国土の均衡ある発達が阻害されている

やはり東京は集中し過ぎ
 出張で半年振りに東京を訪れてみた。最近は日帰り出張ばっかりだったが、収集する情報も多かったので1泊2日の出張だった。会場も複数有り移動の電車の窓から見える風景は、よくぞここまで人が集まったなってのが素直な感想。
 高層ビルもここ数年で増えていて益々東京一極集中は進んでいる。
 一方地方では「限界集落」が現実の問題になっている。高齢者ばかりが残り住み、集落として人口の再生産が行えずやがて消えて行く集落だ。若者は都市部へ都市部へと出て行く。残されるのは高齢者だ。この高齢者もやがて子供を頼って集落を出て行く。最後に残る1戸にはどのような公共サービスが受けられるだろうか。
 最近さっぱり話題にならないが、首都移転構想で国会が賑やかだった時期が十年ほど前にあった。今は誰も口にしない。
実は諸外国、特にアメリカの州を見ると、政治の中心(政府の中心)と商業の中心が分かれて存在してる例が多い。小さな政府を形成すると自然、政府からの金をあてにする経済が存在しないため別途商業都市が形成される。大きな政府だと首都に一極集中する構造が出来上がる。
 江戸時代が典型で士農工商の身分制度から商業は大阪、幕府は江戸と分かれていた。これに加えて天皇は京都と各地に分散していた。
 戦後復興の頃から東京に総てが集中する構造が出来上がり、現在の東京は危機的なまでに集中してる。もし、予想される東海地震が東京を襲ったら、その人的損害だけで無く整備されたインフラの喪失は日本経済に膨大なダメージを与えるだろう。

都市集中の経済メリット
 中国が例として判りやすいが、人は都市に集中する。大きな理由は都市の経済効率の良さが経済の規模拡大に結びつき更に人が集中する。一つの物を生産するにしても調達コストや時間の面からも経済効率が良いのだ。
 それを防ぐためにラオスでは人の移動(移転)を禁止した政策をとっていた。結局、どこの地域にも近代化は訪れず、ひたすら地域は外国に木材を売って、資源としての森林が急速に減ってきた。これでは国が消耗してしまう。
 完全自由経済なのだから都市への集中は必然なのだと諦めてしまうのは国家観としていかがなものだろうか。都市への集中は地方の過疎と一体なものだ。国は国土、国民、法制度で成り立っているのだから、地方の過疎もこれまた必然などとは言っていられない。
 過去、地方の利便性を上げようとトンネルを掘り橋を架け高速道路を整備して結局、人口の流出を加速しただけであった。都市へ出る利便性が増せば都市へ住んで時々地方に帰る生活がより楽に出来るのだから。
 また、昭和30年代からサラリーマン世帯が急増した。多くの地方からの集団就職組が都市へ集中した。民族大移動である。ある意味、都市に集中的にインフラ整備を行えば良いので行政の効率すら都市集中のほうが効率が良い。

地方に何を作るべきか
 今までの日本の政治は国家の均等な発展を考えてこなかった。せいぜい地元の政治家へ陳情して箱物を作る公共工事を地元に引っ張ってくるくらいしか手段が講じられなかった。
 地方の時代と叫ばれて20年になるが、国策の場にのぼることは無かった.先に書いた首都移転が唯一の地方を考慮した政策だった。
 地方分権が進むと政府は外交と軍事が主たる機能となり規模は縮小する。小さな政府に必然的になってくる。要員も減る。その長期的流れに沿って今こそ政府自身が、もしくは国会議事堂でも良いが、地方に移転する政策を考える時期だろう。
 インターネットが商用に利用されてから12年。今ではホームページや電子メールを利用した情報収集や情報交換が10年前と比べられないほど普及した。地方に居る不便は解消されつつある。
 また、製造業も物流の発達によって門前町を構える必要が無くなった。今回の新潟中部地震で車のピストンリングを作っている工場が操業を停止し、全国の車のエンジン生産に影響が出たのは地方に展開してもシェアがナンバーワンになれる事例でもある。
 今回の東京の高層ビル乱立を目にするにつけ、国家の危機管理の観点からも東京一極集中を是正する政策を考えないと国家百年のグランドデザインを逸することになる。
 もう、これ以上集中しても危険が増すだけと思うが。

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