A級戦犯靖国神社合祀の経緯と天皇参拝見送り

この時期に靖国神社参拝
 国会議員で作る超党派(と言ってもほどんどが自民党議員なのだが)の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」が4月22日午前、靖国神社の春季例大祭に合わせて参拝を行った。別に靖国神社を参拝することに是非があるとは思わない。個人の感情で参拝するのだから動機は様々だろう。それを「やめろ」と他人が言うのもどうかと思う。
綿貫民輔氏や平沼赳夫氏ら自民、民主両党の国会議員80人が参加したらしい。これも個人的行動だから特に何か述べようとは思わない。
 ただし、深慮遠謀で中国の反日デモの火に油を注ぎ、A級戦犯合祀問題を前面に出して攻めてくる中国、韓国の首相参拝問題をクローズアップさせ小泉純一郎内閣の外交を混乱させ、漁夫の利で郵政民営化を廃案もしくは延期させるって思惑で行っているとすれば、まったく個人の参拝ではなく党利党略と言うか郵政民営化阻止の集団行動な訳で、やれやれな奴と呼ぶしかないだろう。
 別に国会議員の靖国神社参拝に反対はしないが、時期を考えるとどうもきな臭い。「郵政民営化に反対するなら解散総選挙だ」と息巻く小泉純一郎首相に正面から反旗を翻さず、ゆさぶりで靖国神社参拝を行って中国を刺激しようとは、あきれた政治家でしかない。
 麻生総務大臣は集団を組まずに個別に靖国神社参拝に向かったようだが、なにかとパフォーマンスに長じる国会議員達がマスコミ報道を確信して集団で参拝に行くとは、中国の抗議頼みの反小泉内閣の意思表示なのかと情けなくなる。
 ま、その後の衆議院補欠選挙で公明党の協力が有ったおかげで2地域(宮城、福岡)自民党推薦候補が勝利して、もはや、小泉首相は信任されたって勢いで、コソコソ靖国神社参拝パフォーマンスは霞んでしまったのだが。

A級戦犯合祀と靖国神社の課題
 中国政府の言い分は「A級戦犯が奉られている靖国神社の公式参拝は、戦前大陸侵略を行った日本を肯定するもので、中国人は非常に傷つく(意訳)」って論理だ。
太古の昔、国家の概念が人類に無い時代に、国家が独立した集団であるには、国の始まりを規定した書物(記録)が必要であった。その文化が日本では日本書紀編纂であった。それと同様に国家の為に亡くなった(国家に仕え、国家の命令に殉じて亡くなった人)国民を祭る行為も国家として当然の行為であり、他国、他民族から非難される筋合いのものでは無い。その意味で戦没者を靖国神社言葉で「昭和殉職者」と呼ぶのは妙に納得できる。非戦闘員も含めての戦没者なのだから。
国家が独立した国家であるためには、国家の成り立ちの初期から連綿と続く国家のために命を投げ出した人に現在の国民が尊敬の念を持たなくては独立した国家とは呼べない。その国家が軍国主義時代だったとか戦国時代だったとかの小局では無く、公としての国家を大局的に捉えるべきだろう。
 そもそも、靖国神社とは何か。その歴史的背景から靖国神社が何を祭っているかまで簡単におさらいをしてみよう。
 東京都千代田区九段に靖国神社はあり、戦記物で「九段で会おう」って意味は靖国神社に共に祭られようって意味、つまり戦死覚悟って意思表示である。明治2年に明治天皇が戊辰戦争で命を落とした人たちの霊を祭るために東京招魂社として創立し、明治12年に靖国神社に改名された。
 幕末から太平洋戦争まで(まで、つまりこの期間の全ての)軍人や軍属の戦没者の247万人が本殿に奉られている。と、ここまでは戦争のプロの神社と思われがちだが、本殿以外の境内にある鎮霊社には本殿で奉られていないすべての日本人戦没者と世界中の戦没者が祭られている。
 靖国神社が「天皇のために戦死した人」の象徴のように言われるのは、西南戦争の当時の賊軍であった西郷隆盛や白虎隊が本殿では無くて鎮霊社に祭られいる点を指すものだろう。いわゆる「逆賊」は本殿には奉られてない。
1954年にはB・C級戦犯が合祀された。法務死(靖国神社表現では昭和殉難者)として靖国神社に合祀されたのである。これは正しい裁判を受けられず処刑(死亡)されたとの解釈から、犯罪者では無いとの考えから行われた。
 最近になって1978年10月、福田赳夫内閣の頃、A級戦犯者14名を密かに合祀した。この「密かに」とは、A級戦犯合祀の核心なので、ここも再度おさらいしておく。先に「逆賊は本殿には奉られない」を記憶に留めて置いて欲しい。
靖国神社の合祀事務手続きは以下の流れになっている。
1)厚生省(引揚援護局)が、保管されている戦没者カードと靖国神社による「合祀基準」と照合・選別して所定の「祭神名票」に書き込む。
2)「祭神名票」を靖国神社へ送付する。
3)神社側は「霊璽簿」にそれを写し、「索引簿」を作成し遺族に通知する。
4)年2回の例大祭の前夜に合祀の儀式を行う。
となる。
靖国神社「合祀基準」は戦前は陸軍、戦後は靖国神社が審査し「天皇に裁可を貰う」となっている。A級戦犯を合祀するには「天皇(当時の昭和天皇)の裁可」が必要な訳だ。1966年に厚生省(引き揚げ援護局)はA級戦犯の「祭神名票」を靖国神社に送付した。当時の宮司(筑波藤麿)は天皇家に配慮し差し止めた。
この宮司が急逝し、後任の宮司(松平永芳)が先の1978年10月、宮司預かりとなっていた「合祀名簿」を昭和天皇のもとに持っていく。当時の徳川侍従次長は相当の憂慮を表明したが、松平宮司はこれを無視し強引に合祀を強行してしまう。
これが、インタネで調べたA級戦犯合祀に至るプロセスである。
 つまり、A級戦犯であるがどうかに関わらず、天皇の裁可では特定の個人は「逆賊」だったのだろう。その配慮が侍従長にあって、個人を特定しないまでも、A級戦犯の人々の誰かは本殿に奉りたくないって昭和天皇の意向が伝わっていた。
 昭和天皇が靖国神社合祀に反対したのは開戦前夜の外務大臣であった「松岡洋右」が含まれているからとの説があるが確認されていない。
 その後、2006年7月20日になって富田朝彦元宮内庁長官のメモが発見された。
そのメモには天皇の言葉として
「私は 或(あ)る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取(原文のまま)までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」
と書かれ、白取は白鳥敏夫元駐伊大使で三国同盟締結に熱心な右翼外交官。松岡はその三国同盟を締結した当時の外務大臣松岡洋右である。
一部に「徳川侍従次長から聞いたメモではないか」との説があるが、徳川侍従次長からのまた聞きとしても主語は「私は」である。
宮内庁の徳川侍従長の合祀への反論は「軍事を行わない民間人が2名含まれてる」であった、これは松岡洋右と永野修身をさすが、両名判決を受ける前に病死である。
実は、それ以前にも昭和天皇の『独白録』で三国同盟を結んだ松岡洋右に対し「ヒットラーに買収されたとでも思われる」とか述べている。
ところが、マスコミの論調は失当で「A級戦犯合祀に昭和天皇は反対だった」に情報操作が行われている。昭和天皇は戦後でも東條英機を高く評価している言葉が残されている。また、木戸幸一の功績も認めている。
三国同盟締結に奔走した2名もしくは病死の永野修身を加えて3名の名簿収載が無ければ、11名の合祀には賛成だったのではないだろうか。マスコミのミスリードには振り回されないことだ。
2006.07.21加筆終わり

昭和天皇の靖国神社参拝1945年(昭和20年)以降、以下の実績がある。
天皇陛下が靖国神社を参拝する時は「御親拝」と呼ぶらしい。
1945(昭和20年)8月20日
1952(昭和27年)10月16日 天皇・皇后両陛下
1954(昭和29年)10月19日 天皇・皇后両陛下 創立85周年
1957(昭和32年)4月23日 天皇・皇后両陛下
1959(昭和34年)4月8日 天皇・皇后両陛下 創立90周年
1965(昭和40年)10月19日 天皇陛下 臨時大祭
1969(昭和44年)10月19日 天皇・皇后両陛下 創立100周年
1975(昭和50年)11月21日 天皇・皇后両陛下 終戦30周年
1978(昭和53年)     A級戦犯密かに合祀
 この「密かに合祀」を諸外国に反日の目玉として売り込んだ組織があって、連綿と今に続く中国、韓国の対応の元になっている。ま、日本社会党と朝日新聞とだけ記するに留めるが。これこそ、外国に頼る思想の流布で「国賊」でもある。

何故、中国、韓国、北朝鮮が攻撃するのか
 正直言って理由は見つからない(苦笑)。
 外交の駆け引きカードの1枚と僕は見ているのだが、実はこのカードは両刃の剣だったりする。
西欧文化は戦争すら「スポーツの精神」(文字面では無く、その精神土壌を考えて貰いたい)が基盤にある。先の第二次世界大戦で日本の零戦のエースパイロットであった坂井三郎氏が戦後アメリカに渡って同じ戦場で生死をかけて戦ったパイロットに戦友として温かく迎えられて驚いている。坂井三郎氏は著書「大空のサムライ」が藤岡弘、氏主演で映画化されたときのプロローグに出演し「大空のサムライは私の事では無い、大空で戦った敵味方問わない戦友のことである」と述べている。つまり、一旦戦争が終われば敵味方双方とも戦友であるのが西欧の文化土壌だ。
 この文化土壌から見たら、中国、韓国、北朝鮮(ま、この2つは朝鮮半島としてまとめる)の戦争が終わったにも関わらずグジグジと戦犯問題を俎上にあげる行為は国際的に理解されないだろう。両国の国際感覚が問われることとなる。まして「A級戦犯が合祀されてる」は日本側の経緯を知ればさほど目くじら立てることでは無いだろう。逆に「A級戦犯指定された岸信介の流れを汲む小泉が首相になるのはおかしい」くらいの踏み切った発言をすれば状況は違うのだが。もっとも、それも重箱のすみ論理だと僕は思うが。
 そもそも、中華思想から中国(父)、朝鮮半島(兄)、日本(弟)って関係を逸脱して弟が大陸進出したり、世界第2の経済大国になったりするのを妬んでの行為なのか。
 敵国の将兵の勇気を称える文化土壌が世界標準の現代で、中国、韓国の反日行動はそれ自体が含む国際社会の常識とのギャップをやがて露呈することになる。
 小泉総理大臣の靖国神社参拝以前に、中国の温家宝首相が靖国神社を参拝すべきなのだ。それが世界の常識であり、中国の国際感覚が非常識な所以なのだから。
A級戦犯合祀問題は日本の文化を自国の文化と比較して批判してるローカルな事象と理解すべきだ。
 そもそも国際的には講和条約を受け入れた日本だが、国内的には「戦犯」の法的用語は無い。ま、他の国でも無いだろう。国家が行った戦争を個人に責任を負わせる考え方そのものが国家の存続に係わる矛盾した考え方だ。「当時の自国の政治体制と諸外国との外交に多大な問題があった」程度までなら耐えられるが、自国の歴史の真っ向否定では現在の独立国としての自国が保たないだろう。
 靖国神社首相参拝問題はA級戦犯合祀とリンケージして中国、韓国の外交カードになっている。このリンケージを解こう「A級戦犯別祀」の考え方が出てくるのだが、これは政教分離の原則から靖国神社側の考え方一つ。そして、靖国神社側は「別祀って考え方は馴染まない」と否定している。
 では、靖国神社に代わる戦没者慰霊施設をって考え方もある。が、これは自国の靖国神社の歴史の否定である。たかだが14人のために、全体がお引っ越しって考え方はどこか頭のネジが緩んでいる。
 もし、首相の靖国神社参拝を辞めさせたいのなら(僕は、辞める必要は無いと考えているが)、正面から、参拝禁止にするのが正攻法だ。国会なのだからそのような立法を行えば良い。これに関しては下のリンクの「靖国神社参拝問題 国会なんだから立法したら」を参考にしてもらいたい。

A級戦犯に至る極東国際軍事裁判(東京裁判)名簿
起訴名簿(28名)
荒木貞夫板垣征四郎梅津美治郎大川周明
大島浩岡敬純賀屋興宣木戸幸一
木村兵太郎小磯国昭佐藤賢了重光葵
嶋田繁太郎白鳥敏夫鈴木貞一東郷茂徳
東條英機土肥原賢二永野修身橋本欣五郎
畑俊六平沼騏一郎広田弘毅星野直樹
松井石根松岡洋右南次郎武藤章
指定されたが裁判を免れた名簿
(ここが誤解でA級戦犯と名指しされてる例が多い)
岸信介(不起訴)児玉誉士夫(不起訴)近衛文麿(自殺)笹川良一(不起訴)
正力松太郎(不起訴)本庄繁(自殺)  
 ちなみに靖国神社に合祀されている14名は、東京裁判でA級戦犯と控訴された以下のメンバーである。
○死刑判決により処刑
 東条英機元首相、広田弘毅元首相、板垣征四郎陸軍大将、土井原賢二陸軍大将、松井石根陸軍大将、木村兵太郎陸軍大将、武藤章陸軍中将
○終身刑で服役中に死亡
 梅津美治郎元参謀総長 小磯国昭元朝鮮総督 平沼騏一郎元首相 白鳥敏夫
○禁固20年により服役中に獄中で死亡
 東郷茂徳
○判決前に病死
 永野修身 松岡洋右

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2005.04.25 Mint