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元朝日新聞記者の植村隆氏
文芸春秋と西岡力東京基督教大学教授を東京地裁に名誉棄損で提訴した。その原因は文芸春秋に「捏造記者」と書かれて名誉を棄損されたとのことである。まず、当時は朝日新聞社の社員で、記事に誤りがあったことを確認しておくべきだろう。それを「捏造」と呼ぶのは過激な表現だが、週刊誌にとっては許される範囲だろう。 何処が誤っていたかと言うと、1991年8月11日の朝日新聞朝刊で韓国人元慰安婦の証言テープをもとに「『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に連行され」と書いた部分だ。ま、聞いたものを書いただけって言い訳の余地はあるのかもしれないが、植村隆氏のみでなく会社として朝日新聞は組織で編集を行なっているのだから「女子挺身隊」が戦場に連行されるものでは無いことは少しの知識があれば間違いに気が付くはずだ。 この点で、明らかにミスリードしている。それが意図的に行われたかどうかは読者の判断に任されるとの意見もあるが、実際、マスコミが良くやるミスリードであることは間違いない。 この記事では匿名であったが、数日して北海道新聞社のソウル支局長が「韓国人元慰安婦」の実名を報道した。また、1991年11月22日の北海道新聞では吉田清治氏は「アフリカの黒人奴隷狩りと同様の狩り立てをした」とまで述べている。ここから、元慰安婦本人が他のマスコミや研究者の知るところとなり、元従軍慰安婦の証言は吉田清治氏の情報を裏付ける証拠として朝日新聞はミスリードを重ねることになる。 但し、情報元が複数になったことにより第三者による事実関係の検証も始まる。その戦闘に立ったのが秦郁彦氏である。 話は遡るが、1982年に吉田清治氏は講演で「強制連行」の話をし、これが1982年9月2日朝日新聞大阪版に掲載された。内容は「吉田清治氏が慰安婦狩りの内容を講演した」と書かれている。 そして吉田清治氏は1983年に『私の戦争犯罪』(三一書房刊)を出版し「1943年5月15の西部軍動員命令によって5月18日に済州島において兵士10人の応援で205人の婦女子を慰安婦要員として強制連行した」と書いている(当時の村の人口は250名である)。 つまり、朝日新聞の最初の植村隆氏の記事が1991年、吉田清治氏の講演が1982年。その間に9年のギャップがあるが、虚言として放置されていたのだった。これに再度スポットライトを浴びせたのが朝日新聞の「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」(植村隆韓国特派員・ソウル発)記事である。 1992年3月には秦郁彦氏が吉田清治氏の証言について済州島で現地調査を行い当時を知る城山浦の住民から「この島で人間狩りが起こったら大騒ぎになって誰でも知っているはずだが、そんな話は聞いたことすらない」と証言を得て強制連行は事実無根であることを発表している。 つまり、1992年には虚偽であることでかたが付いたのである。実に23年前である。 そして1993年8月4日には河野談話が発表される。但し、談話内容は「強制連行は無かった」なのだが、直後の記者会見で河野洋平氏が記者からの質問で「強制連行はあったと思って良いのですか?」と聞かれて「結構です」と答えたまさに河野「談話」が報告書を歪めてしまった。 |