福田政権の危機は官僚が招いた
原因は官僚の行動
民間の調査によると福田康夫首相への支持が急落した。原因は
1)年金問題
2)防衛省疑惑
3)肝炎訴訟
に集約されるだろう。
そもそも「最後の一人まで最後の1円まで」なんかは過去のデータ処理が杜撰なのだから実現出来る訳が無い。メール事件で学習した民主党は判っていることだが、あえて自民党が「無理でした」と言い出すのを待っていたのだろう。コンピュータはデータが正しくないものを修正する力は無い。データを正しくしようにも、再調査が出来ない過去の過ちは修正の方法が無い。今までの年金の仕組みの根本的欠陥が後追いで訂正できるものでも無い。社会保険庁の「無責任なやりたい放題」を放置した責任が今になって露呈し、自民党政権を揺さぶっている。官僚主導の行政(立法では無い)を担ってきた自民党政権には国民の不支持って責任が覆いかぶさっている。
防衛省の接待攻勢も国民の税金を私する役人の規制が出来ていなかった証左だろう。特に事務次官である。トップが率先垂範して収賄のターゲットになっていたのだから、管理責任(行政としての)が自民党政権に問われる。
肝炎訴訟は繰り返される「薬害」に無策だった責任が問われるだろう。「再発防止」を念仏のように唱えても、実際に再発してしまった監督責任を自民党政権は問われる。
実はこの3点について直接的には官僚の起こした事件である。自民党が起こした事件では無い。にも関わらず福田康夫政権の支持率が低下するのは繰り返される役人の不祥事に無策だから。まさに政権を担う管理責任を問われているのだ。
この3点セットに的確なリーダーシップを果たさないと自民党政権の終焉は近づくだろう。政局は官僚の不祥事によって正念場を迎えている。
役人が責任を取る仕組みが必要
公務員の責任、特に不作為の責任は問われない。役人が過つことは無いってのが現行の法律の基本だ。法律上の過ちは当然問われるが行政の手腕に対する責任を問う法律は無い。道義的責任についても無い。
今回、大阪府知事に立候補を予定してる橋下弁護士が、光子市の裁判で「弁護団に懲戒を請求すべきだ」と述べた「弁護士は免許制度にも関わらず誰からも罷免されない。だから、弁護士独自の世界観で行動し市民感情から乖離する。それを防ぐのが弁護士懲戒請求だ」との論理だ。これは方法論は別として一理ある。
しかし、役人については著しく市民感情から乖離した政策を行っても、そして損害(税金の不要な支出)が生じても罰する法律は無い。せいぜい更迭で天下りって具合だ。
今まではそれで成り立ってきた。何故なら自民党政権が圧倒的に強かったから。しかし、風前の灯となった現在、何らかのリーダーシップを発揮して国民感情と乖離している今の制度を抜本的に改めないと自民党は国民の支持を失い消滅してしまうだろう。
そもそも日本の民主主義に三権分離が育っていない。明治維新以来、官僚を行政を睨む機能が立法府に無い。三権分離はテリトリーを決めたものでは無く、それぞれの権力が他の権力を牽制する仕組みだ。現在は司法だけが牽制しているが、本来は三権がそれぞれの権力を牽制しなければならない。
現状は立法府と行政府は馴れ合いの癒着状態にある。
改革の抵抗勢力は官僚
行革担当大臣が飾り物になって、官僚の猛反対に遭遇し、上司である官房長官や福田康夫首相に泣き付いても上司はさっぱり面倒を見てくれない。どちらかと言うと官僚側に立って裁いている。これでは、行革が進むはずが無い。
実は官僚と政治家の癒着は自民党においては河野一郎氏の時代から続いている。役所の発注を政治家がコントロールして選挙の票に結びつけるのを発端に、佐藤栄作元首相の造船疑獄から先、役人への口利きで業者からパイバックを貰い選挙に使う構造まで巧妙に持ちつ持たれつの関係が構築されている。
特に公共工事の中でも当時のダム工事は総て田中角栄が仕切っていた。政治家による談合の仕切りでペイバックは受注額の3%。端数切捨てして持参したら「不足分はどうした」と聞かれたとか。正確に円の単位まで3%をペイバックしていたらしい。
官僚が政治家に甘い汁を吸わせて持ちつ持たれつの関係を構築し、出世して行く。最後は選挙に出て政治家になる。このような関係を一度断ち切るためにも官僚の不祥事には厳罰で対応する法律を立法府として作成するか、政権交代しか解決方策は無い。