北見峠の麓..丸瀬布町、白滝村

コース概要
 偶然の一致とも言えるのだが、移動中に車で聞いているラジオ番組にSTV(札幌テレビ)ラジオの「ウィークエンド・バラエティ・日高悟朗ショー」てのが有る。「芸人」の日高悟朗の毒舌と大道芸的シャベリで20年も続いている番組なのだが、北海道でしか聞けないので超ローカルな番組だと思う。がしかし、結構聞いているフアンは多いらしい。
 北海道の民放ラジオには他にHBC(北海道放送)ラジオも有るのだが、こちらは土曜日の番組編成は「日高悟朗ショー」の時間帯に対抗馬を出さず負け犬の編成になってる。だから、NHKラジオのニュースの時間以外はこれを聞きながら車を走らせて目的地に向かっている。もっとも出発が朝の5時頃なので、8時から始まる番組の前にはHBCラジオを聞いているのだが。
 この番組が8月3日に札幌のスタジオを離れて丸瀬布町で公開放送をすることになっている。遠軽町から次のターゲットは結構あるが、こちら方面に出かけながら自分の目でみた丸瀬布町とラジオ放送で流れてる丸瀬布町を比較してみるのも良いだろう。また、その先の白滝村まで足を延ばし、上川町からのミッシング・リンクを繋げておくことにする。
輪行概要
 前回と同じく国道275号線を北上、雨竜町から道々47、57を経て神居古潭(かむいこたん)から国道12号線を利用して旭川市へ。旭川バイパスを使って国道39号線を途中、国道333号線に左折して上川町から無料供用の高規格道路を利用して遠軽町へ。
高規格道路を降りると白滝村。実は、今日走るコースを車で逆走しているのだ、遠軽町と白滝村を結ぶどこかに車をデポ出来れば良いのだが結局遠軽町まで行ってしまう。今日のコースでは遠軽町市街地から出発すると往復10km程多くなるので、極力国道333号線に近い所を色々捜して湧別川の河川敷きに車をデポする。
大きな赤いアーチの橋が国道からも見えるので、場所は解ると思う。ただ、河川敷なので雨の後は泥でぬかるんでしまう。車をスタックさせても「当方はいっさい関知しない」(笑い)。
ここから前回通過地点の国道333号線までは500m程で合流する。

丸瀬布町だけにしようかなぁ
 先週からの連ちゃん、疲れが貯まるったって1週間も経ってるのだから肉体的な疲れは無い。何となく『あまり走りたくないなぁ』って感覚なのだ。一番の原因はここに来るまで走ってきたコースを逆行することによる意欲の無さ。ま、ここまで来て帰ってしまうのも何なので、とりあえず丸瀬布町まで行って折り返してこようかなぁなんて考える。
実は先週の反省があって、走りを重視するあまり遠軽町も生田原町もジックリと観察していなかった。特に遠軽町の郷土資料館(入場料100円也)をパスしたのが気になってる。原点に戻って「一走り一市町村」が良いかなと最近考えてしまう。出た所勝負だが今日は丸瀬布町だけでもよしとしよう、そんな弱気な考えで遠軽町をスタートする。
ほどなく、国道333号線に合流して湧別川に添って西に向かう。まだ湧別川が見える前に左側に「驛逓100年記念」なんて看板が見える。車で先週通った時には気が付かなかった、なにやら記念碑らしいので戻って来たらチェックしてみよう。
緩い登り坂を丸瀬布町に向かう。サイクロメータの高度を見ていないと登りと気が付かない程度の緩い登りだ。丸瀬布町の手前には瀬戸瀬地区がある。小さな集落だかここに「瀬戸瀬役場」(本来は丸瀬布町役場瀬戸瀬出張所だろう)が有る。なんか複雑な理由が有るのかなぁと思う。過去の市町村合併の名残だろうか。

丸瀬布町市街地
 瀬戸瀬から完全にJRの石北本線に添って進むことになる。周囲は酪農家のサイロや牛舎が点在する道路になる。これがくせ者で、急に家の前から犬が走り出して来たりするので油断が出来ない。最近は「走り出して急に噛むような犬は居ない」と解っているのだが人間社会にもコンビニでパンを盗むために店長を刺し殺すキチ○イが居るのだからまして犬の世界にキ○ガイ犬(伏せ字になってないって!)が居てもおかしくない。それは解るのだけれど、相乗効果で「キ○ガイ犬のキチ○イ飼い主」って組み合わせも否定できない訳で、やはり旧国鉄の「怪我と弁当は自分持ち」の精神で慎重にならざるを得ない。
 丸瀬布町の市街地に入る。実は今日の「日高悟朗ショー」の収録は、ここから左折して9km先の「いこいの森」で行われてる。ここにはSL雨宮号がデモ走行していて行きたいなと思っていたのだが、9km、往復で1時間。白滝村を取るか「いこいの森」を取るか悩むところではある。
 丸瀬布の市街地は車でも通過しているのだが商店街とも言えず、役場街とも言えず良く解らない。お約束の役場前での記念写真を撮って不思議に思うのは、役場街ならもっとましな役場の建物が有っても良いと思う。古くガタガタな庁舎なのだ。
 この先に道の駅「まるせっぷ(ふるさと公園)」が有る。ここまで行ったら何か解るかもしれないとそのまま国道333号線を進むことにする。「いこいの森」は今回はパスする。

道の駅「まるせっぷ」
 地図を見ながらオホーツクの全市町村の攻略方法を考えているのだが、ここは「道の駅」を車のデポ地点に利用するしか無いなと思っている。市町村間の距離は割と短めで攻略は楽な地域が多いのだけれど、一部まったく孤立無縁って感じの市町村が数カ所ある。
地図を見るとその橋渡しのように近隣に「道の駅」が有る。ここを使ってオホーツク全市町村走破が可能ではと考えている。
ここ丸瀬布にも道の駅「まるせっぷ」が有る。ここの直前に大きな工場が左に見える。看板には「ヤマハ(株)専属、北見木工場」と有る。ヤマハと言えばバイク世界選手権でのヤマハだよなぁ。あのバイクの何処に木が使われてるのだろうと疑問に思いながら工場を左手に見ながら進む。もしかしてヤマハって娘が使ってるピアノのヤマハなんだと工場の倉庫を見て解る。工場の中に並んでいるのはピアノの響盤では無いか。ここ丸瀬布が日本のピアノ生産の原動力なのでは。
 戻ってからインタネで調べたのだが、僕が目にした工場は日本のピアノの響盤と鍵盤の60%を生産している工場だったのだ。日本のピアノは丸瀬布の松で作られていると初めて知った。(ヤマハのシェアってそれくらいなんだ。カワイが残り30%かな)
 ここで急に興味が湧いてきた。ここは「ピアノの郷」なのだ。木工芸館とかを道の駅に併設してるが経済的にヤマハの城下町なのだ(これは後述訂正だが)。丸瀬布町の経済構造が工場を見て解った。これは先に白糠で大塚製薬オロナミンCを見たのと同じ感じである。どこかの大手パトロンを得て生きてるって市町村はそれなりに努力した結果であって好ましいと思う。ただ、企業のお抱え芸者になるのでは無く、培われた文化は決して捨ててはいけない。
 道の駅で小休止しようかと思ったのだが雰囲気が良くない。本来「道の駅」は東海道53次のように旅人の休憩の場として考える必要がある。ここは木芸館を併設して観光名所を目指しているようだ。藤棚の休憩所は脇に追いやられ、トイレの右に木芸館、左にはラーメンの旗を上げた食堂。なんとも企画が貧しいと思う。先の「ピアノの郷」って雰囲気は全然無い。
しかも「日高悟朗ショー」をスピーカーでガンガン流している。実は丸瀬布町でSTVラジオを聞くのはかなり困難で場所によっては北見局からの電波よりも旭川からの電波にほうが良好に受信できる。それくらい弱い電波を受けてスピーカーで流しているのでなんとも音が悪い。そもそもSTVラジオ難聴取地区でなんで「日高悟朗ショー」をやるのか良く解らない。まったく隣の遠軽町で去年やったからって安易な企画じゃないのかぁ。
木芸館でも展示してるのはピアノ材の端切れの木材を加工した工芸品。木の文化を担うって意気込みが感じられない。浦臼町の花月にある水車を越える大きな水車を作ったらどうなんだろう。木の文化を工芸品に残すのでは無く産業に繋げる意気込みが欲しいなぁと思う。後述するがこれが丸瀬布町の町文化なのだと後から気が付く。

随所に見られる驛逓
 道の駅を更に西に進む。白滝村にたどり着かなくても良い、少しでも次回白滝村攻略のための距離を縮めておければ。そんな感覚でペダルを踏み続けた。時々右に見える石北本線を列車が通過する。特急「オホーツク」のこともあればローカル車両が1両のこともある。
 左側に「7号、滝の下、驛逓跡」の碑が見える。おっとここ国道333号線に足を踏み入れたのは去年の上川町からのルートであった。北見峠に向かう途中に「驛逓跡」ってのが有った。これって、開拓のルート確保の為に北見峠を開拓し、それを維持した場所なのだろうか。
北海道の開拓の中でオホーツク方面のルートは旭川から北見峠を越えて網走市、北見市へ伸びたようだ。現在の石北峠のルートが開発される以前はここ北見峠越え、現在の国道333号線が主流だったのだ。北見市は網走市から回り込む地域だったのだ。
 碑文を読むと、ここ「7号」はかなり不幸な驛逓だったらしい、北見峠を越えてここの驛逓で宿泊した人は月に数人。しかも近隣の驛逓から5里(20km)も離れているので驛逓維持のために自給自足の生活を余儀なくされた。なんてことが書かれている。
 ここ国道333号線のルートは北海道開拓の歴史とともに有る古い街道なのだ。先の「常紋トンネル」も同じだが、この地域を開発した歴史が随所に残っている。これって素晴らしいことでは無いなろうか、歴史が体験出来るなんて地域は北海道では数少ないのではないだろうか。石器を掘るのが歴史では無くて、身近な風景に歴史が有るのだってことが歴史勉強の原点ではないだろうか。
 ここから見える青い空は100年前の人々もここを越える陸路で見たのだろうかと思った。

白滝村の原点
 さらに進むと同じ様な石碑が左側に見えてくる「村名”白滝”発祥の地」って石碑。これってさっきの「7号、滝の下、驛逓跡」の碑と同じデザインじゃないか、設置業者は同じなのかなぁ。
 昔、湧別川に見事な滝が有ったらしい、その滝の場所がここらしい。ここに遊歩道が有って、ここから湧別川を見降ろすと確かに「滝」にはなってるが流木が全体を覆っている。そもそもここから「白滝村発祥の地」の感覚は得られないのだ。景観を整備して流木を排除しないとこの施設は何の意味の無いのだが、それで良いってことなんだろう。
なんか懐疑的になる石碑だった。先のデポ地点でも感じたのだが、ここ湧別川では流木が激しくて、森林の管理はどないなっとるやねん。結局森林は崩壊している。川での流木の多さがそれを現している。いくら木の町を叫んでも川を流れ溜まる流木が森林の荒廃を現してるじゃないか。

白滝村
 結局「高規格道路のインターまで辿りつきたい」と思っていたのだが、ここのインターと白滝村市街地は同じ場所だった。役場を捜して驚いた。「国際交際交流センター」併設なのだ。ここに一番そぐわないのが「国際」のキーワードだろう。地場でこそ活路が有るのだから。べらぼうに立派な役場(総合庁舎)を見るにつけ、ああ、公共事業的体質なんだなぁとガッカリする。このパターンは多い。北海道の市町村を自転車で回ろうなんて思った時の宿命なのか公共事業的体質がいかに市町村の自律を阻害しているか目にしてきた。
ここ白滝村も同じだ、何処をひっくり変えしたら「ふるさと情報センター」であり「国際交流センター」なのだ。それで村民はハッピーになれるのか。もはやこの自治体には村民本位って考え方は無いのか。
 JRの白滝駅に給水場所が有った。ここは北見峠を越えた要所なのだ。ここの「黒曜水」の給水所でボトルの補給と顔を洗わせてもらう。それにしても何も無いなぁと思ったのだが駅の看板を見ると唯一「資料館」が有るのを発見した。ここで白滝村の存在事由(レーゾンデートル)を確認することにする。
 町の中を走って資料館を捜す。これがまたなんとも言えない施設。一般家庭に併設されてるような施設。前に様似町の「客がきたら電気灯ける」ってのと同じ様な施設。入場名簿に記載した時に前の訪問者は7月だった。でもここで解ったのは白滝村は黒曜石の産出で縄文時代から貴重な地域だったってこと。肉を切ったりするのに黒曜石の需要は多く、ここ白滝村から切り出されたのだ。石切り場と石の加工の遺跡が村の地図に朱でプロットされてるが、ほどんど全部が遺跡なのだ。
その後、明治の時代に旭川からオホーツクに抜ける街道として北見峠が開発される時に村の組織が動員されたらしい。今の網走市、北見市の繁栄はここ白滝村での北見峠開発に負うところが大きいのだ。その後、石北峠が開発されてある意味で取り残されたのがここ北見峠の麓の白滝村かもしれない。主要街道であった北見峠は石北峠でわき役になってしまったのだが、新しいビジョンを構築することも出来ず、ただ、過去のしがらみで公共事業的体質で残り続けてきたのかもしれない。
 12時を少し過ぎていたので湧別川の河川敷に自転車を駐めて軽い昼食にする。それにしても先の丸瀬布町とここ白滝村のギャップに思いが走る。サイクロメータで見るとここ白滝村から北見峠までは奥白滝からだと距離8km、標高差500mの難所だ。JRは石北トンネルで、今度出来た高規格道路は北大雪トンネルで山を貫いている。北海道開発の時代に、この難所である北見峠の開発に白滝村は多大な貢献をしたが、新しい技術開発とともに難所北見峠は過去のもになって来たのだろう。ここ白滝村を残して。

白滝村から遠軽町まで一気走り
 ピストンコースなので白滝村からは一気に遠軽町を目指す。距離にして40km程だろうか、2時間で駆け抜ける事が可能な距離だ。ただひたすらに走る。実はこんな走りも好きなのだ。チェーンのギアの音とタイヤの地面を走る音、ただそれだけを聞きながら走るのも好きなのだ。自転車の楽しみは多様なのだと思う。僕自身が「峠越え」、「平地ダッシュ」、「ポタリング」どれにも魅力を感じるのだから。
出発の時に見た「驛逓100周年記念」の石碑の直前でさすが2時間ぶっ続けの影響が出て、ふとももに疲労による痛みが走る。
当日は晴天でサイクロメータの気温計は29度をさしている。このため水の補給を頻繁に行ってたのだが、ここ40kmを一気に走る間は水の補給を考えていなかった。そのため筋肉がつったのかもしれない。ゴールの湧別川の河川敷きを500m前にしてここの石碑で休憩する。
 やはり現国道333号線は旭川と網走を結ぶ街道で平均12kmから16kmおきに驛逓が設置されていた。交通機関は馬に引かせた鉄馬車(車輪を鉄のタガで固めた馬車)だったらしい。冬は全ての驛逓が越冬していたのだろう。その驛逓跡が唯一国道333号線を語る証人なのだ。
 アメリカ西部の町がゴーストタウン化するように、使命を負えた路線沿いの市町村が消えていく、そんな典型がここ国道333号線沿いの市町村では無いのだろうか。せめて、石碑を残して自らの歴史をとどめたい。そんな思いをさして古くない石碑の表面から感じる。

旅の思い出
 遠軽からの帰りの車のなかで先の「日高悟朗ショー」のラジオを聞く。丸瀬布町長の話しは示唆に富んでいる。「新しいものを建てるでは無く、今有るものを続けていく工夫」それが丸瀬布町の考え方だとのこと。たしかに「国際交流センター」みたいなものは丸瀬布町には無い。
 また、「いこいの森」でキャンプした思い出が周辺市町村から番組に寄せられている。昆虫生態館は町民のボランティアで始まった話し。やはり、丸瀬布町と白滝村で感じたギャップは政策の違いだったのだ。ヤマハのピアノの響盤と鍵盤の製作をして国内シェアの60%を押さえてる丸瀬布。ところが決して企業城下町のように「ピアノの故郷」とは言わず、「いこいの森」に存在事由を掛ける姿勢。これが地方の自律ってことなのだろう。
経済は企業に依存するが独自の文化は忘れない。そんな政策が生きている町なのだろう。何故、アナクロな雨宮号の蒸気機関車が走っているのか、その心髄に触れると解ってくるのだろう。唯一林業が農業と同じく産業として自立している地域が丸瀬布町なのかもしれない。
ただ、あえて苦言を呈すれば「閉じた世界での価値観」でしか無いと思う。交通の要所の座を石北峠に明け渡した時点で、単に交通ばかりでは無く情報も過疎になったのだ。その過疎を自身感じているのかどうか解らないが、少なくとも数百万円を払って「日高悟朗ショー」を呼ぶ必然性は感じられない。言葉は悪いが「騙されてる」。
「いこいの森」も市街地からあそこまで離れると市街地には何の恩恵も無い。少し知恵絞れば解ることだ。過去の栄光なんかはどうでも良い。がしかし、背景8kmで500m登る北見峠を控えているのだ。しかも15年も「消化」してきたツールド・北海道があるのだ。ここは自転車のメッカに成り得るのだ、幸い交通量も少ないし(笑い)北見峠を最大に生かすのは山岳コースとしての自然を利用した観光開発なのだ。
各地で盛んな「合宿受け入れ」って政策は結果的に地元への金銭が落ちる。同じように山岳コースとしてピカイチの北見峠を有する市町村として「合宿受け入れ」に積極的になってはどうだろうか。
情報過疎故に出入り業者の企画に乗ってしまう役場。悪いけどそこまで言わせてもらいたい。北見峠の歴史・文化・これからの価値を一番解ってないのが白滝村と丸瀬布町なのだ。たぶん、役場の職員がマンネリ化してるのだろう、世界を知らない公務員では町を活性化出来ない。だから、情報が重要なのだ。
 交通過疎は目に見えている。情報過疎まであと一歩。自らの資源に気が付かない不勉強には住民でない僕も不満を憶える。北見峠を資源にする企画を練れよ。その能力も無いのかぁ。「日高悟朗ショー」を呼ぶ場合じゃないのだ。役場の勉強が足りない。
2002.08.03 (C)Mint 本日の走行 76.0km 所要時間 4:02:10

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