北海道の文化>ここまで痛打されると参考になる

北海道の港の事情は本州と違うのだが
 ヨットで日本国中を旅している人がいる。その航海の様子を準リアルタイムでアップしているのでインタネをサーフィンしている時に見付けて参照させてもらった。
そのホームページは自転車リンク集にもリンクしているのだが、海の遍路のホームページ。ヨットでの旅を考えると太平洋ひとりぽっちの堀江謙一さんのように、出発は日本の港、到着はサンフランシスコの港とは違い、全国各地の港を停泊して回ることとなる。その土地土地でクルージングしているヨット停泊のトラブルが綴られていて興味深い。
 そもそもヨットを係留する岸壁は誰が管理しているのか。このあたりに興味を持たれる方は少ないだろう。基本は国土交通省であり、海を旅する万国の船に門徒を開いているのが日本各地の港湾施設の岸壁なのだ。その意味では本来国際的共有スペースなのだが、かのホームページの作者に言わせると北海道は言語道断らしい。
 他の地域と違い北海道は変則的経緯があり、他の府県では知事が港湾を所轄するが、北海道は港湾を所轄するのは市町村になっているので、市町村毎に(港毎に)対応が違うことに戸惑ったのだろうが、それにしてもそこから導き出される北海道の印象は皮相的な事象からここまで本質を読む洞察力に唸らされた。
 ちなみに、北海道のみが港湾が市町村管轄なのは、戦後最初の1947年4月に行われた民生北海道長官選挙で社会党推薦の田中敏文知事が選ばれ、5月の地方自治法施工で北海道知事になった。これに対し革新道政の権限縮小を狙った北海道開発局設立(1951年)につながる。
当時の北海道庁職員の2割3200人が道庁を離れ北海道開発局へ移籍させられた。このような国策の流れの中で北海道は変則的港湾所轄になった。ま、この話は今回の本質では無いが。

北海道ってこんな所と読まれてしまった
 何回読んでもこのページの洞察力は鋭いと思う。北海道とは何だったのかに書かれていることは肌で感じた事を根拠に、洞察力を加え日本全国との比較から北海道の 特性を推測した鋭い文章が綴られている。
 正直「脱帽」である。
簡単に「公共事業依存型社会」などと皮相的な統計を評論しても追いつかない、北海道って何なのだ! って北海道人の常識が全然通用しないのが当たり前の事を指摘している。たしかに、「俺達、今まで公共事業依存だったよなぁ」と思う北海道人は多いだろう。だが、何故公共事業依存になったのか、それを変えたいのなら文化生活土壌にまで踏み込む必要がある。このあたりまで踏み込んだ評論は皆無であった。
 大学の学者の研究が実利的で無いのは皮相的統計数値を見て評論下すだけで、何も解決策を示せないから。同じく、経済団体も駄目なのは経営的に苦しい分野の救済団体化が宿命だから。反省は得意だが未来に向かった企画が出来ない。その理由は過去から未来が導き出せると思い込む大いなる誤解に立脚して、しかも100年もその命題は正しいと信じているからだ。
 実は、新しい方向は突然変異的に発生するのだ。現状の改革の上に積み上げられるものでは無い。その意味で、構造改革は矯正に過ぎず、真の改革は革命的であり旧体制の破壊もしくは、否定から生まれてくる。
 その意味で、先の「北海道とは何だったのか」は完全に北海道の現状を否定している。ここまで言われると反論よりも感心してしまう。

北海道の突然変異
 極力個人名、個人企業名の掲示は避ける。何故なら、失敗の羅列を行えば何もしないのが得策と考える人が増えるからだ。実は、既存の組織団体が自己改革を進めながら未来に貢献する場面はほとんど無い(これは、間違いない!)。
 そもそも、既存の団体の集合体である既存組織に懇親会以上のものを求めるのはナンセンスだ。立ってる土俵が「過去に」功名成り遂げた団体の集まりなのだから。
 無線LANを広域化して北海道のデジタルデバイドを解消して地方でもブロードバンド利用を促進しようとのスローガンで第一種通信事業者の免許を得たワイコムが会社更正法を申請した(おいおい、個々の企業名出してるでぇ)。
 所詮、無理な事業だったとマーフィーの法則よろしく「事業が失敗すると、事前に失敗すると思っていた人間が沢山現われる」では無いが、事業計画には無理があったと思う。2年ほど前に札幌で行われたアライドテレシスが後援する会社発足会に招待されて出席したのだが、途中で退席した。「北海動的な」エッセンスが無く、設備を打って絨毯爆撃するような経営方針は、躍らされていると本人を見るに忍びなかったのだ。たしか、当時もらった記念のTシャツは、何処かにあるはず。we are broadbandとか書いてあって、ISDNの我が家では着るのがはばかられる。
 この会社が会社更正法に辿りついたいきさつは再度調べておくが、基本的に北海道の文化では終始異端児だった。同じような会社がソフトフロントで(おいおい、また企業名出てるぜぇ)、IP電話に特化するために経営方針を絞り込み、ソフト開発部門を切り捨てて社長の夢に邁進した。結果はそろそろ出るだろう。
 誰も支援しない、誰も無関心、それは既存の制度にはまらないからだ。既存の制度とはまさに、先に示したホームページに書かれているように「役人とは巧くやっておけ」って北海道開拓120年で培われた文化に立脚している。これが出来ないと北海道で商売出来ないのだ。
 これは地方都市でも同じで、帯広市や函館市で新たな企業が参画する余地はほとんど無い。地元企業傘下でしか事業展開が出来ない。これが、「北海道的な」文化の根源であり限界なのだが、それが異端児の芽を摘む結果にもなっている。

本当に自律する北海道を作れるのは誰か
 大胆な予言をしておきたい。それは北海道新聞なのだ。北海道5悪って何回も書いているがそれは、1)北海道大学、2)北海道庁、3)北海道新聞、4)北海道電力、5)北海道開発局、なのだ。実は「北海道拓殖銀行」が有ったのだが草々に5悪から消えてしまった。替わって入ってきたのが北海道開発局なのだが。
 この中に名を連ねることは名誉でもあるのだが、所詮、今までの守旧派のトップでしか無い。この5悪襲名は名誉でもあり、北海道100年の大計からは不名誉なことなのだ。
 この中に改革を期待出来る組織をあえて上げろと言われれば、北海道新聞社しか無い。消去法で「しか無い」ってのも寂しいが、新しい未来を見る能力は他の企業よりもある(が、とんでも無い時代錯誤なのだが)。
 最も本業が危機に面していると言えるし、唯一民間企業でもある。前例が無い、今までの方法で巧く行っていたって言い訳が出来ない場面に直面している。それは、インタネを中心に広まる新たなネットワーク社会と新聞のあり方、って命題で経営を直撃している。他の組織は明治維新の時に藩主のように、どう世の中が変わっても「食って行く」ことは出来るが、北海道新聞社は食えなくなる。
 同様に北海道の地場の民間放送局もデジタル放送の時代を迎えて危機にあるのだが、これはキー局への身売りで食っていける。北海道の地方紙でしか無いが120万部って巨体が小回りを失った時に失墜しないために、逆風の中、自社を見直すと同様の感性で北海道を見直す力が残っているかどうか、不明だが、本当に北海道と運命共同体なのだから(しかも、逃れられないのだから)、生き残るために北海道を変えないと自らも生き残れない。この事実を先のホームページを読んで認識し、北海道を変えなくてはと北海道新聞社の経営層が気が付くかどうかだろう。
 批判だけでは無く、提言の北海道新聞になれるかどうか、朝日新聞購入の僕としては陰ながら(爆笑)応援している。

Back
2004.09.23 Mint