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不時着と墜落の違い
マスコミは朝日新聞ですら「不時着」と報道するが、浅瀬で大破した機体の映像を見て「不時着なんか言い訳、墜落ですよ」ってテレビで語っているコメンテータには物事の本質を理解する能力が無い。全てが自身の判断基準による感情論でしか無い。そんな奴がテレビで発言できる機会を与えるからテレビは感情論の「ゲスなメディア」に成り下がる。大晦日に「笑ってはいけない!」を放送するのがテレビの使命で、余計な評論は池上彰氏も含めて扱える品格が無い「ゲスなメディア」がテレビだと割り切った方が良い。 田原総一朗氏は「民放は物を売るメディア(媒体)だと思う」と公言したが、まさに、民放のテレビ番組は広告の合間を埋める時間つぶしでしか無い。民放の広告は「売上」であって、番組は製作費を使う「経費」なのだから。 そもそも、航空事故の分析では「墜落」はアン・コントロールな事象「不時着」はアンダー・コントロールな事象だ。 今回のオスプレイの機体の破損だけを見て事故の全貌を語るなんて無謀な行為に挑戦する感情論だけのコメンテータは「墜落」と言いたいのだろうが、そこに至る通信記録を読むと、完全に「不時着」(アンダー・コントロール)なのが解かる。それも知らないで「機体メチャクチャでしょうがぁ。墜落です」なんて言っている松本人志氏は「ゲスの極み」と同類と言わざるを得ない。 何故か朝日新聞が詳しいが、空中給油訓練中に給油装置がプロペラに当たり、プロペラのバランスが狂ったので嘉手納に緊急着陸を指示されたがパイロットは「住宅地を越えて、嘉手納に向かうのはリスキー」と判断して海岸線に「不時着した」 海岸線は砂浜では無く、実際の場所は岩場だったので、着陸時に水平を保てずプロペラの回転エネルギーも相まって機体が損傷したのが実態だ。 そもそも、ヘリコプタは傾いた場所から離着陸できない。悲しいい記録だが、JAL123便の御巣鷹墜落(これは「墜落」)の救難活動のために最初に現場に作ったのは水平に離着陸できるヘリポートだ。 そのヘリポートが出来る前に生存者を釣り上げたのは着陸しないホバリングによる救助活動だった。 数十年前に札幌-千歳間の高速道路で100台を超える多重衝突が起きて、札医大からドクターズヘリが出動したのけれど、当時の教授が「高速道路に降ろせ」と言ったのに「ホバリングしますから飛び降りて下さい」とパイロットが着陸を拒否したのは、航空法にある不時着時の目的地外地着陸の始末書を恐れた(当時は、ドクターズヘリにも適用された)のもさることながら、地面の水平が担保されてない場所に着陸すると、離陸できなくなるヘリの機能に由来する面もあった。教授は高度50cm程で飛び降りたのだが、飛び降りると同時のヘリは上昇していったと感想を述べているが、ま、垂直重量バランスに敏感なのがヘリコプターで、海難救助なんかでホバリングで吊り上げる技術は相当な場数を踏んだパイロットにしか出来ない。 傾いた場所に着陸したヘリは二度と離陸できない。にも拘わらず、海岸線の、それも岩場に業界用語で言う「落とした」のはパイロットノ究極の判断だろう。 パイロットの究極の判断とは、自分が操縦する航空機で死者は出さないって決意だ。加えて機体を損傷したくない。そのために自分が死んでも良いって感覚は「ハドソン川の奇跡」で既報なんだが、破損した機体を指して「墜落→オスプレイ欠陥航空機→危険」と判断する。 アメリカ側の広報にも目を通してもらいたい「在沖縄米軍トップがオスプレイについて記者会見」。部下を守り、責任を担う上司の典型な会見である。ローレンス・ニコルソン中将は日本人以上に日本の「情」を理解する人かもしれない。それを、「開き直った」なんて言っている日本人が居るのが情けない。組織の長であれば、まず部下を守り、自分が責任を負い、真実を明らかにするのが責務だ。 何も解らずに「怒鳴り込んで来る馬鹿」には日本の企業でも相応の対応をするだろう。 そもそも、兵器は一般論として全部「危険」なんだって感覚が薄れている風潮が問題の奥にあるようだ。 |