産炭跡地..........新しい息吹、三笠市

コース概要
 極力多くの市町村を回ろうと、コース設定すると、妙に空白域が出来てくる。前回の大滝村と同じように、近場で残っている三笠市。炭坑とともに歩んだ歴史を見たくて、岩見沢市役所の駐車場を「勝手に」借りて、三笠および桂沢ダム。
炭坑跡地というのは、何故か「強者どもの夢の跡」みたいな雰囲気があって、わびしいって感じなのだが、どうも、三笠は違う。何処が違うかは表現出来ないが、赤平市で感じたような、なんか勢いを感じる。
いざ出発
 今年の北海道は天候不順なのか、春の連休が終わっても、半袖では寒いような気候。岩見沢まではC&Cで車。ここで自転車を組み立てていざ出発です。
同じ道を往復するのでは面白くないので、岩見沢から直接桂沢湖を目指し、復路で三笠市を経由して国道12号線を戻ってくるコース設定。
 当日は風が強く、どうも向かい風基調なのですが、昼過ぎると風向きが変わって往復とも向かい風ってのは良く経験することで、けっこうシンドイコースが予想される。
 岩見沢市役所の目の前の道を桂沢湖へ、道々30号と合流して、アップダウンの多い道を桂沢湖へ向かう。経験から、古い号線の道は平野を選んで設定されているが、バイパスする新しい道は車での往来を前提に設定されるので、アップダウンがきつい場合が多い。北海道を自転車で回るときは、新しい道なのか古くからの道なのかがコースの起伏に反映する。
 この道は、改修工事が計画されているようで、曲がりくねった部分を直線にするための盛り土が随所に見らる。トラックを中心にした割と交通量の少ない道で、この延長上の桂沢湖から芦別、そして富良野まで、北海道を横断する道が続いている。10年程前から未舗装のルートだったのだが、最近完全舗装になったもよう。

三笠(みかさ)市
 途中左に「三笠市街まで3Km」のT字路を過ぎ、三笠鉄道村への分岐点と三笠市から桂沢湖へ伸びる道と合流するあたりが、幾春別(いくしゅんべつ)。
 ここが、三笠の炭坑の発祥の地。ここから、ダラダラと登り水道事業団を左手に見、発電所を過ぎて一気にダム堰堤分登ると桂沢湖到着。岩見沢市から30km程。
 ここの湖畔には高さ10m程の「エゾミカサリュウ」の模型が。この時期、まだ観光客は居ないみたいで、湖畔の貸しボートの桟橋の修理、冬囲いの後かたづけで数人の職員が働いているだけ。たぶん、7月からのキャンプの時期は多くの人で賑わうのでしょう。
 ダムを見るのに最高の時期は、やはり春先の雪解け水で満水状態になっている時。今日も湖面は満水状態です。この奥に芦別に抜ける道が延びているので、状況を視察。桂沢橋のあたりで、T字路になっていて、直進すると芦別、右に曲がると夕張。意外とこの道は知られていないようで、交通量が極端に少なく、逆に自転車向きな道かもしれない。
(後で聞いた話しだが、ここからトンネルを抜けると後は長い下り坂が続くらしい。一気に芦別、富良野に抜けるバイパス道路になるだろう)。
ダム堰堤脇の登り道を力づくでペダリングしたためか、30km程で足にきている。シーズン始めとは言え、鍛えていないことが証明されてしまった。
 ここから、湖畔に沿ってダム堰堤上の道へ。下を見下ろすとまだ雪が残っている。ダム管理事務所が設置している案内スピーカーのスイッチを押して、ダムの歴史を聞く。北海道で最古の多目的重力ダムで、発電・水道・農業用水として設計されている。構想は昭和7年から有り、実際には昭和30年代に完成した。下流の美唄、北村、岩見沢、新篠津、三笠の水道に給水している。
 このダム堰堤の道を進み来た方向と逆に道を下る。次の目的は三笠市立博物館。ここはエゾミカサリュウの化石が展示され、恐竜関係の博物館のイメージが強いが、それも10年前のイメージで、どのように展示が替わったか興味深い。発電所を過ぎたあたりから、三笠ファミリーランドが左手に見えてくる。ここは冬場のスキー場の夏場利用を目的に作られているのだが、ま、正直言ってだれも利用していない。ただ、ここには、スケボーやローラースケートが楽しめるコースが有るので、最近インライナーをはじめた身としては、路面を観測しておきたい。屋外に有るため、雨天時のコンディションも考慮する必要があるのだろうが、基本的にデコボコの多い、あまり楽しめる舗装では無かったけど。
 ここから、市立博物館まで幾春別川沿いのサイクリングロードが有る。今日はカヌースラロームの大会を行っているので、これを見物しながら博物館へ向かう。以外とカヌー人口が多いのに驚かされる。雪解け水で増水した川の全部で18旗門を下ってくる。時間と旗門通過のゲームなのだが、逆行しなければならない旗門の前で大休憩をとりながら見物させてもらう。やはり、2人乗りでは逆行旗門はパスして行く選手が多い。両岸から声援がかかるが、「あきらめたぁ」って下っていく選手も多い。
 このサイクリングロードの沿線は石炭の地層が露呈している所で、地学の実習には最適であろう。途中、石炭発見のきっかけになった、自然ガスが発生している所を抜けて市立博物館に出る。ここのガス噴気孔周辺に有名な「三笠石」が有るのだろう。窒息しても なになので、横目でにらむ程度にとどめる。
 市立博物館で入場料を払うときに、さきほどのサイクリングロードを三笠市街まで下れるのか確認したのだけれど、どうも無理みたい。入場料300円なりを払って展示を見学する。300円は、妥当な金額だろう。市町村のこの種の施設で「金返せ」状態になるものが多いので、とりあえず、500円以上はパスすることにしている。
 中の展示室に入ると直径50cm以上のアンモナイトの化石がゴロゴロ。これに度肝を抜かれる。上を見上げると翼長8mの翼竜(プレアノドンだったっけ)。うん、絶対これは羽ばたいて飛ぶもんではないな。グライダーみたいに飛んだのではないだろうか。
 アンモナイトとの比較でオウムガイも展示されていたが、オウムガイって貝じゃなくてイカだってのは初めて知った。待望のエゾミカサリュウの化石と対面。案内には「肉食恐竜か海トカゲの1種か研究中ですが...」と苦しい説明。ま、どうでも良いじゃない。このエゾミカサリュウでしっかり町興しができているのだから。
昔来たときには無かったと思うが、炭坑関係の展示、そして、三笠出身者の展示。すでに300円の元をとっているので、大変興味深く見させてもらった。テンポラリーなのだが消防組合の昭和22の三笠大火から50周年の展示も良かった。
 さらに、レーザーディスクで「石炭とともに100年」(その他5種類くらいあるが)を見たが、内容は濃い。開拓史とともに石炭で始まった三笠の歴史がコンパクトにまとめられている。初期の収監所(刑務所)労働、戦前の朝鮮人強制労働、戦後の幾多の労働争議、石炭をめぐる人の営みがつぶさに描かれている。昭和50年の爆発事故、これを修復して炭坑再開にまでこごつけた努力。そして...。さすが映像はここで終わっている。
 やはり、エネルギー政策の波に翻弄された100年がわかる。北海道で最初に引かれた鉄道がここ三笠から小樽の手宮までの石炭輸送線であったことも思い出した。一方の端である小樽の手宮には、鉄道跡地を利用した交通博物館が去年オープンしている。
 1時間以上居ただろうか、今日はまだ市町村役場に到達していない。ここから道央高速道路三笠インターチェンジに向かう途中に三笠市街がある。でも、石炭をめぐる施設の廃墟が点在しているのは、ここ幾峻別だろう。炭坑が無くなった今でも平地であったことが幸いしたのか、農業が基幹産業として根付いているようだ。このあたりが、歌志内、上砂川等との違いだろうか。モノカルチャーから複合産業に脱皮出来るかどうかの決め手は、この幾峻別川と平地だったのだろう。
考えてみると赤平市も同じ様な経過を辿ったと思われる。産炭地の歴史は町づくりの良いケーススタディかもしれない。
 向かい風に逆らいながら三笠市役所到着。ま、昔(20年以上前)と同じ建物でした。何故か市役所の看板がひっそりとしている。おやくそくの記念写真。ここから、国道12号に出て、岩見沢市役所に戻る。ま、とにかく強い向かい風と戦いながらなんとか到着。
 考えてみると、車の中で朝食を食べた後は、給食無しで走っていた訳で、どうも軽いハンガーノック状態になっている。1時間走ったら10分休憩をほとんどとっていなかった。わずか60kmくらいで、足はガタガタになってしまった。
1997.05.17 本日の走行 62km
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