北へ.......中川町

コース概要
 10月になると言うのにまだ走っている(笑い)。北へ向かう最後は中川(なかがわ)町。宗谷本線に添った国道40号線を進む。
ここから先は2年ほど前に訪問済みの幌延町、ここから先はオホーツク海を目指して東に進むことになる。
 前回、富和トンネル直前まで脚を伸ばしているので、このトンネル直前の駐車スペースからの出発となる。往復40km程のピストンコース。時間的な余裕があれば、一度、音威子府(おといねっぷ)に戻り、道の駅に車をデポして国道275号線を中頓別(なかとんべつ)へ向かい、道の駅「ピンネシリ」に次回のデポ地点を確保しておきたいところ。変則2経路に挑戦する。

輪行概要
 今日の走行距離は40km程と思った瞬間に、札幌を出発するのが6時になってしまった。計画の道の駅「ピンネシリ」は既に計画から外さざるを得ない。札幌を出て国道275号線を北上する。今日のドライブのコースは「徹底的に国道275号線」と言って良いだろう。地図では国道275号線は札幌から浜頓別町まで走行距離281.7kmの国道。途中、国道40号線との重複区間があるのだが、この道を一歩手前の音威子府町まで走る。
途中、朱鞠内(しゅまりない)湖の東を通るのだが、朝方の朱鞠内湖は背から太陽を浴びてとても美しい。実は去年の7月にここ朱鞠内湖の西周りを車で走ったのだけれど、その北欧のフィヨルド(って、パンの北欧のポスターで見ただけだが)のように森が湖に切れ込んだ谷の風景に唸った。朝ならではの写真をと思い、展望台で車を駐める。
おおっと、北電の水力発電ダムとは言え、展望台から朱鞠内湖の写真を撮ると、目の前の送電線がバッチリ入ってしまう。何考えているのかなぁ。この景観を送電線で台無しにしているのが許されるのかなぁ。結局、この先の浮島橋で再度撮影する。
 ここに「思案橋」って橋があるのだが、これって、誰も知らないよなぁ。
 トンネル直前の駐車場に車を駐め、いざ出発。

いざ出発
 誰も知らないだろうが、ここが小説「北海道の11日戦争」で描かれた天塩川添いのルート。攻めるソ連軍を天塩川が開いた渓谷の両わきの丘から防御する自衛隊。たしかに合理的だ。ここを南下する作戦はソ連はとらんだろうなぁと、実際に走りながら感じる。そんな事を感じるのがおかしいのだが。
 道の脇の測量掲示を見ると「H=40」。え、海抜40mしか無いんだ。ここから天塩川河口の天塩町までは40km程ある。とすると、1kmで1mしか下らないのがここからの天塩川なんだぁ。たしかに右手に見える天塩川はカヌーで遊びたいほどゆるやかな流れだ。
 トンネルを抜けるためにテールライトをつける。これは前にも書いたけれど、交通標識に使う高輝度LEDを使って改造したテールライト。何故か点滅が出来ず連続点灯になっているけど、とりあえず、これがテールランプ。前照灯は携帯の懐中電灯。地図で読むより長いトンネルだ。右に緩くカーブするトンネルを抜けて、覆道をいくつか越えると、西に向かっていた道が北に変わる。このあたりが「佐久(さく)」。松浦武四郎が天塩川調査のために、河口から遡ってここに上陸(到着)した記念碑がある。ここを松浦武四郎が天塩川を遡りながら調査をしたのが1857年6月10日。150年近い昔だ。同じく、ここ佐久には「斉藤茂吉小公園」もある。文化の臭いがするぞ!

中川(なかがわ)町
 ここから道は今までの西向きから北向きに変わる。8km程で中川町市街地だ。道はアップダウンも無く、なだらかに続いている。
 左手に大きなアンモナイトを乗せた標識が中川町市街地に曲がる目印。実は、国道40号線を離れて天塩川の対岸(右側)に中川町の市街地がある。その手前、つまり、天塩川の左岸は河川整備が進み、誰も居ない(笑い)パークゴルフ場が整備されている。また、その整備は拡張中らしい。
 本当、豊に暮らす人々に巡り会えず、土木工事ばかり目立つのは何故なのだろうか。だいたい、組長が土建屋の親父って市町村が多すぎる、土建屋でなければ元役場の職員。これで「地方自治」なんて制度の理念が守られると思えない。市町村議会議員と組長を別々の選挙で選ぶ。これが今流行の「競争の原理」を誘引し、より高次元な民主主義を形成する。この図式を国政にまで拡張しようってのが「首相公選制」なのだが、理念と仕組みの論議ではなく、地方自治の現状を総括する所から議論を始めなければ党利党略でしか無い。それを、全国で3500余の地方自治体を分析することがスタートラインだろう>民主党。
 で、何時も遠慮して「辛口の市町村評」、正面切って「小言のMint」と言われる(最近、その種の投書多いなぁ)のだが、そもそも批判的な立場で物事を見て問いかけるってのが僕の手法。真っ向から「それは違う!」と言ってくれる人が居ないと「隠居の小言」でしか無くなるのだが、本当、今は「隠居の小言」でしか無い(苦笑)。
 いつものように、と思われるようにあまり良い印象を持たずに中川町市街地に向けて天塩川の橋を渡る。橋を渡った先を左に曲がって役場に向かう。おっと、全面改装中。役場本体は仮設住宅のようなバラックの中にある。で、後ろに回ってみると「福祉センター」との抱き合わせ施設に改造中って感じかな。ま、納得。
 役場庁舎を立派にするのは自由だけれど、多くの場合他人の褌(国税)利用が行われている。ま、税を国に集約し過ぎるって議論は置いといて、都会の人の税金で中川町に「福祉センター」が建つって構造はおかしい。人口(勤労者)数に応じた税金徴収で良いのか、企業(法人税(地方法人税と国税があるが))数に応じた税金徴収で良いのか。今の日本は律令制度ではちっとも斬新では無い。大化の改新とは時代も違い、住民の生活権も違うのに、やってることは「大和朝廷」と何も変わらない。だから、役場の庁舎は中央から予算をブンドッテ建てることになる。それを是認したのだって意見表明が、この役場庁舎な訳だ。
 特に施設も無いので駅に向かう。駅では入り口の缶ジュースの自動販売機の撤去をやっていた。これが、特製のオイルジャッキ付きの運搬器で一人で出来るようになっている。あの、高さ180cm横幅120cm、重さは200kmくらいあるのかなぁ。これを一人で動かすように機械があるのだぁ。めったに見られないので移動まで観察させてもらう。アルミサッシのドアのレールを上手に跨いで、15分程で一人で出してしまう。
 丁度、特急オホーツクが駅に入って来て、数人のオバアサンが降りた、彼女達は町に1台のタクシーを呼んでポンピアアクアリズイング(なんて名称なんだ、いわゆる中川温泉では駄目なのか)に向かうらしい。
 駅で改めて硬券の記念入場券を購入。実は先週音威子府駅で買っておいたのだけれど、改めて購入(だって、駅によっては列車が入らない時間帯は切符の販売も休む所があるのだから)。駅員に「中川駅ではなくて、天塩中川駅なのは、どこかに中川駅が有るからですよねぇ」と駅名の由来を聞いてみる。どうも秋田県に「中川駅」があり、国鉄では同名の駅名は称することが出来ないので地域の名前を頭に付けて「天塩中川駅」になったそうだ。国鉄以外で名古屋に名鉄の「中川駅」があるらしい、また、結構多い名称なので私鉄を含めると「中川駅」は全国で5、6箇所ある、と、結構親切に教えてくらた。こういうのが旅人へのホスピタリティってやつだろうなぁ。大変に参考になる(授業料は入場券の160円のみ)。
 この駅を中心にした小さな商店街が中川町の市街地になる。隣の音威子府村の市街地と比べると決定的に違うのが、いわゆるスナック的な飲み屋が結構有ること。これって、明確に他地域からの臨時労働力の流入があるってこと。つまり、周辺市町村の公共事業の他地域での業者は中川町を宿泊の中心にしているってこと。なるほど、音威子府は箱ものを誘致し、その箱ものを作る業者は中川町に泊まるって構造が出来ているんだ。
 地図に「郷土資料館」が記載されているので、そちらに向かう。先ほど左折したT字路の交差点に戻り直進する。おっと、オートキャンプ場がある。奥の川添いには「カヌー工房」がある。窓から中を伺うと、3、4艘が製作中のようだ。結構贅沢な施設じゃないか。ここを使ってもらう都市との交流策が見えない。だから、僕がここまで自転車で来て、見て、レポートしなければ誰も知らない公共事業遺跡になってしまうんだよなぁ。
 北の丘を見上げると太陽電池パネルがズラーっと並んでいる。10kwクラスの規模かなぁ。これって、NEDOでは無いようだが、何を実験しているのか、その成果はどうなのか、まったく情報公開されていない。これも税金で作ったんじゃないのかなぁ。運用実績とか、当然納税者に開示されるべきだと思うが。
 ここの丘が中川町を一望できる高台らしい、その前に、郷土資料館を訪問する。なんか、4戸建てアパートのような規模の建物が「郷土資料館」らしい。で、入場無料。事務室ではソファーに寝ころがってテレビを見ている管理人が一人。ま、いいけど。
 で、この施設は「化石発掘展示場」でしか無くとても「郷土資料館」とは呼べない。唯一呼ぶ方法があるとすれば、それは中川町の住民はアンモナイトならばって条件が付く。首なが竜とアンモナイトの展示場でしかない。ただ、何処で予算付けたか解らないが、「中川町郷土資料館ホームページ」ってのがある。urlはhttp://city.hokkai.or.jp/~kubinaga/にある。しかし、このurlは「中川町教育委員会化石の里づくり推進室」のもの。一般的な郷土資料館とは目的が違う、そもそも、ここ郷土資料館も冠と違い「化石の里づくり」の倉庫みたいなもの。なんか、中川町の「文化度」は手前勝手な自己満足の域を出ない気がする。様似町の「郷土資料館」(ツーリング記録で「様似町」をクリックすれば紹介している)が、最高の郷土資料館だと思う。地域の人が地域を誇りに思い愛しているかが解るのが実は各市町村の「郷土資料館」なんです。東京の役人も接待される行脚でなくて、市町村の実態をおしのびで見たら良いと思う。それは、札幌でデスクワークしかしない道庁職員にも言っておきたい。
 中川町のボロが出るのは早かった。丘に登って中川町全景の写真を撮りたいと思って坂を登ったのだけれど、途中から未舗装。ならばと木道を歩いてと思ったら、ここが通行禁止。作ったは良いけどメンテナンスしてないので、危険で使えないらしい。まさに、箱を作って魂入れずの典型。
 はやばやと国道に戻り、車のデポ地点に戻る。

北海道命名の地
 まったく、一人で行って車がスタックしたらどうすんねん>音威子府町。
先週のフォローで国道を離れて、坂を下ったのだけれど、道は、車1台が通ることが出来る最低限の幅。その先には天塩川の河川敷きが続いている。
 手前のジャリを敷いた場所が駐車場らしいのだが、何の看板も無い。当然、河川敷まで車を進める。ところがぁ、増水したときの泥が深さ10cm程あり、アクセル利かないハンドル利かないの状態になっている。まして車がスタックしても降りて押すことも出来ない。ここではまった車が多いのか、轍はますます掘り起こされて、一度止まったら4駆でなければ脱出できない。
しょうがないので車が止まらないように、この轍地帯を突き抜けて河原の芝生まで抜ける。この芝生も下が緩くなっているので、いったん停車した後にユーターンすると芝を掘って埋まる可能性がある。バックのままで再度先ほどの轍地帯を突き抜けて駐車場に戻る。もちろん、タイヤは泥を跳ね上げながら、ハンドルは切ってもほとんど利かない。
駐車場に戻って一安心。たくもぉ、車は泥だらけ。改めて歩いて「北海道命名の地」の碑を見に行くが、はっきり言って「金返せ!」(笑い)。
何故「命名の地」と称するのかの説明すら書かれていない。ここを町興しの何にしようと言うのか。絶対の危険地帯じゃないか。整備以前の問題だと思う。
ま、ここは自転車紀行とは別な話しだが。
2000.09.30 本日の走行 46km

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