54機の原発は一基も止まっていない。マスコミの不勉強

何が「止まる」なのか
 正確には発電(詳細に言うと商用発電)が止まっているだけである。原発が止まると表現すると原発は動いていないのだから安全だと思われてしまうが、現実には使用済核燃料貯蔵庫も含めて適切な稼働管理を行わなければ福島第一原発と同様の原子力発電所事故の要因は内包されたまま「放置」されてしまう。「発電が止まっている」と正確に表現せずに「原発は止まっている」と安全な状況にあるがごとく報道するのは国民心情への洗脳である。原子力村を構成する政官学財報のペンタゴンが衣の下に鎧をちらつかせているのに国民は欺されてはいけない。
 2011年12月の野田佳彦総理の「冷温停止状態宣言」も乱暴な表現だ。原発には「冷温停止」はあるが「冷温停止状態」の表現は無い。今回の野田佳彦総理の宣言のために造語されたのが「冷温停止状態」の表現だ。
 本来の原発の冷温停止は冷却水系の温度が95度以下、原子力燃料が未臨界である状態をさす。現在の福島第一原発では未臨界は断言出来ず「状態」の文字を付加して造語したものだ。だから、これを「安全宣言」などと受け止めるのはまったくの誤解である。先の原子力村ペンタゴンの報道機関は暗に「安全宣言」の様な表現をするが、国民は大本営発表に欺されてはいけない。
 そもそも、54基の原子力発電施設の内52基が定期点検に入ったために停止したが、運転再開に向けて個々の原子力発電施設が現在どのような状況にあるのかは正確に報道されていない。極端な話、原子力燃料棒が圧力容器内にあるのかどうかも定かにされていない。
 後述するが、使用済核燃料庫に取り出しておけば安全かと言うと、これはこれで別なリスクが存在する。それを保管庫なので安全に保管されているような表現を暗に行うのもマスコミのはなはだ不誠実な報道だ。

商用発電を行っていなくてもリスクは有る
 そもそも、商用発電状態にある時に発生するリスクは原子力発電所全体のリスクに比べて決し高いものでは無い。今回の福島第一原発の事故はその事故調査報告書が取りまとめられるにはまだ数年を要するだろうが、地震による直接的破壊は有ったと思われる。配管の破断までは行かないが接合部からの漏れは事故当初の運転員の証言からも明らかだ。
 事故直後の証言が事故調査報告に表現されてないが地震による損傷は程度が明らかでは無いがあったと思われる。しかし、この部分を100%譲って、福島第一原発では地震の揺れにより原子炉のスクラムは完了していたとしよう。その後、燃料棒からの発熱の冷却に失敗して事故が起きた。
 その発熱量は商用発電状態からの緊急停止であったから熱量が膨大ではあった。しかし定期点検の最終局面で燃料棒も装着され冷温停止にある原子炉といえど発熱量はゼロでは無い(1/100以下だが)。適格に冷却水を循環させて冷やさなければ商用発電が止まっていても冷温停止を維持することは出来ない。
 原子炉以外にもリスクは存在する。日本の原子力発電は「便所の無いマンション」などと下品な表現がされるように、使用済核燃料の処理方法が決まっていない。それ故、本来なら数年保管して半減期が短期間のウラン崩壊による同位元素を減らし、その後運び出すように使用済核燃料庫が各原子力発電所に用意されている。しかし、行き先が決まっていないので使用済の古い使用済核燃料棒が大量に保管している。
 現状のままだと日本の原子力発電所は使用済核燃料の保管庫が不足して、今回の福島第一原発の事故が無くても原発の稼働を停止せざるを得ない事態に陥る。河野太郎氏のブログに詳しい
 先に百歩譲って福島第一原発はスクラムには成功したと書いたが、今、福祉第一原発で懸念されるのは原子炉よりも4号機の使用済核燃料貯蔵プールである。定期点検時の操作性が良いので使用済核燃料庫は原子炉建屋の最上階にある(クレーンでの移動が最短距離で済む)。使用済核燃料プールと呼ばれるように水で満たされ、この水は使用済核燃料棒の冷却水を兼ねているので的確な温度管理が必要である。管理を怠ると使用済核燃料棒の熱によりプールの水が100度以上になり沸騰蒸発し、核燃料棒の露出が起きる。
 この4号機の使用済核燃料プールの土台が地震および原子炉建屋の水素爆発で損傷している。今後大きな地震が来ると崩壊の恐れがある。使用済核燃料には4号機が定期点検に入った時に抜いた「若い」使用済核燃料棒もある。4号機の使用済核燃料貯蔵プールには通常の2.5倍の1,331体の燃料棒が沈められている。この使用済核燃料貯蔵プールが崩壊したら、高濃度放射能汚染を招き、付近一帯は作業員が入れず、原子炉の廃炉作業すら行えない状況になる。まして、原子炉のように格納容器で閉じこめられた区域では無いので放射性物質の飛散は今回の比では無く大量になる。推計では今回の事故の10倍と積算されている。
 この「使用済核燃料貯蔵プール」は全ての原子炉にあり、全ての原子炉で使用済燃料棒がプールに保管され、日々状況を調べながら管理されている。

今も54基の原子炉は動いている
 原子力発電プラントとしても止まっている原子炉は無い。廃炉の準備に入った54基以外の5基の原子炉も廃炉に向けて「動いている」。
 原子力は我々の日常感覚では感じ得ない特性がある。例えばキャンプフィヤーは適格に火の始末をすれば「終わった」と言えるが、原子力の「終わった」は自然状態に放射性物質が崩壊し放射線を出さなくなるまで1万年の月日を要する。原子力発電プランとしても「終わった」までに30年以上の月日を要する。
 徐々にリスクが低減する(と、言っても年に1/10000程度だが)とは言え、現在、「止まった」と言われている54基の原子力発電所は全て再稼働するかどうか別にして動いている。動いて適確なコントロール下に置かないと福島第一原発と同様もしくはそれ以上の事故に繋がる。
 一度初めてしまった原発は数百世代に渡っての管理を必要とする。だから原発に反対なんだと今の時代に叫ぶことは容易だが、科学は常に同じような矛盾を含みながら発達してきた。
 飛行機が墜落すると、だから危険なものを空に浮かべるのは反対だとか交通事故が起きれは車なんてのを個人に運転させるのは危険だと言うのは簡単である。しかし、人類の進歩とは常に矛盾をはらんでいるものなのだ。だから、大阪万博で岡本太郎氏は「人類の進歩と調和」なんて無いと言い切って大陽の搭を作ったのだ。
 人類が手にした核利用の科学の発達を後戻りさせることは出来ない。使用量の多さに問題はあるかもしれないが、医療が核の力のレントゲンから始まっていかに人類の病気の克服に貢献したか。
 科学の生じせしめた矛盾はこれまた科学の力で克服していかねばならない。例えば、10万年(10万年前は日本列島はやっと人類の足跡の遺跡がある)も管理を必要とする核物質を変化させる核反応の研究と実用化とかが必要だろう。
 トリウム原発ももっと国策として研究が必要だろう。そもそも、アメリカが核燃料サイクルの構築を諦めた時に、抗議に訪れた文部科学省の役人に、時のカーター大統領は「日本は人類のためにトリウム原発の研究に切り替えれば良い」と話したのは有名な話だ(都市伝説の噂もあるが)。
 次世代原子力発電、次世代核リサイクルを技術開発することで初めて原発は「止まり」、「終わる」ことができる。

button  技術的根拠無し。原子炉40年で廃炉は妥協の産物
button  事故調査報告が12/26に出るが、国民は納得できるか?



2012.03.14 Mint