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政治に翻弄された組織
注:本文では北海道(地方自治体名)として扱っている。戦前の「北海道庁」をあえて使わないので、地域としての北海道では無くて、組織としての北海道の用法であることに留意されたい。2008年7月2日の毎日新聞のスクープに近い報道がなされた。政府が北海道開発局の廃止(北海道への統合)に向けて検討を始めたとのこと。 北海道開発局の歴史は以外と古く1950年5月に発布され同年6月に施行された「北海道開発法」に端を発する。この法律では「国は北海道総合開発計画を策定し」と北海道の開発に関わる事案は国が考えると他の都道府県とは違った方式で行うことを定めている。 実は戦後の民選選挙(1947年)によって北海道は社会党出身の田中敏文知事が誕生した。九州大学卒業後に北海道に就職し林政部森林土木係長、全道庁職員組合委員長を経て知事に立候補して当選する。初当選時は35歳で史上最年少の知事で、今でもこの記録は破られていない。橋下徹大阪府知事でも初当選時の年齢は38歳である。 当時の北海道は戦後の引き揚げ者の就職口として炭坑を中心とした一次産業への就労が増えつつあり、また、戦後復興のために木材の供給基地としての地位を築いていた。それらの輸送の主力は鉄道で旧国鉄職員も多く、労働組合の政治活動も盛んで社会党王国となっていた。それを背景にいわゆる革新知事が誕生したのだ。 北海道の石炭や木材を開発するために多くの税金を投入するにしても、革新知事の采配に任せるのでは自民党の利権が確立できない。北海道の開発に関わる予算を北海道に渡すのでは無く、国のコントロール下に置こうとして北海道開発法が作られ、北海道開発局が作られたとの説がある。 北海道開発庁(Wikipedia) 当時は地方自治権への越権行為との意見も多かったが吉田茂首相の下、強引に北海道開発庁を直轄組織として内閣直結に設置し、現場には北海道開発局を設置した。 その自民党政権下で北海道開発局が廃止されようとしている。 |
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2008.07.02 Mint
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