出発(デポ地点、涛沸湖北浜)
一年前の記憶はアヤフヤなもので、別な道を使って最短距離で到着する方法があるのだろうが、去年の道を思い出しながら網走の北浜を目指す。
白鳥公園なのだがら、夏には誰も使わないと思ったのだが、さすが涛沸湖を望む施設には数人のオタクが駐まっていた。施設から涛沸湖を望むと翼長が2mになるだるだろうか大型の水鳥(たぶん、サギの一種だと思う)が20羽程羽根を休めている。これを撮影する人が数人居て施設は閉鎖されてるのだが駐車場には車が数台とまっている。
ここに到着するのに札幌から7時間走ってきた。時計は12時をまもなく回る。途中の車の中で考えたのは「chakobanさん探索中心に1市町村にしておこう」だった。せめて5時間あれば3町村を回れるが、今回の目的はcyakobanさんの探索であり、国道244号線を中心に走ることにする。とすると、必然的に「斜里町往復」がリストアップされてくる。
自転車を組み立てた頃には太陽が真上、12時近かった。ここの公園から国道までは目と鼻の先、国道を一路東に向かって走り始める。
原生花園駅湖
走り初めて4km程でオホーツクの観光名所である原生花園に到着する。30年くらい前だろうか訪れたことがある。その頃はまさに「原生」で、屋台が数軒並ぶおよそ観光地とは呼べない状況だった。たしか焼きイカなんか食べた記憶がある。数年後に映画「幸せの黄色いハンカチ」にも登場するが助演の武田鉄也がすれ違う観光客に「この先何も無いですよ」と言っているそのものだった。
自転車で進むと左にJRの「原生花園駅」が広い駐車場を伴って見えてくる。なるほど、観光バスもたくさんとまっていて観光地になっている。昔はバス観光なんて少なくて、自家用車かカニ族(今の青春18キップ利用の「貧乏」)しか来なかったのだが、開けたようだ。特にJRの原生花園駅は夏の臨時駅として青春18キップ(これって、今は無いのだったっけ)利用の鉄チャンには便利だ。
ここでcyakobanさんが休憩しているかもしれないので駐車場を巡回してみる。自転車での訪問は居ないようでバイクが数台駐まっているだけだった。
さらにここから数キロ進んだ浜小清水前浜に「道の駅」。ここは僕の地図に無いので、改めて訪問することにする。最近、夏に唐突にオープンする道の駅が多い(ま、唐突ってのは僕だけの情報不足による感覚なのだけれど)。帰りに十勝回りで車を走らせていると、去年訪問の「ふるさと銀河線」の陸別駅が道の駅になっていた。これも「唐突」と感じたのだが。こちらの施設でもcyakobanさんの自転車を探したのだけれど見つからず。
左に見えていた涛沸湖が見えなくなる頃に国道244号線は右に曲がり、真っ直ぐ進むと小清水町。今日はここを国道に添って左折し斜里国道を東に向かう。地図を見るとオホーツク海の沿岸を進む道に見えるが、実は斜里国道と海岸線の間には砂丘が有って、これが海岸線の景観を遮っている。オホーツク海を目にしながら走れるのは、先の北浜から網走に向かう部分になる。こちらは斜里町までオホーツク海は望めない。しかし、今日は東からの弱い風があり、気温が低く押さえられているのは間違いなくオホーツク海のおかげである。
斜里(しゃり)町
斜里新大橋直前を左折して斜里町市街地に入る。斜里町は国道244号線が市街地をバイパスしている。町の本通りが国道な市町村に比べて町造りがやりやすいのか、個性的な町並みを作る事が可能だ。国道で分断された市町村の悲しさってのは、いくつか見てきたが、ここは自己主張有る市街地を目にできるかもしれない。
このまま国道244号線を直進すると知床国道、そして宇登呂を経て知床峠越えとなる。市町村訪問の旅では知床峠通過は計画に無いが、その先の羅臼町は南からのアプローチである標津町から片道60km弱。もしかしたら、宇登呂側から知床峠を越えるルートになるかもしれない。これだと往復54km+標高差738m。今までの経験から何とかなる標高と距離だ。一日で知床峠を往復したサイクリストって勲章(そんな事する意味が不明なのだが)も得られる。このあたりの布石を今日は打っておく。
市街地で最初に訪れたのはJRの斜里駅。駅前は必ず市街地案内の看板があるので、ここで市街地全体を把握するのに便利だ。ついでに入場券の硬券を入手したかったのだが、原生花園駅のキップはあるが、斜里駅は総販(総合販売システム)の「紙っぺら」のキップしか無かった。ここの駅の横に観光案内所があって、国道から少し離れるが、自転車旅行者には寄ってもらいたい地点だ。
オホーツク、知床博物館
今日の目玉は「知床博物館」。斜里町の施設なのだが、知床半島の入り口としてどのようなインフォメーションが有るのか興味がわく。役場での恒例の記念写真を撮って裏山と言ったら良いのか公園を抜けると知床博物館が有る。
この公園に津軽藩主慰霊碑があって、たまたま50人程のお年寄りが例大祭で集まって供養をしていた。後日、新聞で解ったのだが、江戸時代に北方の警備のために今の斜里町に津軽藩士が派遣された。しかし、当時の日本の北である津軽と流氷の接岸するオホーツクでは同じ北でも何倍も気候が厳しすぎた。結局一冬に72人が寒さと栄養不良で亡くなった。これを慰霊するために1973年に斜里町民が建立したのが、さっき見た慰霊碑。正確には「殉職慰霊碑」。
この関係から1983年に青森県弘前市と友好都市となり、実は1週間後なのだが、「斜里ねぷた」が行われた(その新聞記事に解説されていた)。
さてこの博物館正確には「斜里町立知床博物館・姉妹町友好都市交流記念館」の入場料300円なり。もっと正確に記すると「観覧料」が300円。僕の「観覧券」のシリアルナンバーは59418番であった。
入場料は展示内容からして妥当だと思う。北海道内の他の施設と比べては格安感があるのは、他の施設の入場料が不当に高額だから。同じ300円組では留萌の「海の博物館」があるが、これって正直言って「金返せ!」である。また、穂別の「地球体験館」は入場料800円だったが、入る気がしない。最悪なのは余市町の道の駅であるスペースワールド。1200円也。
やはり僕には様似町で出会った郷土資料館。町内会のお年よりの集会場のような事務室があって、僕が入って行くと「客が来たぞ」てんで展示場の照明電気のスイッチを入れる。記帳のノートがあるが、入場料は無料。そんな様子が「郷土資料館」にふさわしい。資料館を出るときに事務所で「おもしろかったです、ありがとうございました」とお礼の挨拶が自然に出てくる雰囲気があった。
さて、ここ「知床博物館」の展示は地質学的に見る知床半島の生成、入植時の農業機器、知床の動物の剥製と言ったあたりだが、剥製ばっかりの死骸展示場になってないのが良いと思う。正直言って剥製展示は時代遅れである。マルコポーロが東方見聞録を書いた時代じゃあるまいし、現在ならビデオで撮影された生体を伝えることができるはずだ。現に、モモンガの巣の中を赤外線撮影した冬眠中のモモンガ親子のビデオは動いていることもあり、モモンガの剥製からは感じられないカワユサが伝わってくる。このビデオだけでも300円の価値はある。
そもそも「剥製」ってのは生きたものを殺して(自然死含む)作るのだから、それが自然保護なのか疑う。昔「動物園の存在の是非」ってディペード企画したのだが、本来許されてない心情的弁論である「動物虐待である」が説得力有った。結局「剥製」って明治初期の「見せ物小屋」の域を出ないのにもかかわらず、これを配置した無能な博物館が多すぎる、もっと問題なのは、それを是とする納税者である。支笏湖博物館なんか、自然動物の死骸の展示場である。
おっと、話しが逸れた。
ここの博物館には交流センターが併設されているのだが、この交流の一つが「ねぷた」である。斜里町と東北の関係は深いようだ。ただ、ここの交流センターでは何も展示されていない。また、交流館は博物館に比べてまったく説明資料の展示が無い。
最後に、この博物館の資料室を見たのだが、学芸員の研究報告冊子が全部閲覧できるようになっている。ここだな。情報公開が十分行われている。公務員の最大の問題点は公僕でありながら仕事の成果を問われない仕組みになっていること。そのために、遊んでいても給料が出る。
ま、何処とは言わないが「帯広の森」なんかの(言ってるって!)学芸員なんか学校の先生が施設に子供連れてきて、自分は喫煙所で休んでいるとかの批判はするが自分達の行動を何も成果として残していない。特権階級意識なのか、額に汗しない学芸員を飼っておく度量が市役所にあるらしいのだが、正直言って「くま牧場」のくまに成り下がった学芸員の例示も枚挙にいとまが無い。
が、ここでは「額に汗する学芸員」の痕跡が有る。それも町営でってあたりが参考になると思う。パラパラと見たのだけれど、知床半島でしか出来ない観察記録が多く、現場踏んでる確かさが報告書には有る。しかし、「考察」の項では「他の事例知らないなぁ」と思わせる稚拙な部分がある。これって、情報不足故なのかなぁ。インターネットで調べたら解る単純な事なのに参考にしてないのが悲しいと言うか、悲劇である。
300円の元は取ったなって満足感(なんて、矮小なんだ。車のガソリン代だけでも3000円もかかるのに)を持ちながら、博物館を出た。表に展示されてる水車も貴重な現物である。デンプン作るためのエネルギーを工夫して水車にたどり着いた先人の知恵がうかがえる。
ここまで来たのだからオホーツクの海に会いたくなった。斜里漁港に出て遅い昼食をコンビニのおにぎりでとる。実は私小説なんかにも書いているのだけれど、斜里町まで足を伸ばしたのは今回が初めてである。知床半島を背景に林業が主な産業かと思っていたのだけれど、漁業も活発らしい、また、町にパチンコ屋が多いので商業も周辺地域の需要を集めているのだろう。たぶん、近隣の清里町、小清水町にこの反動があるのだろうけど、今日はそちらは訪問しない。ここから山裾の大きな山が二つ見える。斜里岳1545mと海別岳1419mである。知床峠を代表する山は羅臼岳だが、斜里岳も結構冬山として知床半島の山の範疇にある。実はかなり内陸側なのだが。
cyakobanさんに接近遭遇出来なかった(後から聞いたら、斜里町で筋肉痛でダウンしてたとか。10km以内接近遭遇だったんだ)が、斜里町まで来て良かった。
帰りの道は弱い追い風。30km程の速度で一気に駆け抜ける。このハイスピード走行で火曜日あたりまで筋肉痛に悩まされる。高速走行は快適だが足への血流が僕の自転車の場合サドルで圧迫されるためか、ナットウの粘り走行と違う疲労が起きる。
途中、来るときに気になってた屋根も芝生の施設を撮影。これって、冬の涛沸湖に来る人の多さと、涛沸湖の野野鳥の共存を考えた結果なのだろうか、100名くらいの人が来ても野鳥には気にならないってことなのかなぁ。
帰り道で考えた。この自転車も5000km走った。前の9800円のMTBから見ればクロスバイクは贅沢な自転車だと思うが、212市町村訪問の後にある(かどうか解らないけど)「八甲田山死の彷徨の逆ルートでの生還踏破をめぐる旅」。そして、65歳での自転車での日本縦断(佐多岬から宗谷岬)あたりまでを視野に入れているので、そろそろランドナーかレーサーを検討したい。日本縦断か日本一周か迷うのだけれど、市町村合併が進めば、今の3000くらいの市町村が500くらいに減って、日本一周が可能になるかもしれない。でも、自転車では「佐多岬ー宗谷岬3000kmの旅」にしたいな。所詮自己満足なのだから僕には「役場訪問が市町村訪問」って自分で作ったルールに疑義があるのだ。あくまで「役場到達」でしか無いと最近思っている。だから、「日本縦断走破」だけで良いと思っている。
ま、切れ切れだけど、今までの実績は日本縦断の3000kmを越えて、7000kmも走っているんだぜ。
太平洋を最初に単独で渡った堀江謙一さんが「冒険の終わりには次の冒険を夢見る」と書いているが、僕もそろそろNextを考えている。
2001.07.21 (C)Mint 本日の走行 63km