林業地帯..津別町、美幌町、端野町

コース概要
 オホーツク海を目にするのも近い。前回の北見市からのスタートとなる。陸別町と並んで周辺市町村から遠い町が津別町と言える。阿寒湖に抜ける道が美幌から伸びているが、津別町から阿寒湖畔の弟子屈町までは89km。一番近い美幌町は16km。津別町がいかに南から離れているか解る。
しかし、北見市から北見津別線を利用して津別町、ここから国道240号線を美幌町で出て、国道39号線を端野町を経て北見市に戻るサークルコースが設定できる。
銀河線を攻略中は考えられなかったひさしぶりのサークルコースになる。しかも小さいながらも「開成峠」がある。ひさしぶりの峠越えでもある。
輪行概要
 前回帰路に使った石北峠越えで北見市に向かう。朝5時に出発できなければ次週に伸ばそうと考えていた。実は1週間空いたのは先週は札幌は晴れていたのだけれど、オホーツク方面が雨が残っていたため。
 札幌から片道320km。直線距離にして200kmも離れていると、行き先の天気予報が重要になってくる。これに威力を発揮するのがインターネットのレーダーアメダス。降雨の移動状況が1時間後、3時間後と見比べて雨雲の進行方向を知る事ができる。
ルートは札幌から275号線を北上し、滝川市で国道12号線に合流する。ここ合流地点では倒産した北海道拓殖銀行のビルと営業譲渡をされた北洋銀行のビルが十字路を挟んで向かい合っている。現在はどちらも青い「北洋銀行」の看板を掲げているので、経緯を知らない人は違和感を感じるだろう。
 旭川をバイパスして石北峠へ。
 要注意なのは層雲峡あたりから突然の渋滞が度々あること。観光道路に曲がる車が数台でも平均時速80km/hのコンボイ(笑い)は渋滞する。
 石北峠の頂上は要注意。ここでワンボックスに乗った若者にあやうく車をぶつけられるところだった。
 状況はこうである。石北峠は旭川から向かうと頂上は緩い左曲がりのカーブになる。車の右のウインカーを上げて道路向かい側の駐車場に車を駐めようとしたらしいのだが、停車すると左側にも駐車場があるのを見つけ、右のウインカーを点けたまま左にハンドルを切ってきた。
こちらは、右のウインカーを信じて左から追い越す途中だったので、目の前を車が横切っていく。あわててブレーキを踏んで事無きを得たが、後ろの車もこちらに追突寸前。
どうも、腹の虫がおさまらない。駐車場に追いかけ、止まった車の前に逃げられないようにこちらの車を止めて怒鳴りつける。見ると茶髪のヤンキー。
「ウインカーの出し方が違うだろうが。左に曲がるとき後ろ見てたか!」
「はぁ? なんだよぉ」
あ、馬鹿なんだ。こうゆうやつは相手にしないほうが良い。
「馬鹿野郎、こっちが注意してたから衝突しなかっただけだ。何処に目付けて運転してるんだ。お前なんか車の運転なんて10年早いんだ。ミニ四駆ででも遊んでろ馬鹿!!」
一気にまくしたてて拳を振り上げてやる。
さて、逃げるか(笑い)。
「大馬鹿やろうぉぉぉ!」駐車場に居る人間全部に聞こえるように大声を出して、車をスタートさせる。追ってくるなら追ってこい。この先はかなりのカーブが続く、追いかけてきたら振りきってやる。ワンボックスとこの車ならカーブで10km以上こちらが早い。楽しみにしていたのだが(笑い)、追ってこない。
 免許を取った時、先に書いた北見の野付牛自動車講習所、就職試験で何度が無断欠勤したのだが親切に教えてくれた先生が路上運転の時に横から飛び出してきた車がいて急停車したら「ちょっと待ってろ」と助手席のドアを開けて車を降り、飛び出して来た車の運転手とやりあっている。
実は急停車するまで助手席で寝ていた(笑い)のに。
「車の運転って作法の悪い奴に巻き込まれる自分ではどうしようも無い「貰い事故」ってのがある。それを防ぐには作法の悪い奴を諭さなければならない」
「今がそれってことですか」
「あ、今は講習所の教官だから、おだやかに」
「普段はどうするんですか?」
「馬鹿野郎、何処で免許取ったんだ。テメーの運転じゃ、あと2年は生きられないぞ。未熟者は死んでしまえ、馬鹿。って怒鳴る」
「それって、教育的指導とも思えないけど」
「うん。自分のストレスを発散させないと自分が事故を起こす。だから、車の運転って怒鳴りまくりってこともある。だけどな、外車のヤーサンにはにこにこ笑って道を譲る」
「それって、卑屈じゃないです」
「生活の知恵と呼べ。じゃぁ、講習続行」
と言ってまた助手席で寝てしまう(笑い)。
どうも、学生時代の土地に近づくと30年も前のそんな話しを思い出してしまう。
車は、野付牛(自動車講習所は北見市の南西なんだけど、実際の野付牛は町の北東)公園の駐車場に車を止める。

いざ出発
 すっかり、ドライブ紀行になってしまった。ま、車の運転12時間。自転車5時間って地帯をツーリングしているのだからしょうがない。
 北見市の野付牛公園の駐車場はわりと混んでいる。もう少し先にも駐車場があるのだけれど、やはりここに駐車したい人が多いからだろう。いちおう、コソコソと駐めて自転車を組立て出発。おっと、ボトルが無い。出発の時に絶対忘れてはいけない物として、「サイクルメーター」(これが無いと走る意味が無い)、「地図」(これも無いと走れない)、「帽子」(これが無いと熱射病で死ぬかもしれない)、そして「水筒」なんだけど、5時に出なければってアセリがボトルのチェックを忘れてしまった。
結局、ボトルホルダーを曲げて、北見のコンビニで買った500ccのペットボトルを装着した。
 北見の町を西に横断して、前回来た道々50号線を進む。おっと北海学園北見大のテニス・コートが整備されている。前回の悪口レポート読んだのかな。途中のT字路から左に曲がって、道々27号線「北見津別線」に入る。
地図を見ると「開成峠」がある。うるおぼえの記憶では結構な峠で丁度北見市と津別町の境になっている。昔バイクで走り回っていた頃にこの峠を越えると北見だって感覚を得た峠だった。ここを、逆に津別町に向かって登る。あっと言う間にボトルホルダーの水が無くなる。サイクルバッグに別に2本ペットボトルを入れているのだけれど、これは予備、早速見つかった自動販売機で1本追加。購入時に峠越えにそなえて小銭を極力使って購入。(そんな、配慮するなら、自分の体重を落とせの声あり。76kgは多いわなぁ)
さほどの苦労無く峠到着。あれ、こんなだったっけ。

津別(つべつ)町
 予想外だったのだけれど開成峠を越えて下り坂になる。これも緩い下り坂で快調にペダルを踏む。
 出たんだよねぇ。最近、気になっている「放し飼いの犬」。遠くに犬の吠える声が聞こえたので注意していると、繋がれた犬が吠えている。だけど、繋がれていないのも居るみたい。近づくと出てきた、出てきた。とっさに、反対側の道に逃げる。後ろから来ている車の音がまだ小さいので一気に右に逃げる。相手も(って、犬なんだけど)賢くて、道路を渡って追ってはこない。これが使えるのは緩い下り坂であって、風が弱かったから。向かい風が強かったりすると、後ろからの車の音が聞こえないので、うかつに右に避けることはできない。やっぱ、バックミラー付けようかなぁ。
最近考えるのだけれど、動物って高い所から見おろされるのが恐怖なのではないだろうか。何故恐怖なのかは知らないけど、目線だけで言えば、自転車って結構高い位置にあるから狙われるのかもしれない。
そんな、こんな、で、津別町到着。
 北見から津別町へ開成峠を越えて向かうと、津別町の市街地を外すようで、何回か左折「津別市街地」の看板に「誘惑」(笑い)されたが、無事津別町の役場に到着、お約束の記念写真。
 津別町を合宿で利用するグループ名が期間とともに看板にして掲示されている。それも役場の前で積極的に掲示している。これって、悪くとれば、「地域のよそ者に名札を付ける」って行為かなぁ。ま、単なる自慢なのかもしれないけど。これって、域外から来た人にどのように見えるか、それに、どう説明するか。難しい問題だと思う。
それにしても、町の中に木の香りが流れている。フィトントチットだったっけ、すがすがしい。町の商店街の看板がも木の町を表している。木で作られてた看板が各店に下げられている。いわゆる、商店街を根こそぎ作り直すのと違い、店はそのまま、看板だけを木で出来た看板に緩やかな統一。なんか、いいなぁ。幼稚園の看板まで同じだったのはほほえましい。
 津別町中学校の校庭でしっかり昼食。木の香りがスガスガシイ。これって、丸玉産業だよね。ここ、津別町の発展に何を貢献しているのだろう。法人税だけでは無いと思うが。
 昼食と水の補給をして国道に戻ろうとしたら、なんだ、やっぱりここ津別町にも有るのかぁ。『津別、農業者トレーニングセンター』何をする施設なんだろうか。まさか、農業従事者が「ランボー」のようにトレーニング・ジムで筋肉質の身体を作っているのでは無いだろう。そもそも平均年齢が結構高いのだから、そんな肉体派の農業従事者って必要なのかぁ? 知識を高めるのなら「養成センター」とか「研修センター」ってネーミングだろうに。
 これも、農水省の予算獲得のためのネーミングなんだろうなぁ。全国各地に「研修センター」作る予算計画だと画一的と見られるから、ある時は「文化センター」、ある時は「研修センター」、そして「トレーニングセンター」、しかしてその実態は「公共事業の捻り出しの技」。
 東京でワープロの文字だけで物事を決めているから、こんなことになる。津別町に必要なのは僕がポートランドで見た(あ、「Mint私小説」に旅行記があります)フォレスト・センターみたいなもの。大きな目的は森林を火災から守ろう。そして、森林が我々に与えてくれるもの。ってコーナーには横30mに渡ってルアー釣りの竿が立てられ、ルアーが壁一杯に飾られている。キャンプを楽しみ、カヌーで下る川が、実は森林の副産物だってことを教えてくれる。
 この建物は、日本では農水省が音頭をとって、林野庁、建設省河川局、自治省消防局、なんかが集まってこそ出来る施設なんだが、行政の縦割りが未来永劫こんな施設を地方に作ることはしない。地方が発想して必要な機関から少しづつ予算を集めて、本当に必要なインフラ(文化的インフラを含む)を作って行かなければ地方は死ぬな。
 みんな、同じ施設。ただ、「文化センター」には誰も使わない郷土図書室(たぶん、余った本を寄贈してもらった部屋)、「研修センター」にはパソコンも無いくせに、液晶プロジェクターと移動式スクリーン、「トレーニング・センター」にはルームランナーとぶら下がり健康器(大爆笑)。
 こんなんじゃ駄目だぞ「津別町」。あの木で出来た商店の看板を傷みが激しいものを取り替えて、古い物を歴史として掲示する博物館作れよなぁ。当時の店構えの写真とともに蓄積すれば、立派な郷土資料館。トレーニング・センターでムキムキ・マンやってる場合じゃないって。  津別の町は「密かに」魅力有る町になっていると思う。趣旨は不明だが、津別町を合宿の地として選ぶ企業、学校の団体も増えている。あとは、その輪をどう広めていくかだろう。もっとインターネットを活用しても良いのではないだろうか。おっと、「top gun」は、50で締切だから212市町村ホームページ拝見も見てね。J1の席はあと40だから。

美幌(びほろ)町
 津別町で国道240号線に合流して北上する。丸玉産業の広大な敷地に積まれている丸太からの木の香りがすがすがしい。それにしても周辺を見るとそれほど山林は無い。遥か南の阿寒町までの間に伐採可能な森林が広がっているのかもしれない。時間が無いので行かなかったが、「津別21世紀の森」が津別町の南にある。ここあたりでヒントが得られるのかもしれない。
 道は単調、若干の向かい風、十勝で見たような「地平線まで続く道」がまた現れた。若干のアップダウンが飽きさせない。たぶんこの道は学生時代も走ったことが無かったと思う。美幌町到着。おお、昔とは全然違う。大きな商業都市になっている。だって、役場を探しに迷ったのだから。昔は北見と網走を結ぶ中継点って様子だったのだが、今は立派な中核都市になっている。
 国道240号線と国道243号線、そして国道39号線が交わる地の利って、町を発展させたのだろう。数十年の時代を考えると、人口の少ない道東では「道」が一つの市町村発展のキーワードなのかもしれない。もはや、鉄路が地域を発展させるのでは無く、車が人的交流の基盤になっているのだろう。であれば、「実験的3セク、ふるさと銀河線」なんて、なんで金を使って駅舎作る必要があるのだろう。地方切り捨ての免罪符として、土建屋に一過性のボタモチでお茶を濁す。こんな体質もう止めようよ。
 迷った後で役場到着。ここの藤棚の下で小休止。役場の看板が直径80cmくらいの生木に刻まれているのが、ここも木材を中心に発展した(が、今はサービス業の集積)歴史を物語っている。
 次回の訪問の駐車場を探さなければならない。地図では「柏ヶ丘公園」があるので目星を付けていたのだけれど、ここも「迷った」(笑い)。丘に向かう坂を登ってやっと到着。ここは野球グランドと陸上競技場のある場所。車を駐めるスペースはある。
 ここを後にして国道39号線にを北見市に戻る。途中に端野町がある。

端野(たんの)町
 学生時代に大学の寮では、北見から網走まで自転車で往復するのが新入生の義務みたいな事があった。当時は、「自分の足でオホーツクの海を見たか!」みたいな、仲間のステータス・シンボルみたいなもので、週末(と、言っても当時は日曜日だけなんだけど)何人かがチャレンジしていた。悲惨な者は朝6時に出て夜の12時頃に帰ってきた。翌日大学を休んで唸っていたりした。
 当時、僕は仲間と二人で朝6時頃出て夜の7時頃に帰ってきた記憶がある。地図を見ると往復で100kmを若干越える程度か。今なら、実走6時間+休憩2時間で8時間程度で完走できると思うが。
 その懐かしい道を北見市に向かっている。30年程前に自転車で走った道。実は、記憶がよみがえってくるのですよねぁ。12時に帰ってきた者が「泣きの押し」と言った二見ヶ岡への登り。これって、往復の最後ではさすがに「泣きの押し」と呼びたくなるよなぁ。そこをギアを落として少しづつ登っていく。昔この道を暗くなる頃登ったんだと思うと感慨もひとしおである。
 火災殺人事件があった、ドライブイン跡を過ぎると登りも終わり。このあたりに広い駐車スペースが有る事を確認。目の前に見える北見平野(って、言ったっけ?)に向けて坂を下る。
 30km/h程で快適に坂を下っていたら、あ、シマヘビの死骸、一瞬の目の判断を身体に伝えて避ける「ま(間)」を逸してしまった(自転車って体重移動が針路変更だから、たまに、10分の1秒くらいの判断の遅れで事故ることあるよね)。ありがたい事にシマヘビさんが避けてくれた。え!、ぎゃぁぁ、生きたヘビが道路で日向ボッコしていたんだ。
犬とシマヘビのリャンハンかい。裏ドラあったら満貫じゃないか(意味不明)。
 てなことが有って坂を降りた所は「端野町」。
 国道を左折して市街地で役場に出て記念写真。
「カレーマラソン」って知っています? 家族総出でカレーライスの材料を取りに走り、材料集めてカレーライスを作るってマラソン。ま、最初の年はテレビにも出たけれど、最近はとんと聞かない。が、やっているのですよね。
 端野町の感想はあまり書きたくない。何故かと言うと、もはや単独の市町村の体をなしていないから。このまま放置するのはどうかと思う。JRの駅の前、普通は「駅前」と呼ばれるのだが、ここは「住宅地の一角」みたい。
 僕の持論に「栄える町の隣は衰退」ってのがあるのだけれど、美幌町と北見市に挟まれて、やはりと言わざるを得ない。実質的に「北見市端野町」になぜならないのだろう。

国立北見工業大学
 なんで、市町村と同じスレッド扱いするんだぁの声あり(笑い)。
紀行記なんだから、紀行記に徹すれば良いのだけれど、ここだけは「お代官様、お目こぼしおぉぉぉ」(笑い)。
 先の駐車場所として利用させてもらった「野付牛公園」は大学に隣接している。許可も無く(って、僕が許認可権があるのでは無いのだが)途中に「北網圏文化センター」なんてのが出来て、我が大学と公園は分離されてしまった。
 端野町から市街地が続き、最初に出会うのが「北見柏陽高校」。これって、ラグビーで全国区なんだけど、北海道ラグビー協会の不正経理で、全国大会辞退とかで勢いが無い。
それを過ぎると、金星ハイヤー(これって、昔も今もある)。そして500m程で右折すると大学への登り坂がある。標高差30mくらいかな。
その坂を自転車で降りてくるギャル。これって、大学生?
 そもそも、北見工業大学は短大(この言葉21世紀には無くなるんだろうなぁ)として地元の誘致運動の中で実現し、僕は卒業者名簿を見ると4年制になってからの6期生らしい。当時、お金を出した東急グループ(当時の金で5億円出したらしい)の名前も知らないが「五島さん」だっけの銅像が学内にあって、学生運動華やかな頃だったので学生が皆でペンキ掛け、大学が清掃するイタチゴッコがあった。
 当時は、電気工学、機械工学、化学工学、土木工学、開発工学(ま、カリキュラムは「寒冷地土木工学みたいなもの)の5学部で、1学年200名。最近はやたら学部が増えている。工業大学の常として「情報工学」なんてのがある。
 我々がトウキビを盗んだ農場は今は「先端技術研」みたいな建物が建っている。そもそも「下宿」なんて看板が家の屋根に上げられている。農業は不動産業になるって帯広市農協のてつは北見でも実施されてるんだぁ。当時は、学生を下宿させると全共闘の巣になるって敬遠されたものだが。
 なつかしの「図書館」の前で記念撮影。昔、ここの2階がコンピュータ(メモリー32kの沖タック)センター(たしか、センターって名称だった)だったんだよね。
 北見市は「下宿の町」になってしまったんだ。隣の「端野町」への配慮の余裕も無い。ま、いいけど。
かつてこの街に住んだ人間として、思う所は多々あるのだけれど、それはここの話題か
 とにかく。楽しみながら懐かしく回ったコースだった。
2000.08.12 本日の走行 80km

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