瞰(がん)望岩に登る 生田原町、遠軽町

コース概要
 金曜日の夜にインタネで天気予報を見ると週末の天候は2週間ぶりに晴天に向かっているようだ。久しぶりに出かけられそうだ。前回留辺蘂町から足を伸ばそうと国道242号線脇の駐車スペースを見つけているので、ここから北上して金華(かねはな)峠を越えて生田原(いくたはら)町、そして余裕があればその先の遠軽(えんがる)町を訪問するコースを設定した。
 去年は北見峠を越えて白滝村、丸瀬布町と辿る予定だったのだが、前回留辺蘂町からのルートを開いたのでこちらから攻めることにする。金華峠がどれほどお峠か解らないが遠軽町にたどり着けば、ここはオホーツク地方の交通の拠点なのでこれからの様々な方面への展開が可能になる。また、ここには瞰(がん)望岩って特殊な地形があるので、是非ともここからの眺望を体験したい。
 土曜日の朝にインタネで再度検索すると午前中は降水確率が50%だが、徐々に回復するようだ。現地到着は午前10時頃だから、とりあえずこのコースに向かって良いだろう。5時に札幌を出発して現地に向かう。
輪行概要
 前回と同じく国道275号線を北上、雨竜町から道々47、57を経て神居古潭から国道12号線を利用して旭川市へ。旭川バイパスを使って国道39号線を留辺蘂町へ。ここから前回見つけておいた開発局の駐車スペースに車をデポして国道242号線を北上する。
行きのコースは300kmジャスト、所要時間5時間20分。
帰りのコースは駐車スペースから今回自転車で走った道を辿り、遠軽町手前から国道333号線を利用して無料供用が開始された高規格道路を利用して上川町に抜けて戻ってくるコース。こちらは遠軽町からなら30km程短く、高規格道路を使えるので時間も30分以上短縮できた。
 ただ、この高規格道路の旭川側の終点である浮島インターを降りた時に解ったのだが昨年見つけた車のデポ地点は道路付け替えで消滅していた。なんと、去年の状況を信じて北見峠越えで白滝村を目指すルートを目指したら大変な所だった。
次回のこの方面での出発地点は遠軽町なので輪行コースは北見峠越えが時間的にも距離的にも有利なことを確認できた。

一気に遠軽町へ
 コースは留辺蘂町から生田原町を経て遠軽町なのだが、紀行記も実際も真っ直ぐ遠軽町を目指す。生田原町はその帰り道に寄る(生田原町の方々ごめんなさい)
 前回発見の駐車スペースに車を駐めて自転車を組立出発する。北海道は秋口に天候が急変して峠が雪道になる場合に備えて峠の登り口に「チェーン着脱場」がある所が多い。もちろん「チェーン」とはタイヤチェーンである。この着脱場は道路工事の時の副産物である場合も多いが、峠の標高が高く天候急変で雪になる峠に多く用意されている。本州の峠はどうなんだろう。北海道ではここを自転車輪行時の車のデポ地点に利用できる。
 学生時代大学が北見市にあったので、故郷(小樽市、後に札幌市)から急行で夏休み、冬休み、春休みと往復していた。ここ遠軽町で列車の方向が変わり(スイッチバック)左の車窓から見えてたのが遠軽町の瞰望岩。特殊な岩で平野から80m程を垂直に伸びている。ここからの眺めはどのようなものなのか。書類で「アイヌが対立する部族の見張りに使った」とのことなのでさぞかし眺望が良いのだろう。そんな思いを列車で通過する度に車窓から見上げて考えていた。
何時かこの岩の上から周囲を眺めてみたいと思い続けていたのだが、この212市町村自転車訪問の順番がめぐってきた。
 そこから何が見えるのか、30年前に出会ったあの岩を車窓から眺めるのでは無く実際にその頂に立てる。とにかく今日の目的地は生田原町を越えて遠軽町ってことになる。

金華峠を越える
 金華峠はそんなに標高が有ると思えないが今回のスタートは峠越えから始まる。苦しいのは最初から登りってことだ。僕は走り初めて最初の5km程は体調が出来上がらないたちなので出来れば平地を5km程走ってサドルで圧縮され滞った足から尻への血流を確保したり、水の補給バランスを作ったりして調子を上げることにしている。今日は、しょっぱなからフルパワーで坂を登るので調子の組立が上手に出来ない。
サイクロメータを見ると出発点での標高が220m程。これが300mを越えても峠の頂上に出ない。普通なら100m程の標高差なら気にならないのだが、準備運動無しのいつものスタートではふくらはぎに緊張が走る。340mで峠を越えて、ここからは下り坂。この坂を後ほど戻ってくるのだが結構勾配はきつい。
 今日は好運なことがあって、天気予報では午前中は北北西の風、午後からは北の風に変わるって予報。つまり坂を下り遠軽町に向かう道は全て向かい風、これが帰りには追い風になるのだ。弱い向かい風を受けながら国道242号線(置戸国道)を北上する。
坂を一気に下った頃から両足のふくらはぎが張ってくる。登りで踏み続けた影響だろうか。何気なくサイクロメータを気温に切り替えると18度を示す。なんと、登りで汗をかいていたから気が付かなかったが信じられないくらい気温が低いのだ。まくり上げていたスエットの裾を伸ばして筋肉が冷えるのを防ぐ。
生田原町に入る頃から右手にJRの石北本線が見えてくる。生田原の町内を一気に抜けてと思ったのだが足の調子が悪い。ここの小学校と中学校が並立している所で給水と顔を洗わせてもらう。とにかく峠を越えたってことで流れる汗が洗えるのがうれしい。10分ほど休んでも足の違和感は直らないが、さらに国道242号線北上を続ける。安国(やすくに)で国道333号線と合流する。ここから国道242号線と国道333号線の重複路線になる。T字路で直進すると国道333号線、右折すると再度国道242号線になり遠軽町市街地まであと6km。
 それにしても道路工事が多い。季節が限られることもあるのだろうが、先の国道333号線との合流地点では歩道に車を乗り上げて工事している業者がいて自転車を降りて通過。「歩行者なんか居ないんだ」ってことだろうが、この業者は絶対「歩行者誘導路」なんて見積に入れて経費はもらっているだろう。いいかげんな工事仕様が横行してるのではないだろうか。
この件については後にひと悶着する。

太陽の丘えんがる(遠軽)
 遠軽町市街地はT字路を曲がった所から既に始まっている。なかなか大きな市街地だ。交通の要であって昔はここから先に紋別町に向けてJRの線が伸びていた。今はその名残で折り返ししか残ってないが、元は紋別に向かう路線にたまたま北見方面への路線がくっついたのだった。このあたりは北見・網走とは別に「遠紋圏」と自称している。もちろん遠軽町と紋別市である。この両自治体を核にした経済圏なのだ。
市街地をJRの駅に向かう。普通「町」だとメインストリートは1本なのだが、何本か存在する。その道を辿りながら瞰(がん)望岩を目指す。「太陽の丘えんがる公園」てのがあるらしい。ここを次回の車のデポ地点にと思い調査しておく。ここは名前のとおり「丘」の上にある、道を登って大きな公園(計画地)に到着する。ここは遠軽町の市街地を離れた高台の再開発みたいな所で広大なので駐車場もいくつかに別れて散在している。十分次回のデポ地点に使えそうだ。
ここの公園の看板を見ると、1施設として「子供のくに」、さらにその先に「展望台」がある。登る途中で見たのだが「瞰望岩」に続いているようだ。さっそく「子供のくに」に向けて登り、さらに「展望台」向けて登る。途中で自転車は置き去りにして歩いて登る。
が、ここから展望するとなんと目の前に瞰望岩への道が見つかる。なんと、ここ展望台では瞰望岩の頂上では無いのだ。ここの展望台でパノラマ写真を撮った10枚程のメモリーが無駄になる(笑い)。

これが瞰望岩の頂上かぁ
 結局「子供のくに」の管理棟近くに自転車をとめ、ここで軽く昼食にする。それにしても、これだけ広大な公園に人が殆ど居ない。ここ「子供のくに」の遊戯機器に電気が通うことがあるのだろうか。ま、いいさ、少し休ませてもらって、次回の駐車場が確保出来たのだから。それにしても稚内市にも有ったが公設遊園地ってのは小樽市にも有ったが結局失業対策事業なのではと思う。ここの管理人棟の煙突から煙が上がってるのはおとしよりなので寒さを感じるからかもしれない。
 ここに自転車を駐めて歩いて正面の瞰望岩に続く遊歩道に向かった。草地を登り丸太で作られた階段を登って、おっと、それをまた下った所に瞰望岩用の駐車場がある。次回はここに駐めようかなぁ。
 ここを越えて最後の丸太の階段を登ると瞰望岩頂上だ。駐車場に設置された看板を見ると「垂直標高差78m」とある。やはりこれは大きな岩らしい。最後の階段を登ると木で作られた東屋が有る。ここから先数m先は78mの垂直な崖である。
なんとも理解に苦しむのは崖縁には柵も何も無くて、この先に何が有るのかなぁと進むと一気に垂直の壁からダイブって感じなのだ。危険とかなんとかの問題では無い。一発あの世行きなのだ。こんな「自己責任」な場所がまだ有るなんて...
ついにパノラマ写真撮ったぜでも、ファインダーを覗きながら身体を回すと墜ちるのではと心配になる。なんせ落下防止用に捕まるような柵が無いのだ。この写真を見ればいかに一気に墜ちているか解ると思う。
こんな場所は他には無いだろう。なんせ「勝手に墜ちても知らないからね」って様子なのだ。
岩の上から真下の家々の屋根が見える。コーラの瓶でも投げると屋根直撃では無いだろうか。
パノラマは180度を少し越えて270度をかなり下回る感じで撮影出来た。ここから見張りをした昔のアイヌの部族の人は僕が立っているあたりに座っていたのだろうか。
ここが岩だってことが解るのは土の階段がここでは岩を切りだした階段に変わってることで解る。頂上はまったく土の無い岩(花岡岩)だけの場所なのだ。
まったくもってここはすばらしい。一度ここに来たら自然ってのは何なのか。自己責任ってのは何なのか体験できるだろう。自己責任をまっとう出来ずにダイブする人も居るかもしれないが(笑い)。
 丘の上には天文台が作られてるのだが、ここの展望台で昼間からアベックが抱き合っている。「おいおい」と思いながら階段を降りようと思ったのだが、天文台ってのが気になる。あえてアベックに割り込んで天文台のドームまで登る。しっかし、遠軽なんだなぁアベックは人目を忍ぶって感じじゃないぞ、カップルの双方とも不細工過ぎるじゃないか、おめーら、町中で抱き合っていても誰も見ないって!。
天文台は半分ドームが空いていた。その隙間から覗くと20cm級の反射望遠鏡なんだろうか。たぶん、手入れもされてないのだろう、ここに夜登ってきて空を見つめようとする前に足を踏み外して崖から墜ちるだろう。まったく無某な天文台なのだ。
 ここから遊歩道を戻る途中で足に来た。自転車と山登りは同じ筋肉を使う。足がつっては出発点に戻れない。だましだまし自転車を置いた場所に戻る。
 これは短時間な筋肉の疲れなのが根本的なものなのか疑心暗鬼になる。このまま足が戻らなければ30km程先にある車に戻れないじゃないか。開き直って、ここでたっぷり休憩をとる。

交通整理のガードマンと大喧嘩
 太陽の丘を下り瞰望岩を改めて下から見上げるとずごいなぁと思う。丁度その時に瞰望岩の頂上で手を振っている若者が見えた(写真には写ってないが)。ここは度胸試しな機能があるのだろうか。たしかに10cm単位で前に出た者は勇者だって感覚が解らない訳ではない。ただ、墜ちて死んでは意味がない。危険な場所を危険と感じる人間だけがあのように手を振れば良いと思うのだが。
 遠軽町の役場の訪問と記念写真撮影を終えてもう一つ次回のデポ地点候補としてスポーツ・ランド」を訪問しておく。実際ここも「開発途上」なのだが、河原のスペースを利用する開発で、ま、何年かかかるのだろうなぁって感じだった。車を駐めるには河川敷きが広がるので自由に利用できそうだった。
 国道242号線を戻る途中でT字路直前の所で道路工事を行ってる。車を対面交通で流しているので車の後ろで通行のタイミングを待つ。やがて通行OKとなって進むと自転車は歩行者用通路を通れって指示。おいおい、歩行者用なんて30cmも無いじゃないか。コーンで区切ってるけど工事機器の邪魔になるので所々撤去されてるじゃないか。
「走れないし押して歩くことも出来ないじゃないか」と言うと「決まりですからお願いしますよ」なんて事を言う。区間は500mも無いのだ車と一緒に走れば1分程度で通過出来るのだ。
しょうがないので自転車を押して「歩行者用」のコーンで区切られた所を歩く。と、「わぁ、歩行者が来た」ってんで残りの部分を作り始めたのだ。全然「歩行者用」なんて考えてなかった所に「歩行者が現れた」ものだからアタフタしているのだ。
「どういう事なんだ、えーかげんにしろよ。車と同じにしてくれって言ったのに、ここを通れってさっき言われたけど全然なってないじゃないか」切れましたねぇ。「すみません、今用意しますから」、「そいった問題じゃなくて、車と同じく自転車を通せば何の問題も無いのになんでここを歩かされるのかって言いたいんだ」、「すみません、決まりなものですから」、「だから、その決まりを守ってないのはそちらだよ。ふざけてる」、「ま、今用意してますから勘弁して下さい」
 まったく、公共事業ってのは遠軽町では福祉事業なんだろうか。こんな事業を町の入り口で行わせてる遠軽町って行政機構は腐っているのかなぁ。

生田原町
 後述の事件(笑い)を越えて帰りの道で生田原町を通過。
木材の町ってイメージが各所に見られる。「プレカットセンター」なんてのも有る。2×4(ツーバイフォー)の住宅建築が盛んなのだろうか。写真のように「ちゃちゃワールド」木の博物館なんてのも有る。オホーツク文学館なんてのがJRの生田原駅に併設されてる。なんかなぁ。統一性が無い。ボコボコと施設が「箱もの」で出来ているのだが、その存在がバラバラなのだ。この町は何処を目指しているのだろう。役場の前でお決まりの記念撮影をして、役場の裏の河川敷きを見ると「歌碑ロード」とか色々有るらしい。でも正直言って経済圏は遠軽町になっている。必死で存続した結果が誰も利用しない数々の施設ではないかな。
 近代的過ぎる違和感がここの町にある。とにかく「住民本位」に着目した施設では無いのが利用する人の少なさで解る。

最後の登り金華(かねはな)峠
 もう足はガタガタである。風は追い風なのだが弱いので汗が乾かない。帽子は汗で濡れてしまった。でも、一歩も「歩き」を入れたく無い。体力が無くて登れないのは自己責任。それを瞰望岩に見せたくない。ひたすら足がつるのを覚悟しながら登る。
 サイクロメータの高度計を見ながら「10m登ったら休もう」とかを繰り返し結局金華峠を越えた。パノラマ写真も出来たし、ここは2002年最高のコースになるのかなぁ。ペース配分を間違えた感はあるが、遠軽町にたどり着いたってのは収穫だった。北海道を自転車で旅する人のホームページは多いが、ここ遠軽町を記述したものは少ない。是非とも訪れてもらいたいと思う。

旅の思い出
 実は瞰望岩は僕的には「願望岩」であって、学生時代の列車の車窓から見えた風景でしか無い。遠くから見上げる風景だった。特に遠軽町ってことと強く結びついたものでも無い。最初は学生時代の思い出の風景に足を踏み入れた程度の感覚だったのだ。だから、これが瞰望岩なのだと解った時にもさほど感動は無かった。
 遠軽町から生田原町に向かう戻りの行程の途中で自転車のペダルを踏みながら「あの風景は自分にとって何なのだ」を考えていた。みなさんも経験が有ると思う、自転車で走りながら身体は周囲の交通を見ながらペダルを踏んでいるのだが、頭の何処かで全然別なことを考えている時。
「瞰望岩からの眺望を体験した」ってことが自分にとって何なのかと漠然と考えながら走っていた。すると二人の女性の顔が浮かび上がってくるのだった。何故そうなったのかは解らない。しかも学生時代の経験と全然違う場面の思い出なのだ。
 自転車での走行ってのは肉体は体育会系で汗ダラダラだが頭脳は有酸素運動してる故に忘れていた事を思い出したりする。僕にとって「瞰望岩」は出会った人々との象徴なのではと背中に「瞰望岩」を望みながら思った。
 学生時代に当時の国鉄の車窓から目にしていたので遠軽町と言えば瞰望岩って連想はできる。遠軽町出身者に合えばこの話しをすれば「遠軽町を解っているシト」って称号を得られるだろう。でも今まで僕は単なる列車での通過者だったのだ。
二人の女性の顔は、一人は28歳頃に職場を辞めた女性、もうひとりも同じ年齢で僕の職場では無く得意先の職場を退職する予定の女性。後者の女性の出身地がここ遠軽町だった。
前者の女性には、最近10年ぶりで出会った。出会ったと言うのは不正確で「見た」くらいが妥当な表現かもしれない。一度「その後、幸せだったかい」と声を掛けてみたい。僕の知らない「その後」を知りたい。そんな思いがある。
 誰でも同じだと思うけど、僕が結婚するって決意(笑い)をしたのは「人生を供に生きたい」って感覚が有ったから。でも「人生を供に生きたい」気になる女性はその後も結構現れた。でも、僕はその子達を幸せにする無謀さは持ち合わせていなかった。
 そんな事を急に思いだした。そして「瞰望岩」は僕に語り掛けているのでは無いだろうかと思った。30年前に学生として、いや2回受験しているから、1回目の受験生として敗北し、2回目の受験生として挑戦した当時車窓から見上げた瞰望岩。この岩は今でも知っているのかもしれない。「もう一度受験の挑戦しろ」、「どうだ、北見での学生生活は」、「どうだ、札幌でのサラリーマン生活は」、「どうした、職場変わったのか」、「なんだ、ひさしぶりに来たのか」。
なんか、この岩こそが人々の全ての営みを知っているのではと感じた。そんな大きさをこの岩に感じた。
 自転車で走りながら考え事をするってのは良くあるのだが、この時の感覚は強烈だった。考えながら感動して涙を流しながら走ったのは初めての経験だった。考えたら「空から降る一億の星」のラストシーンの明石家さんまのようだったかもしれない(おいおい、美化してる)。
ここに来ることにより僕の北見での学生時代の原点を再確認できるかもしれない。この自転車紀行は「新しいものへの出会い」がテーマなのだが、昔から知ってる地帯でも新しいものが有るのだ。
「来て良かったなぁ」って、それが何故か解らないが充実感を憶えた。どうも、オホーツクの旅は辛いと思っている。それは取り戻せない「過去の時間」に直面するからかもしれない。正直、当時学生であった僕は周辺の市町村の歴史に全然関心が無かったのだから。このあたりの話しは「Mint私小説」で語りつくしたと自分では思っている。でも「地図は現地では無い」ってことが自転車で走っていると解る。やはりフィクションとノンフィクションではノンフィクションが重いのだ。
2002.07.27 (C)Mint 本日の走行 75.0km 所要時間 4:55:37

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