツにつながる日本語は無い、その内容を説明すると「定められた規定(レギュレーション)に従って優劣を争う競技」とでも言えば良いのだろうか。その中に広義な意味で戦争も含まれる。だから、アメリカは捕虜の映像とかに「戦争法違反」を唱えるのだが、日本には「戦争法」そのものの概念が無いから正しく伝わらない。
あえて誤解を受けることを恐れずに表現すると、今回の武力行使は「スポーツ」なのだ。だからサッカーの試合と同じように「イラク戦」と表示するのが、最も文化の理解として的確なのだ。
もう少し言葉を付け足せば「イラクにおける戦争」だろう。外国の報道でのWAR in IRAQは、まさにこの状態を説明しているのだろう。
イラク戦の「大義」は未達成
そもそも「大量破壊兵器」を撲滅することがアメリカとイギリスの国連決議を待たない武力行使の大義(正義)だったのではないのか。今時点では大量破壊兵器は発見されていない。あくまで現時点での話しだが。
国連の査察が何時までもイラクの時間稼ぎを認めていて生ぬるい。だから、国連決議を待たずしてイラク戦に突入するのだ。これがアメリカとイギリスそしてスペインの言い分だ。ある意味でアメリカ連合は賭に出たのだこれで大量破壊兵器が見つかればアメリカ連合は正しかったことになる。見つからなければロシア、フランス、ドイツの主張が正しかったことになる。
一つの政治体制を武力行使で破壊して置いて「あ、ごめん、勘違いだった」では済まされないのだ。単にイラクだけの問題では無くてアメリカとイスラム社会との関係にまで進展するのだ。イスラエル問題を抱えてアメリカは既に臑にキズを持っているのに、その臑のキズに塩を擦り込む事態に発展しかねない大きな賭なのだ。
後述するが、この賭にアメリカは負けたと言っても良いだろう。アメリカ連合の理想はフセイン政権が遠距離ミサイルや化学兵器を今回の戦争で使い「そら見た事か」と言いたかったのだろう。そのために兵士が数百人死んでも国益にかなう。そんな思惑が無かったとは良い難いのでは無いかと邪推する。
「大量破壊兵器をイラクは持っているのか」。これは大きな課題だ。具体的にはABCと言われる大量破壊兵器なのだがA(アトミック、核兵器)は核爆発を伴うよりも毒物としてのプルトニュウム程度だろう。B(バイオ、細菌兵器)については菌株を冷凍保存しているとしても兵器に使える程の量を培養し貯蔵するのは難しいだろう。C(ケミカル、化学物質)が一番可能性が高い。サリンに至ってはオウム真理教程度の個人の能力でも作れるのだから。でも、オウムは霞が関で「大量破壊兵器の行使」をしたのだろうか。あの事件で亡くなられた方や後遺症に苦しむ方々には大変申し訳無いが「大量破壊兵器」として認められる程の量を作るのは難しいだろう。
結局、イラクの情報省が言うように大量破壊兵器と呼べる兵器(見解の相違と言うか兵器と呼ぶかどうかの議論は有るが)が有るのか無いのかは限りなく無いに近いのではないかと僕は思う。
これからは「大量破壊兵器有無」の情報戦になる
アメリカは小利口なのだ。最初に望んだのが前線で化学兵器攻撃での兵士の死(これは、個人の立場では無くて国益の立場から僕は書いていることを了解してもらいたい。塩川大臣のように「よかった、よかった、戦争が早く終わって」みたいな思慮の無い発言とは全然違うのだ)だったのだろう。それが実現出来なかったので最近は「シリアに隠されたらしい」とか言い出して次はシリア攻撃かと国際社会を霊感させている。
アメリカ連合は大義のために「大量破壊兵器」を見つけなくてはいけない。それが見つからないのなら日本の考古学者のように捏造すれば良いのだ。その捏造に向けての行動がバグダッド攻略直前の「レッドラインを越えたら化学兵器を使っても良い」って通信を傍受したって発表とそれが現実のものにならなかった時点で配慮されていると思う。
先に書いたようにサリンなんかはオウム真理教で個人の技術で製作出来るのだから、準備は簡単だろう。そしてまさに日本の考古学者のように現場で掘り返して「有った、有った」と騒ぎ立てることは簡単なのだ。
その仕込に騙されるか見破るかはジャーナリズムの機能が有るのか無いのか、逆に日本のマスコミの試金石になるだろう。
アメリカの言う大量破壊兵器ってそんな線香花火みたいな物なのか、とアメリカからの情報を精査出来る力がどれほど日本のマスコミで有るのか、今後楽しみにしている。