渓谷の町...滝上町
コース概要
前回、猿払村まで足を伸ばしたが、あと北方には稚内市を残すのみ、ここで再度オホーツクの未踏破地域を調べてみると周囲から距離のある町が浮かんできた。滝上町(たきのうえちょう)。一番近い紋別市からでも35km有る。紋別市からさらに先の町をと思うと西興部村(にしおこっぺむら)。27km先にある。合わせて62km、往復で124kmはちとしんどい。とりあえず滝上町一つに絞り訪問予定をたてる。
地図で見ると滝上渓谷、上洛陽の滝、滝上公園などの文字が目に付く。ここ滝上は春には山一つが全面ピンクの芝桜に被われるので有名だが、それ以外に渓谷が有るようだ。サクール川、シュルトルマップ川が渚滑川(しょこつがわ)と合流する地点が滝上町なのだ。川の合流地点に開けた町は北海道でもそう沢山は無い。そこに生き続ける文化とはどのようなものなのか。興味深々の地域である。
輪行概要
今回自転車で走行する区間を車で事前に走りたくないので紋別市へは滝上町を回り込むように国道242、238を利用して湧別から進む。国道238号線に大山パーキングが有る。前回紋別市を訪れた時にスカイタワーの登り口で見つけた公共スペースだ。
湧別の役場の手前を左折してオホーツク紋別空港が左に見えたあたりで紋別市に入る。紋別市は国道が市街地をバイパスしているのだが、そのバイパスの中心の小高い丘に大山パーキングエリアがある。
帰りはここから滝上町を過ぎて浮島トンネルを抜けると来たときの上川に抜ける道に合流する。こちらのルートだと同じ大山パーキングでも40km程距離が短くて済む。この浮島トンネルも自転車で抜けてみたいのだが、車で走ってみてもさすが3332mのトンネルは長い。日高から十勝に抜ける野塚トンネル(4232m)が完成した今では首位の座を譲ったが、5年ほど前まではこの浮島トンネルが北海道で一番長いトンネルだったのだ、しかも滝上町側からは2%の上りだ。
歩道も狭く正直荷物の多いランドナーなんかで抜けるのは命懸けになると思う。残念ながらこのトンネル1本のために国道273号線の上川から滝上に抜けるルートは「自転車走行不適」と言わざるをえない。
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裏道を進む
紋別市の大山パーキングに到着したのは10時30分頃。自転車を組み立てているとパラパラと雨が降り出した。本当に今年の北海道の天気は不順だ。今年のサイクリングでドピーカンに晴れたのは一度も無い。青空の下で走れたのは歌登と浜頓別、どちらもオホーツク海からの海霧が切れたあたりであった。
ここまで来る途中でもパラパラとは雨が降っていたので、通り雨で本格的な雨になる訳では無いと判断し出発する。
ここから北上して国道273号線を進む道もあるのだが、前回紋別市に来たときにセイコーマートの横の道に「滝上町」って道路標識を発見した。地図で見ると若干近道なのでここを走って、帰りは国道273号線てなプランを立てて今来た道を自転車で戻る。紋別市の市街地をバイパスしているので結構アップダウンが有る。雨は通り雨のようでセイコーマートにたどり着く頃には上がっていた。
ここを右に曲がって名も無い道を進む。結構アップダウンがきつい。経験から解っているのだが昔の道は多少距離が増えても平坦な道だった。新しい道は車社会に合わせたのかアップダウンがきついが距離が短くなる傾向がある。だから、自転車で走るときの地図の読み方なのだが、等高線を読むのは当然として一般的に古い道のほうがアップダウンが少ない。で、裏道は結構アップダウンの繰り返しがきつかった(笑い)。
6km程進むと国道273号線に合流するT字路の交差点に出る。ここを左折して滝上町に向かうことになる。
雨がパラパラ降っていることもあるのだけれど、ここは酪農を中心とした地帯で自転車で走っていても虫が顔に当たる。これは町の作り方だと思うのだが、一般的には道路からの騒音を避けるために道路から奥まったところに牛舎や家を建てる例が多い。先の先の浜頓別なんかだその例だ。ここは道路に密着して牛舎が建っているそのために牛舎の匂いも虫も道路にもろに出てくる。最悪は口の中にも飛び込んでくる。帽子のツバを利用して避けるのだけれど、顔に当たる感触が気持ち悪い。
途中、丸瀬布(丸瀬布町では無くて地名)で小学校と体育館とパークゴルフ場がセットになったような公園で給水と補給のために小休止する。この施設は結構使われてるようで当日もパークゴルフを楽しむ人たちが結構居た。芝の手入れも良いようで、ここは「数少ない使われてる公共施設」なのだろうか。ここの水は十分飲用に耐えた、空いたペットボトルに水を詰め、顔を洗って今日の秘密兵器のバナナを2本食べてさらに先に進む。
なんせ、前回ハンガーノックで足がつったので今回は補給にナーバスになる。実際どれだけ走れるのかを一回札幌周辺で試しておくのが必要と思うが、補給さえ間違わなければ今の体力でも160km(いわゆるセンチュリーラン100マイル)は走れると思っているのだが。
紋別市と滝上町の境界では「童話村」の看板が迎えてくれる。町のキャッチフレースは多々あり、昔、北海道の市町村全てのキャッチフレーズを調べたことがある。残念ながら当時の資料は紛失してしまったが「自転車健康の町、豊富町」とか、僕に言わせると「一神教的な」コピーが気になる所だ。世の中は沢山価値観が有って良い。だから、それを包含するコピーが欲しいのだが新冠町の「レコードの町」、剣淵町の「絵本の里」なんか多々あるがあまり好きでは無い。
太平洋戦争以降日本が一見平和だったのはエコノミック・アニマルのような経済活動は実は選択肢がた沢山あったからだと思う。何か有った時に選択肢が沢山ある状態を常に維持するのが良い。その意味では「赤毛のアン」とか「一神教的な」よりは「童話村」は優れていると思う。ただ、童話の音が「同和」とつながることまで配慮できない地域性を感じた。これはこれで良い意味の「北海道的な」ってことだろう。
滝上(たきのうえ)町
そろそろ滝上町の市街地かと思いT字路が見えたので左折する。国道と平行した道に沿って小さな商店街が開けている。この感じは「駅前」なのだ。もしかして昔の駅舎跡がと探してみると旅館の有る広場にあった。ただ、ちょっと規模が小さい。地図を広げてみるとどうも手前の濁川地区らしい。
ここからさらに進むと滝上町市街地に出る。最初の印象はとにかく公園が多い。市街地の各所に公園と駐車場がある。さらに進んで右折すると訪問の証役場庁舎に出る。
早速お決まりの記念撮影(最近はデジカメの三脚を買ったので何故かセルフタイマーで写り込んでいるのだが)するが、写真で解るように何故かうなだれている。
滝上町の役場が大きいのだ。前から述べているが「地域で一番大きな産業が役場の町は衰退する」。税金が地域経済では自立と自律にはほど遠いだろう。このピンクと白のタイルが貼られた役場庁舎を見たときに正直ガッカリしたのだ。
最近ただ自転車で走っているなら札幌周辺のほうが整備されてると思っている。またインタネのサイクリングや旅紀行で北海道は意外と海岸線の情報ばかりだ。内陸では富良野が唯一気を吐いているくらいだ。
でも、北海道を面で捉えたいと思って自転車で走っているのだが、どうにもこの巨大役場に食傷気味なのだ。前回の猿払村と2レンチャンなのがなんとも気持ちを萎えさせる。
この町も食い詰めて税金で食う、言葉は極端で悪いが「生活保護市町村」なのかとがっかりしたのだ。この滝上町の規模は人口4000人程だ。その町に100名以上の役場職員が居てこの役場庁舎。うーん市町村規模の適正化ってのが説得力有るのかなぁ。
滝上郷土館
記念写真も撮ったしそろそろ戻らないと7時までに札幌に戻れない。街の中にある公園の駐車場を使えば次回のための車のデポも出来ることを確認した。役場の周りを回って帰路に付く。途中市街地を走ってみようと役場から国道を避けて裏道に入ると横から中学生くらいの子供の自転車が飛び出してくる。近くの看板を見ると「虹の橋」と書かれている。そうそう、ここの滝上神社に行こうかなと出発前に思っていたのを思い出す。なんせ、巨大役場に「やれやれな気分」になっていたのだ。
虹の橋はどうかなぁって設備だった。展望を兼ねた二階建ての橋で二個所に滑り台がつけられている。当日はパラパラ雨が降っていたのだが、滑り台が雨に濡れてこのまま滑ると速度が出過ぎて怪我すると思われるのだが別に規制も無い。誰も滑らない滑り台だから規制も無いのだろう。だとしたら必要なのか? と疑問に思う。
ここから滝上神社が見えた。お参りに向かう。その途中の階段で虹の橋を振り返って見るが、やっぱコジツケで作った橋にしか見えない。
実はこの時点で滝上町はハズレだなと思った。資料を見ると人口4000人の町に役場職員が100人以上、典型的な適正規模に満たない自治体ってことだろうか。
このまま帰ったらそのままの印象だったろう。何故か国道を離れてさらに進むと「郷土館」の有る広場に出た。当日は「夏に恋する」だかなんだか忘れたが滝上町の夏祭が有るらしい。その祭りの駐車場が宿泊施設なんかが集まった郷土館が隣接した駐車場らしい。とにかくこのお祭りのおかげで入場料100円の郷土館が今日はタダらしい。
正直100円なら払って良いのだけれど、何故か無料がうれしくてここ「郷土館」に自転車を駐めて見学させてもらう。
ここの滝上町の郷土館はテーマで3つのゾーンに分けられてる。郷土の歴史館、生活館、SL館の三つだ。ここの郷土の歴史館に昔の「薄荷蒸留樽」の展示があった。薄荷(ハッカ)と言えば北見市が有名だが、ここでも薄荷蒸留の歴史があったのだ。実はラベンダーオイルの蒸留を密かに(ってインタネで書くのもおかしいが)研究している僕には納得の装置だった。
生活館は倉庫のようなのだが、寄贈された昔のものを展示と言うより保管している倉庫だった。ここに寄贈した人には理由は多々あるだろうが、これが数十年後に「郷土館」資料になっていくのだ。
SL館にはラッセル車があった。雪の線路を除雪する車両を「ラッセル車」と呼ぶ。これがアクリウムのような屋内に格納されているのだ。「ラッセル」は多分登山用語の雪を踏みしめて道を作るの意味なのだろうが、ここでは鉄路を確保するのがラッセル車なのだ。
SLを屋内保管している町村は少ない。ここは花形のD51では無いが屋内保管展示できてる。しかも、誰も見ないかもしれないが、ワープロで書かれた紙の説明文に以下の表記がある。
96型39628号
大正8年8月27日 川崎に生まれそれから昭和50年6月25日まで機はひたすら走り抜いてきた。このSLが、名寄機関区を追われて、今ここにいる。カマを落とし、走る道をなくし3,707,897キロの想い出をかみしめるかのように。
スチーム・ロコモティブエンジン・SL
蒸気機関車のあの豪快な汽笛や、ダイナミックな走行音は、もうどこでも自由にきくことはできなくなってしまった。ここに保存しておくのは、消え去ったものに対するあわれさからではなく、100年ものSLの歴史が、近代国家100年そのもものを引っ張ってきて、その果てに、みずから運んだ近代化の波に押し流され、消えて去ったというドラマがあるからである。
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この看板に感動した。ここに名寄機関区で不要になった車両を展示して廃線になった「渚滑線」の歴史を刻もうと思っている人が居るのだ。役場にとっては「無くなったものは金を生まない」と思うかもしれないが、ここ郷土館で頑固にドンキホーテのように頑張っている人が居るのだと感じた。その人の書いた説明文は伝えたい事を的確に表現してる。
町の過去を書き留め、現在を見直し、未来につなげていこうって意気込みが伝わってくる。このSLの写真は
北海道写真館に掲示してある。
前にも書いたがオホーツク地域は廃線の地でもある。ここも渚滑線の廃線跡地なのだ。この滝上町に鉄路が伸びていたことを知る人は少なくなっている。
せめて見学者も少ないのだからSLの爆走する音を流せないものか。SLを知らない子供たちにカンカンカンと鳴る遮断機の音、遠くから聞こえる汽笛、地面を揺るがす轟音と吐き出される白い水蒸気の雲。それを体感できる映像が欲しいと思った。橋を作る何分の1の費用で可能ではないだろうか。
郷土館の対岸に向かうと小さな発電所がある。看板から北電の施設のようだ。出力はどれくらいなのだろう。ローカル・エネルギー利用で風力発電程度だろうか。
ここから遊歩道が伸びている。これが旧渚滑線跡地なのだろうか。整備が悪く折角の渓谷が木に隠されて良く見えない。で、遊歩道の終わりに橋がある。対岸からスピーカーの音が聞こえているので歩いて螺旋階段を上り対岸に出てみる。ここが「夏に恋して」だったかの夏祭会場らしい。
出店をのぞいてみるがとうきび200円では買う気がしない。今日は補給のおにぎりも残っている。会場を一周して元の橋を渡って、ふと気になったのは「この橋はなんなんだ」ってこと。歩いてしか渡れないし、この橋から国道に出るには私有地を通るようだ。整備の悪い遊歩道の延長? 誰も使わない橋? うーん、考えてしまう。
渚滑川に添ってオホーツク海へ
今日のコースは完全なピストンコースだが、途中から国道273号に合流したので、帰りは完全に国道273号線を使ってオホーツクの海まで抜ける。その距離35km。若干の追い風と緩い下りを利用して30km/時で駆け抜ける。ここまでは30分程走って小休止の繰り返しだったのだが、一気に駆け抜ける。
先ほどの合流地点から右に大山の上の鉄塔とスカイタワーが見える。これを右に見ながら大山を巻くように渚滑町(市町村名では無くて町名)のT字路を過ぎて紋別海岸に出る。次回はここのT字路を北に向かって興部、雄武を訪問予定だ。
海岸線から大山の紋別バイパスに一気に上り大山パーキングに到着。さすが内陸方面だったのでサイクリストには合わなかった。ここから内陸に抜けるには興部から下川に抜ける道がベストだろう。
それにしても春の芝さくらでも無い限り、忘れ去られた町になってしまう滝上町ではあった。童話の町のコンセプトもイマイチ解らない。
2003.08.02 (C)Mint 本日の走行79.0km 走行時間4:45 (車:行き340km、戻り300km
往復640km)
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