デポ地点(豊頃随道前)
回り道(本当は近道と思った)したので5時間もかかって先週発見のデポ地点の豊頃随道前に到着する。
木陰に車を駐めて自転車を組み立てて早速トンネルに通過。後ろから車の集団が来ていないのを確認して抜ける。いちおう100円ショップで買ったLED3個、パターンが5種類も有るバックフラッシャーを付けているけど後ろから来た車は対向車が有ると追い越しが出来ないので交通の妨げになる。交通量がそんなに多いわけでは無いので、こちらでトンネル通過のタイミングを計る。
当然の事なのだがトンネルを抜けると下り坂であった。ただ、向かい風で速度はそれほど出ない。向かい風ってのは風を切る音で周りの音が聞こえず安全の面からの好ましい状況では無い。特に、ここは路肩が狭く後ろからの車の音が聞こえないのは困る。そもそも路肩の整備が問題なのかもしれないが。
道の状況は「自転車には最悪」になるだろう、先週勘が戻らなくて路肩の段差で倒れそうになったが、前に「最悪の国道5号線」で書いたような状況である。幅30cmの狭い路肩を数キロ進むなんて事を強いられる。救いは最近のIT革命のおかげか「情報ボックス」の名のもと、道の路側を整備する事業が始まっていて、これが有る地帯は路側帯が整備されて広い。これは我々サイクリストにとって好ましいと思う。
坂と呼ぶにはおおげさだが緩いアップダウンを繰り返しながら東に向かう。この地形のパターンは前に羊蹄山山麓の蘭越町に行った時にあったのと同じ。十勝山脈の裾野の地形なんだろう。
2番目のトンネルを抜けてから左にJRの根室本線が見える。上厚内の駅が見えてきた。なんだぁ、線路を跨いでいるのは「歩道橋」そのものだ。駅特有のホームを跨ぐ構造物では無く歩道橋。ま、機能を考えればこれで良いのかもしれない。なにも「JR仕様」でコストを高くする必要は無いのだから。
ここ上厚内からJRとは分かれて進むことになる。国道38号線は短いトンネルを抜けて緩い登り坂なのだが、JRは海岸線に向かってトンネルや勾配を避けている。再度トンネルを抜けて東に進み、直別を過ぎて音別町に入ってから道は平坦になる。
実は、翌日の日曜日、最悪の交通事故がここで起こる。YOSAKOIソーランの見物の帰りに一家3人が乗った乗用車がトラックと正面衝突して3人とも死亡する事故が起こった。自転車で走って解るのだが、時速100kmで追い抜かれると後ろから来たなと感じた瞬間にダァンと真横を壁が通過したようになる。幅よせられてとかを感じる余裕が無い。対向車も同じなのだから正面衝突は合わせて時速200kmでの衝突となる。しかも緩やかなアップダウンがあるので、下り坂で徐々に速度が上がって何箇所かを過ぎたら車は時速100kmを越えるのだろう。このような場所にこそオービスを設置すべきだろう。
通称十勝国道をさらに東に進む。緩いアップダウンの繰り返しだが特にギアを変えるほどの登り下りでは無い。ただ、幅30cmの走行を強いられる区間が多いのが困りものである。後ろから来る車は時速80kmを越えている。この速度の車はハンドルを1度切り損ねたら僕に追突する。「車の免許を得られるのは挑戦した全員である」って現状を考えるととても運転手の腕は信用できないので、ひたすら幅30cmを踏みながら進む。
直別、尺別を過ぎて最後の丘に登ると音別町の市街地が見えてくる。先週も着ていたサイクルジャージの袖をまくり上げていたのだけれど、元に戻す。天気が急変している。浦幌を出た時に強かった日光もここでは無い。南側の海からの風が霧を生んでいて、急に周りの気温が下がってきたようだ。最後の丘「音別公園墓地」の両側に建つ携帯電話の無線鉄塔の先は海からの霧に呑み込まれている。釧路の霧はこのあたりから始まっているのかもしれない。
音別(おんべつ)町
音別市街地に入り、役場前で記念撮影。走りを止めたためか寒さが気になる。そもそも、半袖で自転車に乗っているなんてのは完全に浮いている。小学校から帰宅する児童達は長袖にジャンパーを着込んでいる。そんな集団の中で一人半袖でジャージをまくり上げて半ズボン状態なのだから浮いてしまう。
寒ささえ感じるこの冷えてきた身体を考えると、この気候のまま白糠町を目指すのは無理かなと思う。往復1時間半程度だろうが、長袖のジャンパーでも着なければ寒くて筋肉が動かないだろう。急遽、計画を変更して車のデポ地点を見つけて折り返す事にする。折り返し後、市街地を再度ポタリングすることにする。
しばらく進むと「オロナミンC」の看板が道路右手に見えてくる、その看板の指す方向には大きな工場が。ここか噂の全国のオロナミンCを引き受けてボトリングしている大塚製薬の工場なのだ。全国のオロナミンCの大半は音別町でボトリングされたものだ。さらに大塚製薬の工場敷地は続き、今度は大塚食品釧路工場が現れる。ここでボンカレーを作っているのだろうか。
役場を過ぎて市街地の半分を進んだ所からずっと「大塚製薬」の敷地が左に広がる。右は国道を越えたら太平洋の海しか無い。
やっと大塚関係の土地を過ぎて最初の丘を越えたあたりに丹頂の形をした道路標識がある。いよいよ釧路市は近い。ここに駐車スペースがある。ここを次回の車のデポ地点にしよう。ここから折り返して「オロナミンCの里」音別町の市街地を探ってみる。
芝桜が満開である。桜もやっと葉桜になった様子だ。帰りの車の中でラジオで聞いたが、天気予報が外れ、急に海からの風が入り、釧路では最高気温が8.1度。気候としては4月中旬の陽気だったのだ。
気候はおいといて、ここは見事なまでの「企業城下町」のようだ。さしたる産業を感じない。商業都市でも無い。この音別町の今が有るのは「大塚製薬」のおかげなのではないか。そして、市町村のホームページを調べると音別町のページが無いのも、企業誘致によって企業城下町化したので、さしたる自己主張が必要無いのかもしれない。
「大塚製薬体育館」なんてのが有る、平行して「町民文化センター」なんてのもある。共にあまり使われているとは思えない。北海道の市町村の多くは役場が最大の事業所なのだが、ここ音別町では大塚製薬が全ての事業体を代表する感じである。北海道にも「企業城下町」が有ったのだ。妙な感動を憶える。しかし、音別にありながら「大塚食品釧路工場」のネーミングに誰も異を唱えない風土もすこし寒く感じる。ま、地域の人の選択に「よそもの」が口を挟む余地が無いのは重々承知の上だが。
なんか新しい発見をした喜びみたいのを胸に出発点の浦幌町に戻り始める。途中、尺別で行きには気にならなかったおだが、じっくり立っている看板を読んでみる。
「尺別工業団地、40ha。町からの7、000万円の補助有り」。まったく造成されていない原野にこんな看板が立っている。なぁんだぁ、「2匹目のどじょう狙い」かぁ。なんか微笑みが漏れてくる。
隣の浦幌町でのアマチュア無線の鉄塔にささやかな自主自立の精神を見たが、ここ音別は自主自立を放棄して企業の軍門に下ったのだろうか。直別を過ぎる頃から霧が晴れて太陽の光を浴びながら走れるようになる。振り返ると、音別町は誰も気が付かない地域を形成してひっそりと霧の中に存在しているように思えた。
浦幌町の手前で追い越したサイクリストが向かえから坂を下ってくる。そろそろ夏の遅い北海道にも自転車のシーズンが訪れたようだ。
2001.06.09 本日の走行 54km