ふるさと銀河線......本別、足寄

コース概要
 地図を見ていると、先の池田(いけだ)町から通称「ふるさと銀河線」が北に伸びている。正確な名称は「北海道ちほく高原鉄道」なのだが、国鉄の民営化後に廃止されるローカル線だったのだが、第三セクターとして唯一生き残った鉄路である。国鉄時代の名称は「ちほく線」だったと思う。ま、噂話だが、国としても国鉄民営化で地方の線路がバタバタ廃止され「地方切り捨て」と非難されないために北海道では深川・名寄間の「深名線」か池田・北見間の「ちほく線」かを第三セクターで残したいと当時考えたのだが、「日本一の赤字線「で有名な当時の長谷部町長の美深駅が近い深名線は見送られ、人の良い北見市長が社長をOKしたのでちほく線が残ったという説がある。
また、一方では旧国鉄の機関区のあった池田町の清算事業団への移籍を減らすために新会社が必要だったとの思惑もある。
 ま、毎度のことであるが、誰が見ても「うまく行く訳が無い」話を地方を理解していない東京の官僚が采配して、それに乗った顛末として象徴的な事象は沢山あるが、そのひとつが「ふるさと銀河線」とも言えるだろう。
 とまぁ、背景は別にして、過去にもしくは現在鉄路が有るってことはサイクリストの目から見れば「勾配が緩やかな所を選んで敷設した」跡である。このルートを利用しない手は無い。しかも、この路線は十勝平野と道東の北見市を結ぶ路線でもある。
輪行概要
 お決まりの日勝(にっしょう)峠を越えて帯広市をバイパスするように道々75号線を東に進む。この道が国道241号線に合流した地点をそのまま直進して再度国道241号線に出会うT字路を右折して道々73号線に左折する。
池田町のJRと銀河線の交差した駅舎の奥に公共駐車場がある。割と余裕があるので、ここの近辺をサイクリングしたい向きには有効な駐車スペースと思われる。札幌から255km。約4時間を少し越えるドライブとなる。
 ここで自転車を組み立てて銀河線に挑む。

本別(ほんべつ)町
仕事で今年の3月末に車で来ているので新たな情報は少ないのだが、面白い町である。僕の市町村の栄枯盛衰の方程式は「栄えている町の隣町は衰退している」なのだ。実際町の税収を考えると固定資産税と市町村税くらいしか独自財源は無いのだが(あ、軽自動車税なんてのも有るけど)市町村の「経営」が税収だとしたら、域外も含めて集約する力が有る町と無い町。当然隣接しているので、隣町を喰うか喰われるかが市町村経営の基本になってしうことはいたしかたない。
 で、長い話になるが本別町は親戚が赴任していたこともあり結構訪れた事がある。で、町並みを見ると隣の市町村と言えば池田町、足寄町あたりか。浦幌町とか白糠町とかとも町村境界を接するがはなはだ遠いのでこの2市町村だろう。どちらも、ま、池田町はそれなりに衰退しているが(陳謝)、そんなに本別の一人勝ちでは無いような気がする。
 ま、先入観を振り払って自分の足で池田町から本別町を目指す。
池田町から本別町へは国道242号線が有るのだけれど、「ふるさと銀河線」に添って北上する。JRと違い地域に密着している「ふるさと銀河線」なのかどうか、これは駅舎を見れば解ると思う。そのために鉄路に添って進むことにする。
ちなみに今日のコースでは池田町を出てから、様舞(さままい)、高島(たかしま)、大森(おおもり)、勇足(ゆうたり)、南本別、岡女堂(おかめどう)、本別、仙美里(せんびり)、足寄(あしょろ)となる。
 池田の町を鉄路に添って北上する。途中鉄路を越えて「根室本線」に別れる。ほとんど直線の道を北上する。若干の追い風が平均時速30kmで後ろから押してくれる。途中高島で国道242号線に合流する。
 追い風に文句は言いたくないのだけれど、追い風故に身体が風に当たらない。そのために、かなり汗をかく。本別町の勇足に入ったあたりで「勇足小学校」を発見。ここで小休止して給水する。実は、今日のコースを考えて糧食はおにぎり2個。なんせ、先週の暑さで食欲無しを考えて特にコンビニでの購入を控えた。がしかし、考えが甘かった気がする。今日のコースは往復100km程。すると2時間おきに補給するとして3回。しかし、1回分しか用意していない。ま、先々でなんとかするさ。
 「岡女堂」って変な駅にであう。ここはビアガーデンなんだろうか。名前からするとお菓子でも造っているのだろうか。この工場専用の駅舎が建っている。なんか余所から来た者にも分かりやすい表示は出来ないものだろうか。
 緩い坂を下って本別町市街地に入る。こんな緩い坂があるなって車で来たときには気がつかなかった。本別町の役場の前の公園で小休止。噴水がある公園ってなんか贅沢だが、十勝では流行なんだろうか。音更町にも有ったし、池田町の駅はワイクグラスに注ぐ噴水があった。短い夏を象徴するのが噴水のある公園なのだろうか。
 足寄を目指してさらに国道242号線を北上する。途中仙美里で公園になった「仙美里多目的集会施設」ってのに出くわす。このサイズがいいなぁ。豪華絢爛大施設では無く、子供を連れて来て子供は表の滑り台で遊ばせて親は地域のイベントの打ち合わせ。そんな使い方が出来そうな施設だ。普段着で集まれる集会所。そんな雰囲気が伝わってくる。あとは、使う意識だろう。このような施設を各地に分散して造れば良いと思う。ついでに、ここにISDNを引いてインターネットが出来るようにして、なんて学校とひと味違う(学校施設を借りて酒飲んだり、アダルトページ見れないよなぁ)地域の集会場に育てば良いと思う。
 施設を見ていると近くの踏切の信号が鳴っているのが聞こえる。おっと、池田から1時間鉄路添いを走ってきたのに初めて「銀河線を走る列車」に巡り会えた。右から左に1両編成(1両で編成と言うのかな?)が走って行く。乗客? ほとんど見えない。
 仙美里橋を(これって、30年くらい前の橋じゃないんだろうか。やけに狭い)越えて足寄町に入る。

足寄(あしょろ)町
 足寄町には思い出が有る。独身時代に会社の夏休みを利用してバイクで北海道各地を回ったのだけれど(と、言っても2年2回だったが)阿寒湖を越えてここ足寄で1泊した。飛び込みの旅館で1泊したのはその時が初めてだった。旅館の娘さんに「バイクで旅行なんてうらやましい」と言われた。当時は、「ミツバチ族」なんてのは無くて、「カニ族」の時代。国鉄の周遊券を利用して北海道を回る若者に「ちほく線」は魅力が無くあまり人が入っていなかったのだろう。飛び込みの「一元さん」を迎えてくれた旅館に思い出はつきない。
 国道241号線と242号線の分岐点に足寄物産館がある。駐車場に入ると松山千春の曲が流れている。おぉぉ、足寄も変わったなぁ。足寄町の最初の印象はこれであった。
実は25年前も旅館の娘さんに「足寄って松山千春を生んだ土地ってイメージなんだけど、知ってます?」って聞いたことがある。「そんなに有名だんですかぁ」が返事だった。それから25年、町は変わったのだろう。当時、国鉄の足寄駅で硬券を買ったのだが、その駅舎は、ま、なんと言ったら良いのか「ぽっぽや」の駅並だった。ところがぁぁ。銀河線ホール21とかなんとか、綺麗に生まれ変わっている。
 とりあえず駐車場としてこの銀河線の駐車場をチェックする。公共駐車場として十分使えそうだ。一応チェック。ここから町を視察。役場での記念写真もゲットしなくては。
確か25年前に泊まった宿は駅前から500m程、駅前に戻って進むと、おお、まだ営業している。足寄町の野中旅館を発見。ここが25年前の僕の旅の原点かもしれない。しかも、その向かいが役場。役場と記念写真とりながら旅館の写真も撮っておく。
ここから阿寒町に向かう道は昔よりも整備されているようだ。25年って月日を体験すると共に「旅」は若いうちにやっておくと年取ってから楽しみが増えるものだと感じる。ソニーの盛田昭夫さんが書いた本(MADE IN JAPAN)を最近読んだのだが、盛田さんの父親は「勉強はお金を出せば出来ると言ったものじゃない。だけど、唯一、お金で勉強できるものがある。それが「旅」だ。旅をしてこい」と言って、あちらはスケールが大きいから海外旅行だったりするが僕もこれは本当だと思う。若いときに金も無いけどギリギリの金で旅行した人間は精神的に裕福な人生が待っていると思う。その体験をここ野中旅館の前で感じた。6月の終わりでまだ夏休みに入っていないのでこの時季にサイクリストと会うことは希だ。しかし自分の足で大地を踏みしめて北海道を旅した者は卒業旅行と称して自分の周りも解らないで海外に飛ぶ人間の何倍も将来への蓄積を得ることだろう。
 どうだろう。広い北海道なのだから旅を体験して学び人間形成を計る「旅大学校」なんかやったら。その時は「非常勤講師(SMILE)」にでも呼んでもらいたい。
 足寄から銀河線を進むと「陸別(りくべつ)町」。北海道の212市町村を自転車で回ってみたいと考えた最初の時から悩んでいたのがここ陸別町。どうやってアプローチしたら良いのか思案どころ。十勝平野の北であり、オホーツクの玄関口である北見市につながる。が、周辺の何処からも遠い。結局「完全攻略ふるさと銀河線」の一部としてクリアーしておくことになりそうだ。さて、地図を見ると道の駅「足寄湖」がある。ここまで出て道々88号線「本別留辺蕊(るべしべ)線」を本別に戻るルートがある。先ほどの足寄物産館に戻りT字路を西に向かう。左手に「足寄恐竜生物博物館」がある。どうしようかなぁ、寄ろうかなぁ。たまたまこの道が登り坂だったので、ちと小休止して考える。糧食もチーズが少しあるだけ。これから進むのは「ふるさと銀河線」。先にあるのは陸別町、そして、オホーツクの置戸(おけと)町。結構距離がある。そのためにも少しでも先にデポ地点を確保しておきたい。とりあえず足寄の町に戻り陸別を目指すことにする。

愛冠(あいかっぷ)駅
 何となく「ふるさと銀河線」の駅はそれぞれ駐車スペースが用意されているようだ。足寄の先は愛冠駅がある。とりあえず、ここまで行ってみることにする。どうも、足寄駅の駐車場は華やか過ぎてデポ地点として誰かに文句を言われそうな気がしたから。若干の登り坂を北上する。それにしても日本一広い町である足寄を突ききるのは長い。
バイオ研究所なんて看板を見ながら(ここって、食品加工センターなのかな)北上を続け愛冠の看板を見つけた。同じ看板の下に「愛の泉」と書いてある。国道を右折して駅に向かう。おうおう、駐車スペースも有る駅だ。駅の前に自然湧水なのか水のみ場がある。ここで小休止。用意されている駅の名前の入ったコップで水を飲もうとしたら蜘蛛が「お休み」だった。いったい、ここに人が来たのは何日前? とうれしくなってしまう。
ここで給水、うんうまい水だ。バラックの駅舎に入ってみると寄せ書き帳があった。パラパラと見てみると結構隠れた名所なのが解る。「愛の泉」って昔トワエモアが唄っていた「遠い北国の町、愛の泉があぁった」って曲だけど、その歌とは関係無いみたい。
貼ってある料金表をみると、池田町からここまで1,170円。この分を走ってきた訳か、なんか儲けた気がする。それにしても35km程。JRと比べても2倍近い料金だ。駅舎の外の信号機が鳴りだした。おお、2両目の出会い。ホームでカメラを構える。おっと、急行ってやつかな。素通りしていく。
次回、ここから陸別をめざそう。ここまで来て正解だった。再度足寄を目指して今来た道を戻る。少し向かい風がキツクなった。もしかして、午後には強くなる風が吹いてきたのだろうか。
 足寄の町に再再度戻り、さっきから気になっていた「千春の家」看板を再度見つめる。実はさっき地図をおおざっぱに見て探したのだけれど見つからない。ま、今度が最後と思い地図に誘導されて「千春の家」に向かう。まさか「創価学会足寄支部」の近くでは無いだろうとの先入観が間違いだった。自自公、おっと今は自公保か、の時代、松山千春の実家が創価学会足寄支部の隣に有ってもたしかのおかしくは無いのだ。
急遽壊した駐車場のブロック塀を見ながらこれから足寄町と松山千春が馴染んでいくのかなと感じた。それにしても町中の松山千春の看板は昭和50年代の髪フサフサ写真。たしかに、今の写真では「サンプラザ中野」と違いを書き分けられないのかもしれないが、結局歌で勝負だろうがぁ。木村拓也と争ってどうする>千春。
しっかし、しっかりミーハーな僕はそこを背景に記念写真をとったりする(情けない)
 さて、次回への展開もしっかり確保だし、池田町に戻る。途中恐れていたように行きは追い風だった風が強くなり向かい風に変わる。糧食がほとんど無いので自動販売機のジュースでごまかす。これが良くないのか急に寒さを感じる。ジャージの裾下げるが向かい風が冷たく感じる。昔はこんな時に足に来て、足がつったりしたおだけれど、最近はそれは無い。ただ、サイクリングの大敵はハンガーノックなのは今も変わらない。本別の駅前の食堂に寄ろうかとも思ったのだが、向かい風を受けているうちは汗も乾くので気にならないが、ここで止まって店になんか入ると滝のような汗が流れるのが気持ちが悪い。「本別公園」の看板が足寄から出ていたので寄ってみようかと思ったんだが結構登りが迫ってくる。残念ながらぱす。
 結局、ほとんど休みを取らずに足寄から池田まで40km程を一気に走ってしまった。ピストン・コースはどうも同じ道を往復するってことで帰りに楽しみが無い。このあたり、工夫が必要かもしれない。
 帰りの車の中でコンビニで買ったソーセージや海苔巻きで補給したが、食べ過ぎてかえって体重が増えたのじゃないだろうか。ここも、課題かもしれない。
2000.06.24 本日の走行 114km

表紙 一覧
All Right Reserved By Mint