爆走南十勝..更別、忠類、大樹、広尾

コース概要
 十勝平野。石狩平野に並ぶ北海道の広大な平野になる。農業を中心に広がった十勝平野は生産の源として石狩平野の商業都市群とは違った活力がある。
徒歩か馬車しか無い昔からの習慣なのか小さな市町村が沢山あるが、ここは帯広支配(笑い)の十勝平野である。で、本当にそうなのか、地図を見てヒョーロンしていては意味がない。「地図は現地で無い」この名言を無視する訳にはいかない。今年の目標は地図でない現地、十勝平野の探訪に絞った。実際に目にする事柄を大切にしたいと思う。
 十勝平野にも港がある。と言ったら奇異に感じるかも知れないが、南方面に広尾町があり、ここに名称として「十勝港」がある。北海道の市町村の常だが、歴史が浅い故に交通の要所として海路が珍重されていない。札幌だって海に面していない。旭川なんかは周辺に海が無い。つまり、日本が鉄道輸送時代になった頃に北海道開発が本格化したってことだろうか。時代背景が本州と全然違うのだろう。
 前回の中札内から一気に十勝平野南端の広尾町を目指す。往復120kmの行程になる。えりも岬から広尾町を攻める方法も有ったのだけれど、これは「攻略、野塚峠トンネル」ってことにして、今回は素直に十勝側から攻めることにする。

輪行(C&C(Combined Cycling))概要
 前回到達の最適地としては「道の駅、なかさつない」。
どうも道の駅って個々の個性が強く、公共スペースと表明しながら輪行の駐車に使うと難癖付ける一部道の駅がある。面倒くさいのは嫌いなので前回発見の河川敷き「スポーツ公園」に車を駐める。
ルートとしては札幌を出て樹海ロードを進み日勝峠を越えて下る時に道々55号線に左折して芽室市街地を越えて国道236号線を目指すことになる。途中道々55号線と道々62号線が複雑に入り乱れるが、これって最新情報を得て下さいとしか言えない。なんせ僕の地図では芽室町市街には出なかったはずなんだが。
 河川敷きまでは札幌から250km程。ここに車を止めて自転車を組み立てる。カートの練習集団が居るがいたって空いている駐車スペース。ま、10年にいっぺん流されることを想定して河川敷きを整備する土建体質に問題点があるのだけれど、それは別のコーナーで。さて、ここから南十勝を目指してスタートを切る。来る途中の日勝峠ではエゾ鹿は目にしなかった。先週のような特異な春の日に国道まで鹿が出てくるのだろうか。途中、テレビでも紹介されたダチョウの牧場を目にした。漠然と道々62号線沿いの芽室町としかレポート出来ないが。

更別(さらべつ)村
 中札内町の道の駅を過ぎてすぐに左に曲がって国道236号線を更別村に向かう。役場間の距離にして8Km程だろうか。途中「坂本直行記念館」がある。寄ってみたいのだが今日は「爆走」、山岳絵画には興味が薄いこともあり直進。ほどなく更別役場に到着。お決まりの記念写真。
 役場の横は大きな公園で国道側には大きなグランドがある。その役場公園の中に茶道で使う茶筅を逆さまにしたようなモニュメントがある。なんだろう。実は開村50周年の記念碑でタイムカプセルが埋まっているらしい。「開村50周年?」。北海道の市町村はのきなみ100周年だと言うのに何故更別村は半分の50周年を数年前に迎えたのだろうか。疑問が沸いてくる。
 僕の地図には無いが(そろそろ買い替えろよなぁ>わし)ここ更別に道の駅があるはず。国道沿いを走ってもその雰囲気が無い。それよりも、さっきから気になるのが右側に延びる自転車専用道路。「聞いてないよぉ」とダチョウ倶楽部のように叫びながら目で追っているとどうやら廃線跡地らしい。前回の「幸福駅」のように、ここには帯広から広尾に向かう「広尾線」が昔有ったのだ。それが、ここ更別では国道沿いなので自転車道になっているらしい。が、正確に「サイクリングロード」になっていないのは、学校の通学路として利用されているらしい。「爆走」では少し不満な舗装状態だが、これで国道を危険を侵して自転車で通学する子供達が救われるなら立派な跡地利用だと思う。
 おっと、あれはなんだ!。プラムハウスなんて看板が出ているが巨大。そう、巨大と言っていいだろう。巨大パークゴルフ場が現れた。うーん、38ホールってことは無いな72ホールだろうか。なんでこんな広大な施設が「村」にあるんだ。ひょっとしてここは北海道一裕福な村なのかも知れない。なんでだぁ? 途中上更別で左に進むと道の駅の看板が出ている。爆走したいのだけれど若干の寄り道をする。

道の駅、更別(さらべつ)
 この更別ってなんか変だ。道の駅で国道268号線と合流する。この合流地点に道の駅更別がある。なんでここに有るかと言うと、この先に巨大(あ、また使ってしまった)「さらべつカントリーパーク」があるのだ。おいおい、ちょっと待ってくれよ。別に「村」だからと卑下する必要も無いけれど、ちょっと都会で集めた税金を投入し過ぎじゃないのか。さっきの巨大パークゴルフ場と言い、なんか違和感が都会人にはあるって気持ちになった。
 ここから国道238号線を忠類(ちゅうるい)村に向かう。途中、自転車を進めながらピッチにレポートを打ち込むって離れ技をしたので必要な道路標識をほとんでお見失ってしまった。

忠類(ちゅうるい)村
 再び国道236号線に戻り忠類村を目指す。おっと、隣は更別村、こちらは忠類村、村と村が隣り有っている。そう言えば出発したのも中札内村。北海道に212市町村あるが、その中で村は24村。それが隣合っている地帯なんだ。国道を進みながら左に役場への看板を発見。国道を離れて役場に向かう。ここでお決まりの記念撮影。ここの役場は診療所が併設(ま、予算的には併設では無いのだろうが)さてれいる変な役場だ。横の公園で水の補給と小休止する。向かいの山がスキー場なのだが、やはり農業中心の町にはスキー場が必要なのだろう。冬の娯楽が役場の使命って感じを持ちながらスキー場を見上げる。
 国道に戻り道の駅を目指す。「道の駅忠類」である。ここは忠類ナウマン象記念館があり、さすがの「爆走」も一時停止で記念館に入る。入場料が300円。これって妥当だろう。前に「穂別、地球体験館」が入場料800円の時に書いたけれど、この種の施設は入場料300円で事業計画を立てるべきと思う。馬鹿なシンクタンクに収支計画を作らせて入場者数を水増ししたり入場料を経費で割ったりして「つじつま合わせ」してもシャーナイって。留萌の海洋博物館とか、反省してるかぁ。
 「忠類ナウマン象記念館」に入る。もちろん300円払って。で、最初から違和感があった。忠類で発見されたナウマン象の骨格は13万年前のもの。一緒に展示されているアンモナイトは1臆年も昔。ここの施設は考古学の昨日と過去を一緒にしてるらしい。「もう馬鹿、馬鹿死ね」と思ったのは年代メチャクチャ。展示物は1億年も13万年も同じ「化石」。だいたい、マンモスってのは13万年しか昔じゃないんだよね。なんで、アンモナイトと一緒に展示されるわけぇ(思わず声が裏がえってしまった)。
 で、MintさんのMint足る部分です、受付の窓口で「学芸員の人に会いたい」って言ったんですよ。そしたら切符切りのオバサンは「学芸員は居ない。でも詳しい叔父さんが居るから呼んでくる」ってこと。聞いてるかぁ忠類村役場。学芸員も居ないのに全国で21体復元像を搬出した忠類村の「ナウマン像」が泣くってもんだ。
恐竜とナウマン象と地球の年代がゴッタニの展示は忠類村すら「ナウマン像」の価値を解ってない、不勉強の極みじゃないか。折角の施設を利用して無知を広報しているってこと。ナウマン象の「化石」は貴重ではあるが、「忠類」の名前が「爬虫類」に飛んで13万年前を6500万年前に飛ばすのはとても知的とは思えない。
 「マモンスの化石」の表現はマンモスの骨格であり化石で無いと思うと叔父さんに話したら、「おっしゃるとうりです。現在発掘された骨は風化しないように道立博物館で厳重に保管されてます」なんて答えた。たしかにパンフレットに書いているように化石の表現はおかしいと納得してもらった。がぁ!インターネットで調べたら、忠類村の「ナウマン像記念館」のパンフレットは正しいらしい。「化石」の用語自体が正しく日本語化されてない。英語の化石は「地面から発掘されたもの」の意味を表す。それを日本語にするときに「化石」としたところに問題があるらしい。「石」と[化石」は学問的にはリンケージしていない。忠類村の施設が「マンモスの化石」と称するのはなんら瑕疵が無いと言うのが専門家の判断。てことは、そう言える学芸員を置けよなぁ。
 この施設は国内では貴重なマンモスの骨格(化石)がどのように発見され発掘されたかの貴重な「記念館」ではある。しかし、展示方法は学術的価値が薄く大正時代のサーカスの価値しか感じなかった。ゲテモノ見ですよ。学術的な考察はいっさい無い。その意味で、博物館的価値は低いと思う。なによりも忠類村の人がナウマン像を大切にしていない雰囲気が残念である。瀬棚町の三本杉岩や日本で最初の女医である荻野吟子発祥の地を大切に思う文化、様似町の客が来れば電気をつける個人的郷土資料館、そしてニセコ町の有島記念館、そこには生活する人々が外に向かって誇りたいって意志を感じた。残念だなぁ、ここの施設にはそれが無い。

大樹(たいき)町
 国道236号線をさらに南下する。ここから急に高度が下がる。つまり下り坂が続く。帯広市近辺で道路縁にある測量標識は海抜150m程だったのだが、さらに下がって海抜50m程になる。快適に坂を下ると大樹町に出る。おっと、忠類村との境界にスペースシャトルの模型が。しかも忠類側と大樹側に張られているので横を通過する瞬間は壁を隔ててスペースシャトルが蝉状態。役場の前のシェルのガソリンスタンドの屋根の上にもスペースシャトルが。
 ま、夢を見ているのですよね。12年ほど昔、横路孝弘が北海道知事だった頃に「戦略プロジェクト」ってのが有って、ここ十勝の大樹町は「航空宇宙産業基地」なんて位置づけられたのですよ。当時の戦略プロジェクトってのは道庁の「不勉強を道庁の権威と思いつきで乗り切る」って感じで、ま、僕のやった農業コンプレックスプロジェクトでの「パソコン通信を使った都市と農村の人材交流」以外は芽が無かったんじゃないかな(自画自賛)。
で、道庁の予算をもらった外郭団体が「航空宇宙シンポジュウム」なんかを札幌でやるもんだから大樹町からは「誠意を見せなくては」ってことでバス3台に分乗して札幌入り、会場では居眠りしてるって感じの、まぁ、なんと言うか道庁の権威ってのは田舎行くと凄いらしいって感覚をもったのだけれど。その過去の遺物「宇宙産業基地構想」が実はここ大樹町では現在進行形と勘違いされているらしい。
 冷静になれよ。北緯40度もあったら、ペイロードが減少するから航空産業基地なんかになれないんだちゅーの。衛星の打ち上げには地球の自転を利用できる赤道直下が望ましいのだから。なんか疲れを憶える町だった。
 そんなスペースシャトルより魅力的な所があった。町を流れる「歴舟川」(おさふねがわ)が日本一の清流と看板が出ている。たしかに太平洋に流れ込む河口まで10〜12キロの位置としては水が綺麗だ。中札内村でも見たけれど、十勝平野は大小を問わず川が綺麗だ。ゆっくり流れる川は淀み易いのだが、十勝平野の川は清流が多い。気になるのは牧畜により流れ出る高富養な水と化学肥料農薬による汚染である。
 そう言えば本別の口蹄疫病の影響なのか、牧場の取付道路には必ず真っ白な消毒薬品が撒かれている。これが道路にまで延びてトラックが巻き上げるので、極力吸い込まないようにしようと思い息を止めて駆け抜けたりするのだが。
 この歴舟川の清流を売り出すのか、劇薬を燃料の酸化剤にしたスペースシャトルなのか、大樹町で議論されているのだろうか。先の忠類村にも言えるが地方の発想の貧困さを打破するのは税金で暮らしている地方公務員の職務なのだ。「民間が出来ないことをやる」。ならば、外から情報を収集し、外に情報を発信するのが地方公務員の責務だ。だから、北海道212市町村ホームページ拝見なんかやっているのだ。大樹町の売りはスペースシャトルの模型じゃなくて、歴舟川じゃないのだろうか。ま、役場が高台に民家を見おろすように建っているそのものに大樹町の問題があるのじゃないだろうか。

広尾(ひろお)町
 ここからさらに南下爆走を続ける。大樹町と広尾町の境の石坂あたりから「目が眩むような直線」が続く。実はこの直線道路には食傷気味なのですよ。たしかに爆走十勝平野とは言うけれどメリハリが欲しい。まったく地平線に霞むような直線を走ると思考回路がボケてくるのを感じる。ペダルを漕ぐ目的が忘れられて、ただ漫然と夢遊病者のように前に進む。これを「十勝直線道路症候群」とでも呼ぼうか。なんか、以外とストレスになる。
 国道336号線との分岐点である和進あたりから海からの風を感じる。気温が下がってくる。国道236号線はここから右折して野塚トンネルを利用して浦河町に抜ける。ここは、一度走ってみたいルートなのだ。今回は真っ直ぐ広尾町を目指す。336号線は広尾町に入ると通称「黄金道路」と呼ばれる。道路を作った時に巨額の資金を要したので「黄金道路」。サイクリストの中には素晴らしい景観を信じて「黄金」と思う人が居るらしいが、正直言ってこの黄金道路は「この道路に巨額の国費を投じさせたのは私の力」って意味の黄金なので勘違いされないように。
ちなみに北海道で最高の夕日が見られるのは留萌の黄金岬で、ここは黄金に呼ぶにふさわしい自然がある(施設は三流だが)。
 昔の十勝博の会場になった「シーサイドパーク広尾」で小休止。この施設にはもはやコメントは不要だろう。町の施設としては大きすぎる。「十勝の一大遊園地」としては小さすぎる。ま、町の規模を越えた大きさってことは「失業対策事業」なんだろう。不必要な税金の投入で雇用を確保しているのだから。
 僕は子供の頃から小樽に育ったので「失業対策事業」が無意味とは思わない。地域の雇用を補填する役場の政策は必要な場合が多い。但し、昔の小樽市は失対事業で公園の草刈とか、道路の清掃とか、ま、あってもいいな的な仕事に終始していた。それは「食って終わり」である。
 最近JRと国労の関係が再度クローズアップされてるが、北海道の500人を越える国労のJRに雇用されなかった人々が闘争を続けながら結構地方で産業起こしている。無から有の精神で、地域興しに貢献している。有の保守的な継続のための継続みたいな政策はごめんこうむりたい。
 広尾町役場に到着。ここは漁業の町なのだろうか、十勝港を持つ港町なのだろうか。最初に「十勝港」なるものを見て解った。ここは漁村である。「十勝港」はあまりにも名前が重い。十勝ワインと比べて100分の1程度の知名度と施設規模だろうか。ここで上陸してサイクリングをはじめる人間は少ないだろう。帯広空港からがお勧めになる。
 ま、今回の4町村は、見識が深まったが、僕の価値判断ではBクラス。それも走ってこそ解ることなんだから、貴重なんだけど。
 しかし、これは帰ってからの考察なのだが、十勝に多い「村」の本質は大規模農業が招いた結果のようだ。単純な統計だが中札内村と芽室町を比べると一人当たりの農業粗生産(あくまで、粗生産)は倍近くある。土地は1.5倍程、更別村、忠類村も中札内程では無いが芽室町を5、6割上回る。つまり、機械化等で大規模経営が結果として広い農地と少ない人口になっているようだ。人が少ないから町並みはBクラスに見える。しかし、農業ってのは無から有を興す。域外収入が域外資支出を上回る。結局手厚い地方政策にも支えられてインフラの整備が進み結果的に豊かな社会資産を少数の人間で利用する社会が出来上がるのかもしれない。これって、若者には物足りないのだろうが、家庭を持って子供を育てる世代には魅力的だと思う。そのような人たちの従事する産業を興せば以外とAクラスな町並みが出来るのかもしれない。楽しみな未来に向かっての預金だと思うとなんか楽しくなる。
 さて、帰りはピストン・コース(同じ路を出発点に戻る)は避けたい。大樹町から前回もお世話になった道々55号線(清水大樹線)が延びている。こちらを利用して中札内に戻ることにする。途中和進で「中川一郎記念館」に触手が動いたのだけれど、そのまま大樹町に向かう。忠類村の「マンモス記念館」の件が無ければ寄りたかったのだけれど、ここで展示にイチャモン付けてもめるような感情がこの時はあったのでパス。
 大樹町で左折して道々55号線に向かう。緩い登りが始まる。おっと、路の左に先ほどの歴船川が眺望できる。春まだ早いので木々の葉が伸びていないのでよりはっきり川が見える。こんな風景はあまりお目にかかれない。
 一時更別村に入る村営牧場のあたりかで峠を越える。ここからは一気に下って道々111号線に合流して中札内に向かう。おっと、現れた放し飼いの犬。これって苦手なんだよねぇ。「犬は時速30km以上で走れない。自分のテリトリーより外まで追わない」の原則(って、僕が勝手に決めたのだけれど)に従って時速40kmで一気に駆け抜ける。アスファルト道路を必死に追ってくる足音と吠え声を聞きながらヌンチャクを振り回して「猛犬ラッシー」退治しながら世界自転車の旅をした紀行記を思い出す。今度ヌンチャクでも装備しようかしら。犬問題の対処方法を考察している人はここにご連絡を。
 中札内戻ってスポーツ公園のデポ地点に戻ってつくずく十勝は広いと思った。
2000.05.27 本日の走行 126km

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