日本の地方空港は仁川(ニンチョン)の舎弟
羽田空港のD滑走路拡張に合わせて現在日々28枠(年間約1万)しか無い国際線枠をとりあえず3万回にする協議は終わっている。現在の3倍の数だ。これでは足りないと東京都は24時間化に伴い羽田空港に深夜離発着する長距離国際線を増やし、出来れば増加する11万枠全部を国際線に振り分けろと主張している。
そもそも、騒音問題なんかで空港が夜間使えないってのは国内事情であって、外国から時差をものともせず飛来する旅客便や貨物(カーゴ)にとっては現地が朝であろうが夜であろうが航空設備が整備されていれば関係ない。そのため24時間空港でなければ国際的に空港と呼べないのだが、現在の日本国内で24時間運用は関西国際空港のみである。しかも高額な着陸料と次への連携路線が不十分で国際ハブ空港とは呼びがたい。
ちなみに「深夜でも飛んでも良い」程度の24時間空港は先の関西国際空港に加えて、羽田空港、中部国際空港(セントレア)、新千歳空港、北九州空港、那覇空港があるが、周辺住民との取り決めで深夜発着枠は一桁の所が多い。
膨大な国費を投入して深夜は使わない空港を整備してきたのは行政の非効率そのものであるが、日本は国際空港のあり方を勉強してこなかったのも原因。とりあえず空港を作れば飛行機が飛んで来るって渡り鳥を待つ水辺の餌やり人のような政治しかしてこなかったのだ。いや、渡り鳥に餌をやるのは解るが、日本の空港は飛んできた渡り鳥から法外なショバダイを取る悪徳餌やり人だった。
その間にアジアを代表する国際ハブ空港として韓国の仁川(ニンチョン)空港が整備され、拡張を繰り返して、今や日本の地方空港から仁川(ニンチョン)空港に飛んで、ここから海外に飛ぶのが一般的になってしまった。国費を投じて作った国際空港は韓国の仁川空港の末端としてせっせと韓国に日本人を運ぶ空港になっているのだ。
成田空港は失敗だったと認めない政治
我々の世代は成田闘争の時代を生きたので「ナリタ」には特別な思い入れがある。成田空港管制塔襲撃事件があった頃は千歳空港が新千歳空港として最初の滑走路を整備中で、当時は日曜日などバイクで敷地に入って滑走路を力一杯走っても誰も注意しなかった。それ以前に休みの日は工事車両の出入りがないので警備なんてのが行われていなかった。管制塔襲撃事件以後金網が出来て、金網の外で飛行機の写真を撮っているだけで警備の機動隊から職務質問を受けて免許証の提示を求められたものだ。もっとも、今はさらにテロ警戒中ってことで厳しさを増しているが、私の飛行機写真オタクの動機付けは、あの工事中の滑走路を走り回った思い出から始まっている。
撮影写真はここに掲示。
ビジネスはタイミングが大切だ。着工から何年たっても完成しない成田空港は時間が掛かりすぎる故に国際ハブ空港として時代から取り残されてしまった。特に< a href="http://speech.comet.mepage.jp/2009/mint_571.htm" target="_blank">FedExは成田空港のウインドシアに対応できなかったに書いたように、滑走路が2本しか無く、しかも2009年10月22日にやっと2本目の延長工事が終わり2500m滑走路が供用開始した程度では国際ハブ空港にはほど遠く、現にFedExの事故では空港業務全体が2日に渡って麻痺してしまったのだ。
東京と成田を結ぶ交通網も、都会の土地代の高さから膨大な費用を必要とし更に非効率なものになってしまった。しかし、官僚は過去の過ちを認めず予算を湯水のように成田空港につぎ込んだが、結局成田空港は欠陥空港のまま残されてしまった。
その国民の税金を羽田空港に投入していれば、D滑走路どころか海上滑走路としてE滑走路もF滑走路も完成していただろう。国際空港は滑走路は4本以上、加えて横風用の滑走路を有して24時間運用可能なものが世界標準だ。成田空港は現在まで遮二無二国際線を飛ばしている地方空港でしか無い。
例えば、軍民一体の新千歳空港だが、この空港を民間空港として苫小牧工業団地に移設するか拡張して千歳・苫小牧国際空港エリアを形成するには
北海道にハブ空港を作る会の試算を見るまでもなく、スピーディに日本国内に国際ハブ空港を作ることができる。規模から言っても日本最大の国際ハブ空港になるだろう。
成田空港に投入した税金が間違いであったことを言外に忍ばせた前原誠司国交通省大臣の発言が衣の下の鎧が見える故にマスコミが騒ぎ立てるだのろう。
実態は、世代交代した官僚が成田空港は間違いだったと認めたと受け止めなくてはならない。成田空港は昭和の時代の文化遺跡なのだ。