オロフレ峠..室蘭、伊達、壮瞥
コース概要
北海道全周ツーリングと、ボクのように、市町村訪問と違うのは、やはり距離を重ね方式と難所を楽しむ違いでしょうか。どちらがどうだと言うのでなく、どちらかと言うとボクの方法は「地元故の余裕」かもしれません。(なにも、難しいルートを選ぶ必要は無いのだから)
オロフレ峠はツールド北海道でも度々使われる山岳コースで、旧道の最高地点は930mの峠です。
北海道では、1000mを越える自動車で走行可能な峠は数カ所ありますが、最近は、冬季の気象状況を考えて、極力トンネルにして安全をはかる工事が進められています。その中で930mは、昔「東洋一の峠」と言われただけのことは有るのか無いのか、25年ぶりで訪問してみます。
いざ出発
当日は北海道全域が晴れもしくは薄曇りで、唯一オロフレ峠近辺のみが霧雨(苦笑)だったのですが、この天気予報をラジオで聞いたのは、既に千歳空港を過ぎたあたり。たしかに、札幌を出るときはサンバイザーで朝日を遮らなければならない天気だったのに、ここ千歳に入るあたりから曇ってきました。
目的の新登別大橋の駐車公園までは2時間半、白老を抜ける頃からすっかり霧雨の中です。
霧雨と言うより、霧の中を進んで駐車公園に辿り付く時には視界30mの雲の中。ボクが単独行にあくまでコダワルのはこうゆう天気の時。もし同行者が居れば、ならず「今日は止めようか」って声が出る。アウトドアスポーツの真髄は天候が与えてくれる自然の変化を楽しむこと。洪水警報が出ている時にテントを叩く雨音の変化に耳をすませながら、気象予報をラジオで聞く。天候が自分の行動左右するなんて、一般の生活では出会わないのです。そんな非日常がアウトドアではないのだろうか。だから、雨の中のサイクリングもボクにとってはアウトドアを満喫してることになるのだが、同行者が居るとこの価値観を共有出来ないので、やはり単独行になる。
高名なアルピニスト長谷川恒夫、冒険家の植村直巳、堀江謙一が単独行を選ぶのは、やはり自然と対話するのは人間は一人(自分)で十分ってことではないだろうか。
駐車公園に車を駐めて、登別大橋を霧の中に消えていくトラックをしばらく見つめる。(自分の中で、この霧雨の中を走行するかどうかの気持ちの切り替えをする)
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登別市役所
ここから、登別市役所までは一気の下り、計画では飛ばしに飛ばしてと思っていたのけれど、水溜まりを避けながら、そして、メガネを拭きながらなのでゆっくり下る。ボクは近眼なのでメガネが必要なのだけれど、雨の中の走行では水滴が付いて視界を妨げるので時々拭かなければならない。
昔は、バイクのライダーのために、ドライバーグローブの背中にセーム皮を張ったものが有ったのだけれど、最近は見ない。最近のライダーはゴーグルがフルフェースヘルメットに変わって、眼鏡拭きは必要無いのかもしれない。
で、ボクは、時々ティッシュで拭くか、被っている野球帽のひさしを下げてメガネを守っている。今日は、サイクルグローブの背中にティッシュを挟み、濡れるたびに取り替えてメガネを拭く。
実は、室蘭市はポタリングに取っておいて、一気に伊達市を目指す予定だったのだけれど、大滝村を外せば、100Km程のコースで室蘭訪問ができるので、真っ直ぐ室蘭に向かう。(大滝村は、美笛峠のピストンコースで訪問することにする)
室蘭の町はアップダウンを繰り返し、市役所へ向かうのだが、最近「新道」が出来て、これが高架になっていて、平坦に進めるので、ここに進む。時々向かいからの車、後ろからの車がクラクションを鳴らすのは、なぜだ!
自慢じゃないが、時速30kmで進んでいるボクが遅くて迷惑かけている訳じゃない。で、親切な女性がわざわざ車をとめて教えてくれる「ここ、自動車専用で自転車は走れないんですよ」、ガビーン。
途中の誘導路から降りたけれど、下の道ではアップダウンが多くて予定より時間がかかるんだよねぇ。それよりも、自動車専用なんて、道路標識が目立たないぞ。(たんに、ボクが注意力散漫なのか)
室蘭市役所前で記念写真、1ヶ月程前に仕事で来ているので、たいした感激も無し。白鳥大橋の写真をとも思ったのだけれど、天候が悪いのと、予定より時間を費やしたので、ここからピストンコースを東室蘭に戻り、伊達市を目指す。
室蘭を出ると天候が回復してきて、白鳥大橋が左手に見えてくる。そう言えば何度が室蘭を訪問しているが、こちら側から白鳥大橋を見るのは初めてだ。
コールセンターからの風景よりもこちら側からのほうが、全景を見ることができる。小高い丘の上で白鳥大橋を見ながら小休止。
さらに進むと、前回苫小牧で見た風力発電の風車を作った今野鉄工所が見える。ここには初代風力風車が設置されている。何故か鉄工所は休みで門が閉鎖されていたので、隣の「ほくさん」の駐車場から風車を見学させてもらう。プロペラ部分がやけに航空機のプロペラを模していて、効率が悪いようだ。
伊達市役所
室蘭市を抜けて伊達市に入る頃から太陽が雲間から出て気温が上がってくる。
どうも室蘭地域のみ霧雨が降っているようだ。伊達市の入り口に大きな花屋がある。伊達の市民の嗜好なのか、やけに花屋が多い。ここの町は旧仙台藩の伊達邦茂が入植した由緒正しい武家の町。市役所の場所が解らず、町中をうろつく。
こうゆう時に参考になるのがJRの駅。駅には必ず町内の案内図がある。市役所をだいぶ通り過ぎたようだ。市役所の有る界隈は商店街になっていて、なにやら「伊達街道」とか。むむ、たしかに東海道53次の宿場町のように、瓦屋根に白壁に統一された商店が並ぶ。
ロードヒーティングの配電板までご丁寧に瓦屋根で囲まれている。さすがのコンビニも1階部分は普通の形式だが、2階は瓦屋根の出窓だったりする(苦笑)
ぎゃ!
市役所の前の北海道銀行。これって、これって、江戸時代の金貸しのの庄屋さまか。おっと、そこから数軒右の北海道拓殖銀行も同じ。普通銀行てのは「お硬い」んだけど、この町では本当に住民合意ができているんだなぁ。
前にツツさんの北海道ツーリングレポート(Nif FCYCLO参照)で町並み景観を統一する是非についてU町を通過した時の例を上げて話していたけど、あそこと違うな。本当、コンビニまで含めて景観が借り物ではない伊達市のアイデンティティになっている。
こうゆう町は絶対研究対象だな。さっそく伊達開拓記念館を訪問する。ぎゃ、ソフトが完備していない。これだけの町の開拓記念館としては、うーーん。
「日本最後の城下町を目指して開墾」、このコピー違うな、幕末の時代は背景を踏まえたら、もちっと別なコピーが無いかなぁ。ここの記念館の重要資料は松浦武四朗が作った北海道測量地図の巻物。既に後志州、天塩州、北見州、樺太州なんて記述がある。「当時は北を上にする習慣がなかった」って書かれてるけど、文字の天地はばらばらなんだよね。この地図が有るのは知っていたけど、現物を見るのは初めて。貴重な資料です。
ここを出て壮瞥町に向かう。昔、来たときには有珠山が噴火する前だったので、さぞかし変化しているだろう。
途中で変な分岐路。右、洞爺温泉、左、壮瞥町。あれあれ、右はその方向かなぁ。地図をよく見ると「昭和新山通り」ってのが出来ている。確か、昭和新山は盲腸道路の先に有ったと記憶しているのだけれど、たぶん、新しい道なんだろう。
オロフレ峠を残しているので、出来れば平地を進みたいのだけれど、好奇心が優先して、この道に進路をとる。たぶん、有珠山と昭和新山の間を抜けて昭和新山の前に出るルートなのだろう。
結構きつい登りを登って正面に昭和新山が見えてくる、有珠山へ向かうロープウェイの下をくぐって昭和新山に出る。天候は完全に回復して、青い空にかすかに白い噴煙を上げる昭和新山に到着。観光客が沢山来ている。なんせ、ここは北海道でも火山を肌で感じられる地域だから一度は見て置いて損は無い。
小学校の頃見た昭和新山と比べると一段と大きくなったように思うのは誤解か
もしれない。でも、観光と呼ぶにはあまりにも荒々しい光景だ。
ここから坂を下って洞爺湖湖畔に出る。ここは、前に虻田町から回って来たことがある場所だ。点と線がつながる。このあたりが、地図を見ても道に迷う場所。北海道の道は目的地に向かって伸びているが、このあたりは平行して走る道が結構多い。しかも洞爺湖に沿っているので、気がつかないうちに方向が、この場合は左に左にと曲がっていく。
T字路に出る直前にサイクリストと出あう。ピース。
このT字路に壮瞥町の役場がある。どうも、このT字路を看板は左に、地図を見ると右にと判断に迷う。で、地図に従って右に進むと、北の海記念館に。つーことは、
道間違った(笑い)。
再度戻って、今度は看板に従い大滝村方向へ。難所のオロフレ峠は近い。ここでサイクルメーターが90kmを越えたのはつらい。もう一度地図で確認すると16km程の登りで一気に峠の頂上にたどり着き、ここから下り。看板には登別市が32km先と出ている。あと半分。残りは下りだ。
オロフレ峠
大滝村とオロフレ峠とのT字路を右に曲がって、たぶん最後の店と思われる店で飲物を買い出し。とりあえず、レモンスカッシュ500mlとコーラ500ml。単純に考えると930mの峠を越えるには暑い日なら2リットル以上の水が必要なのが経験から解っている。今日は時間も15時を過ぎて気温は低い。しかも、荷物は少なくしたいので、2缶を背中のデイバックに詰めて先に進む。ボトルにも500mlは残っているから大丈夫だろう。
川沿いを進みながら登りが始まる。先の峠が視界に入っているので、目標は分かりやすい。どうも、峠をバイパスする道を作るみたいで、遠くにコンクリートの白い橋梁が見える。もっとも、あそこまで、5kmはある。この5km先が見えるってのが北海道的なのか(って、北海道人が言ってどうする)。
時々、バスや乗用車に追い抜かれる以外に出会う車は少ない。日は西に傾いたがさすが、まだ強い。時々開ける視界からは確実に高度を稼いでいる様子がわかる。おっと、西日に輝いているのは洞爺湖、そしてシルエットになった中之島が見える。距離10km先、標高差300m程度か。
さっき見えていた橋梁工事の現場は標高で400m程か。たどり着く頃には、まだ先が長いのが解りガッカリする。サイクルメーターではあと6kmなのだが、まだまだ登りは続く。
それにしても、今日は天候の地域格差がすごい。目の先に見えている山の海側からは霧が登っているようで、全体が青空なのにその部分の斜面だけ霧がはい登ってきている。オロフレ峠方向は霧が晴れているようだ。
おっと、谷間には雪が残っている。もう6月の中旬だと言うのに、さすが標高900mに近づくと夜は氷点下になるのか、となると、もう17時。下手すると日が落ちると急激に気温が下がるのかもしれない。
押しを混ぜながらとにかく、峠を目指す。いいなぁ、大きな峠は。コツコツと登っていくと、いつか高度感の有る頂上に出る。平均速度は10kmを切っているけど着実に高度は上がる。
お、先は下り坂だ。ついに頂上。と思ったら、右「2.4kmオロフレ眺望」の看板が。昔、越えたオロフレ峠はこちらに有るらしい。目の前の坂を下ればあっと言う間に登別温泉、車を止めた地点。がしかし、ここで峠からの眺望を見なくては何のためにここまで登ってきたのか。
ほとんど、力の無くなった足でペダルを漕いで旧道の峠に向かう。この間の標高差はさほど無い、が、向かい風が強い。つーことは、戻りは追い風なんだから、都合は良い。
ついに出た、オロフレ峠930m。
昔と同じ眺望が開ける。旧道は崖崩れで破壊され、北斜面はまだ雪に被われているが、ここは20年前に見たオロフレ峠。遠く下に続く道が眺められる。
自転車なら旧道を下れそうだけど、ま、冒険する程体力は残っていない。まして単独行では。
おっと、北キツネが寄ってくる。普通なら餌を与えて自然の生命力を落とすのは感心しないのだけれど、930mの峠を極めた仲間だ。デイバックからビスケットを出して与える。ま、人に頼らない生活せいよぉ。
裏を通って今下に見えているトンネルに抜けるようだ。最後の下りを一気に目指す。おっと、来るときは後ろ側だったのだが、羊蹄山が先に見えている。さすが、高度が有ると遠くの眺望が開ける。
坂を下ったらカルルス温泉。地図を読むとここから別な道が新登別大橋に続いているようなんだけど、どうも無い。つーよりも、ここから登りが始まる。長い坂を下ってきたので、足の筋肉は冷えきって、もう、坂を登る力は戻ってこない。ゆっくり押しをしながら坂を登る。
全体として下りなのだけれど、時々登りが現れる。
18時を過ぎてなんとか駐車場到着。予定どおり缶コーラーもジュースもボトルすら空にして、とりあえずオロフレ峠を越えた。
1996.06.08 本日の走行 128km
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