イスラム国との戦いには新しい「戦略」が必要

テロとの戦いの時代
 アメリカの9.11の時にも書いたのだけれど、時代は国家の国益を増大させる覇権主義の時代を超えて現在は国家領土の境界線を越えて価値観の違いによる紛争に陥っている。
 文字で表現するのは難しいのだが、国家を疑似人格として、その成長過程が青年である国家や老年である国家が混在している。それに加えて生まれたての乳幼児の状態にある国家も同じく存在する。それが、21世紀を迎えて我々人類が対面しなければならない国家とは何かを再度問われる時代の現状だろう。
 国家を定義するのに「領土、国民、明文化された憲法」って時代は20世紀までの定義だろう。アフリカ大陸の国境線を見ると解るように、必ずしも国家がそのような定義で存在していない。そもそも、地球全体に住む人類から見たら「国家」とは一部の国の律令制度が形成された地域の概念でしか無い。その地域を「国境線」で区切ったのは先進国のご都合主義であったかもしれない。
 国連に加盟している「国家」は200カ国近いが、その中には「生徒会」以前の政治制度の国家も多数含まれる。つまり、民主主義国家でなければ国連に加盟できないって条項は無いので、国連が認める地球上の国家は200もあることになっている。
 その国を国家とならしめているの根源は何かと言うと、実はかなりあやふやなのだ。例えば大統領が選出されて中央政府が存在すると言っても、それは大統領府の半径500mだけであって、その地域から外は統一された国家とは呼べない「国家」も多数国連に加盟している。
 国家は他国との間に「国境」を設置するが、それが何の意味を持つのかを再度考える必要があるだろう。20世紀には「国境」ってのは経済支配のテリトリを明示するものであった。国境の内側に住む者は「国民」であり国家の法の支配の中に居た。
 ところが、9.11から国家の持つ国境の概念は変わった。
 先に書いた「領土」なのだが、これは国境として線引きされるが、民主主義は思想信条の自由をうたっているので、国境を越えた思想、信条も制限できない。しかも民主主義は多数決を政治の手法にしているので、多数派には配慮するが選挙で敗れた(ま、広い意味では死に票になった有権者)への配慮を定義する条文は憲法にも無い。

民主主義の「死に票」がテロリズムを生む
 もちろん、全てがなんて事は言えないのだけれど、民主主義には欠陥があある。それは多数決で決まった事に反対した民衆に対する配慮だ。そもそも多数決が分散した多数決なので結果としての議席が民意に比例していないのは先の日本の衆議院選挙でも明らかだ。選挙制度によって多くの「死に票」が生まれる。
 「勝てば官軍、負ければ賊軍」って考え方は実は民主主義の理念にそぐわないのだが、世の中には民主主義イコールto多数決って考え方が浸透しているので、多数を得た者に対する多数を得られなかった者の抵抗は行われる。それだ最小人数であるべきだが、日本の小選挙区制にとどまらず、民主主義の理想は選挙制度によって歪められちえるのが現状だ。まして、諸外国の中には選挙制度すらあいまいな国も多数有るので、必ずしも為政者側が国民の意志の総意とならないケースは多い。
 それが極限に高まると昭和の時代の学生運動のゲバルトになる。昭和の時代の学生運動の根源はゲバルトである。今のイスラム国と思想や行動には大差が無い。民主主義が選挙って制度で最大多数の最大幸福って考えるのは勝手だが、国政に同志を送り込めなかった人々は民主主義によって世界を変えるって考え方を疑っている。暴走したオウム真理教だが、その発端は選挙に挑んだが落選して「死に票」の代表って勘違いから派生したのだ。
 そして、その集団がオウムと同じように宗教を共有することにより旧来の概念である国家を越えて連携したのが今のイスラム国だ。既に地域は限定されているが同じような宗教活動の延長線上にある集団がタリバンである。これら、全てオウム真理教と同じ思想(宗教)を基軸にしたテロリスト集団である。
 そして、その根源には選挙で支配者になれなかった不満が武力での支配者を志向していく共通項がある。
 「戦う正義は我にあり」となった瞬間に止める方法は同じ土俵で戦って殲滅するしか選択肢が無くなっている。そもそも、テロリストは現在の為政者が生んだってことを1%でも良いから心に留めておくべきだろう。


テロリストには自国防衛が最善の対応策
 フランスが空母を動かしてイスラム国を攻撃するってのは、基本的にフランス人にイスラムより選民だって上から目線があるからだろう。だから風刺画を発表した新聞社への攻撃(テロ攻撃)を「言論の自由への侵害」と言って恥じないのだろう。
 エスプリとユーモアと下ネタはフランス文化の特徴なのだが、それを世界標準に考えているから「言論の自由」なんて方向に話が進んでしまう。それはフランス人の考える「言論の自由」であり、他国では「誹謗・中傷」と解されることを拝領していない。まさに、文化の中心はフランスにありって上から目線の思想がある。だから、再発行して「言論の自由を守る」と言えるのであって、私から言わせれば「言論の暴力の再生産」でしか無い。
 故に、旧フランス統治のアフリカ諸国ではフランスの行動に対して暴動に近いデモが発生してる。
 「てめぇら!何時までアングロサクソンが人類の頂点だと思ってるんだぁ!」と、再度風刺画を繰り返す文化にあきれかえってしまう。たぶん、フランスは世界の文化から鼻つまみに扱いになる日も近いだろう。風刺と侮辱は紙一重だが、今回の再発行は明らかに侮辱の再生産である。それを武力で押さえつけて「言論の自由を守る戦いだもんね」なんて言われてもドンビキである。
 そもそも、テロとの戦いは国家、国境が無いのだから首都も無い。戦争の決着は首都侵攻で占領ってのが20世紀の戦争の終結方法であった。しかし、テロとの戦いでは明確な「首都」が無い。なんぼ空爆しても効果が無いのは目的とする「首都」が無いのに行っているからだ。
 実は、テロとの戦いは国内治安の問題だ。自国が攻撃されないための「専守防衛」がテロとの戦いへの勝利の方程式だ。テロ根絶を旗印に他国の領土で戦闘行為を行うのは意味が無い。そもそも根絶出来ないのは火を見るより明らかだ。
 自国の国民の生命財産を守るためには他国の領土のオウム真理教信者を空爆するより、自国のオウム真理教信者を取り締まる方が効果的だ。相手は宗教団体なのだ。だから、根絶は難しい。だから、自国の「専守防衛」が大切で、何も出かけていって戦争する必要は無い。
 日本はオウム真理教に対して破防法を適用出来なかった。自国の法律は自国で完結できるにも関わらずである。フランスはそもそも創価学会ですら破防法一歩手前に指定しているのだからイスラム国って宗教も適用対象にするのは容易だろう。
 そして、自国の安全を守るのが国策だろう。空母を派遣して何を潰し、何を守ろうとしているのか。風刺画を守るために自国民を死なせるのか。ま、フランスって国は世界の笑いものである。

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2015/01/19 Mint