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かねがね思っているのだが、行政の中心に経済の中心である民間が集まる現象は日本独特の構造なのだろう。そもそも、行政から仕事を受注するから行政の中心に企業も本拠地を構えるのだ。その行政が発注者って構造は昨今の公共事業縮小で減りつつあるが、基本的に情報収集も含めて、行政にへばりつくって日本社会の構造はいかんともしがたい。
このような内輪での話で仕入れた情報の開示にはとまどいがあるが、某北海道の金融機関のニューヨーク支店では業務の中心は日本から来た使節団の接待とか。基本的に「支店が有ります」ってことが国会議員に認知されるステータスであり実態は接待の現地産業。 そんな状況でなおかつ東京への中央集権が進む。考えてみると日本って国土はどの組織が日本国土を統一するかで延々と歴史を積み重ねてきた。大きな島が4つあるのに、その島々が一つの日本だった歴史は偶然なのか必然なのか良く分からない。でも、歴史上の事実だ。国土と民俗と主権が交代では無く同一の地域でバトンタッチを繰り返す、世界でも珍しい歴史を持っている。 そのバトンタッチを「国獲り」と呼び、仲間内で綱引きしてきた文化が2000年も積み重なった。一方世界に目を向けると、他地域からの支配者の君臨の歴史が国の歴史の根底にある。ポーランドの歴史を読むと、東からの侵略、南からの侵略と侵略された歴史の積み重ねが国家の歴史だったりする。 日本はこのような諸外国と比べて、仲間内の「国獲り」のためか、為政者は常に最高権力になれた。今のイラクを見ても解るように、侵略された国家には例え新たな為政者が定められても決してそれに従わない層が沢山居る。日本は極端な話、仲間内なので誰が担っても同じような律令制度で金を集めばらまけば良いので、為政者の交代が国家や民族の存続の問題にまで繋がらない。 その中で民間と官庁の、民衆と為政者のギャップが生じない「島国的な」風土が醸し出された。 で、そのまま国際社会に出て行けるかと言えばNoである。 世界の標準は為政者と民衆は対立するもので、その対立軸を治めるのが為政者の職務なのだ。だから、古代ローマ帝国は様々な施策を打った。今の日本は為政者(と、行っても「仲間内」なのだが)は懐柔策さえ持てば良い状況だ。何故かと言えば、税金を集める権利を絶大な権利にしたて上げた「日本的な」律令制度の継承が平成の今にまで受け継がれているからだ。「仲間内」では誰が税金を集めても所詮、国内へ還元される。それが国家感だ。先に述べたように、国家の行政府が担うべき責務は「外交」、「防衛」だとすれば、国内に向けての施策(税金を使った事業)は国家の責務では無いだろう。 その使命感すら欠如している今の日本の為政者(小泉内閣)だが、せめて、事業的業務は切り離して、本来業務に専念すべきだろう。具体的には税金で行う業務の地方への移管であり、民間への移管である。行政府の外交と国防以外の権限の切り離しである。 ゼネコンが受注したければ現地の自治体に営業するのが筋だ。そこに接待とか不正が有れば語るに落ちるのだが、営業先が国会議員になるのは、行政の仕組みの欠陥故だ。どう、転んだって、国が統率する中央主権は大化の改新で終わったのだ。それをいつまで続けるのかは日本を形成する民族の課題だが、僕は主権在民の観点から、地方自治中心の国家像が21世紀に向けての日本の方針でなければならないと思っている。それを主導できる政治が無いのが問題だが。 |
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ま、あえて疑問符付きだが、行政が産業にまで手を出すのはケースバイケースだろう。日本でも過去にホンダを他のメーカーと合併させて「自動車産業の国際競争力の向上」なんて行政主導の産業論があった。その行政の方針に逆らって独自路線を選んで戦ったのが当時の本田宗一郎氏であった。で、結果は世界でアコードが走っている現在があるのだ。まったく、国際競争力は行政に握られるのでは無くホンダの努力で勝ち取ったのだ。そこを読み違えていた行政の失態を誰も指摘しないのが「日本的」ってことだが。
本論に戻るが、最近は地方活性化のために国が施策を行っているらしい。正直言って中央集権の実態を隠すための地方出身の政治家や地方自治体の組長へのリップサービスだろう。集めすぎた税金そのものに日本国家としての問題点を提起したいのだが、地方は独自に収集出来る税金が少ないので、国の徴収する税金の分け前にあずかるのだが、基本的に国税中心に集め地方に分配する。本来地元で徴収される税金を国が集める仕組みから見直す必要がある。 その情けない実状を北海道庁は「観光立地」なんて言っている。それは民間に任せて、北海道庁自らが旭川に移転してこその政治(道議会)なのだが、行政が自己改革無くして旗を振る現状では実現は厳しいだろう。これこそ政治問題の俎上にあげるべきなのだが。 役所を立法府がコントロール出来ていない今の制度の矛盾を改革できるのは立法府である国会の個々の政治家の活動によるのだけれど、個々の政治家は政治家になったことが最終目的で日本の行く先なんか考えてないようだ。 税金を自由に使えるって、本来三権分立の精紳と矛盾する「口利き」が国会議員の権力だなんて思っている議員が多すぎる。500余とする国会議員には無駄な奴が多いのだよ。無駄を選んだ馬鹿も多いのだよ。選ばれた馬鹿による議員を糾弾する機能もまた必要だ。南野(のうの)あんただ!! |
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地方自治体も「やれやれな奴」と思うのは、住民本位って考え方が今の地方自治体の職員に欠けている点だろう。公僕である意識が無くなって、地方で一番優良な企業って自意識過剰の役場が多すぎる。その職員に優良企業のエリートって意識が無いとは言えない。
実名は避けるが、地方で天下なものだから札幌でも役場の名前でやりたい放題って話を良く聞く(ま、実際に見ているのだが、暴露が目的では無いので省略)。北海道の5悪って昔書いたが、そもそも、「さん」が付く企業は北海道で老舗で、かつ衰退の始まりだった。例えば「丸井さん」、「拓銀さん」、はその後どのような道を辿ったか。これと地方自治体の役場の扱いは同じなのだ。地方で一番大きい企業、雇用先が役場になってしまった地域は今一度考え直すべきだ。 そんな役場に税金の使い方を任せて良いのか。 基本的に税金の使い方は納めた側が監視すべきなのだが、手を離れてしまった金には関心が薄い。そのため、集め得な現在の状況を民主主義、主権在民の精紳でチェックすべきなのだが、そのあたりを戦後の教育はまったく触れてこなかった。 憲法にうたわれてる均衡有る国土の繁栄は契約反故になっている。にもかかわらず地方在住者からも所得税として税金を徴収する現在の行政府は何処かおかしい。国税と地方税のありかたから見直すべきなのだが、とにかく「営業の権利」に固執する官僚にギブアンドテイクな今の自民党政権が60年も続いているのが、日本の現状なのだ。 税金に群がる経済層を作ったのは経済団体の責任では無い。律令国家としての日本の舵取りの問題なのだ。しいて責任を追及すると、結局、国民の責任なのだ。日本は大統領制度になるべきだろう。そのための憲法改革に熱心になろうよ。これも政治問題に入れてよ>政治バラエティ番組に出て選挙対策しているバラギン(バラエティ・ギイン)の国会議員各位。 |
政治問題>増税と地方切り捨てで保身する官僚
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選挙>政党政治が官僚天下を許した元凶
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