十勝平野を目指す..占冠、南富良野

コース概要
 札幌から道東へ向かう場合、越えなくてはいけない山脈がある。国道の名前で考えると、国道274号線、通称「樹海ロード」を通って日高町から日勝峠を越える方法(前年、沙流川の源流に触れるで峠までは到達)。もう一方は国道38号線を通って狩勝(かりかち)峠を越える方法。この狩勝峠は日勝峠に比べて標高が低く(日勝峠1023m、狩勝峠680m)越えやすいと思われる。
 前年に日勝峠から見下ろした十勝平野は、下っても再度登って来るにはかなりキツイ印象を受けた。また、峠を登るトラックの排気の黒煙に包まれて死んでしまうのではと思われた。そこで、もう一方の峠である狩勝峠のお膝元まで足を延ばしておいて、今後の道東方面への走行計画を練り直しておこうと考えた。
多くの北海道自転車旅行記ではメッカである襟裳岬を巻いて道東に入るので、以外と日勝峠、狩勝峠は紹介されていない。特に、富良野から足を延ばして南富良野を越え、十勝清水に下る狩勝峠越えはあまり楽しいルートでは無いかもしれない。
 今回は峠を3つ越えることになる。日高峠、金山峠、そして金山湖をクルット回って再度日高峠を越えて日高に戻ってくる。もちろん、駐車場として道の駅「日高」を利用させてもらう。
 アバウトに地図で確認すると100kmの行程、シーズン初めの距離としては少し長いが単純に往復するのは好きでないのと、やはり狩勝峠への入り口を見つけるためには南富良野から少しだけ足を延ばしておきたい。また、倒産したトマムリゾートのその後の周辺も見ておきたい。

いざ出発
 道の駅日高では今年の分のスタンプテーリングのスタンプを押しておく。南富良野にも道の駅があるので、今日は2つのスタンプが追加できる見込みだ。
 占冠(しむかっぷ)に向かって道の駅日高を出発する。このあたりは標高300m程で、今が桜のまっさかり。神社の参道は桜並木で美しい。それにしても、5月の15日だと言うのに気温の低さはどうにかならないだろうか。来る途中の車の中で聞いた天気予報では4月中旬の気温とのこと。最高気温も8度までしか上がらない。しかし、雲が少なく日光を浴びているにはさほど気温が低いとは感じない。特に日高峠越えは日高側からの登りがキツイ。普段は「走り初めて5kmは我慢のサイクリング。5kmを過ぎると楽になる」と言い聞かせて走るのだが、最初からのキツイ登りになかなか楽にならない。
 札幌方向から今しがた車で走ってきた道が眼下に広がる。途中までは結構見晴らしが良く高度感を感じる峠だ。最近の峠の頂上の確認はトンネルや市町村境界線に加えて携帯電話の鉄塔って目印が出来た。遠くに携帯電話の鉄塔が見えると、「あそこまで行けば峠を越えられる」との励みになる。
 地図で見たように、占冠側はダラダラと下る坂で、やはり追い風で占冠側から登るのがこの峠の最高の楽しみ方と言える。町に入り右折すると役場がある。最近は役場の目印も遠くから見える防災無線パラボラアンテナに変わってきている。占冠の役場の前で記念写真。ここまでは、たいした事は無い。農業予算なのか占冠の町の歩道は2色のレンガで構成された華やかな歩道が広がる。
ここから、金山へ向かう。もう一つの峠、金山峠を越えて金山ダムに出る。このダム湖を回って南富良野に出る予定だ。
 最初に日高峠を越えたためか金山峠はさほど苦にならない。途中で峠の茶屋の後の碑をを発見。これがラジオで聞いた「おにばばの茶屋」なんだ。金山に出張のおりには、わざわざこの「おにばばぁの茶屋」にまで足を延ばす人が居たとか。おっと、道の近くにエゾ鹿が飛び歩いている。尻の毛が白い雌のエゾ鹿らしい。自然のエゾ鹿を見るのは始めただ。しかし、最近の北海道は各地で熊が出没しているので、エゾ鹿が見れられると言うことは、熊も遠からずってことだろうか。交通量も1〜2分に1台の割合なのだから、結構山奥に入ってきたことになる。ゆるい追い風を受けながら気が付くと金山トンネルに出ている。このトンネルを抜けると南富良野へ下ることになる。
 トンネルを抜けると「ああ、占冠側から登って良かった」と実感した。なんと、ここからの下りは大きくU字になりながら一気に下ることになる。峠を登っている時に横に上を走る車が見えた時の「あそこまで道が登っているのか」って感触はあまり楽しいものでは無い。その意味で、僕にとって逆の登りにならなかった事がうれしい。最も裏切られた峠は千歳側から大滝村に抜ける美笛峠だろう。左斜面のかなり上にラーメン構造の橋が見えたときには、あそこまで道が大ききく回っているのだとガッカリした。
 話が逸れた。

南富良野(みなみふらの)町
 JRの金山駅を過ぎて直進すると富良野、右に曲がると南富良野のT字路がある。右に曲がり南富良野に向かう。途中、大きな重力式のダムが見えて来る。ちょっと待てよ、金山湖ってこっち側がダムだったっけ。地図を引きだして確認する。確かに金山湖は西のこちら側にダムが有る。でもね、湖の形を見るとこちらが上流で、南富良野側に大きなダムが有ってもおかしくない。特に、ペンケヤアラ川や藤の沢川が作る三角の湾がダムの上流を思わせるのだが。
 ダムの直前はシェルターになっていてキツイ登りが続く。と言っても距離的にはたいした事が無いのだが。この中間地点を右に曲がるとダムサイトに出る。普通ダムは手前に見学者用の駐車スペースが有るのだが、この金山ダムはダム体の上を抜けて(車で)向かい側のダム事務所の前に駐車場がある。大きな丸い取水口を左に、右にダム下の広場を見ながらこのダム本体上の道を進む。駐車場の横のダムの説明が流れるボタンを押して、ここで小休止。来る途中で購入したオニギリを食べながらテープで流れる説明を聞く。
 昭和46年(1971年)に竣工したこのダムは通常のダムと同じく多目的なもので発電、農業用水、上水道、洪水対策等に利用されている。総工費は700億円(移転補償等を含む)。このダムは構造的に中空重力ダムで、たしかに断面図では下が中空になっている。昭和46年と言えば、大学の1年の時(歳がばれる)。士別市の親戚が「金山にダムが出来た。遊びに行っている」と話していた時代だ。このダム建設で何が変わったのか、どうもはっきり見えてこない。ま、ダムの西の端に居るだけで全体像が見える訳も無いが、正直行って「かなやま湖」を地域の人々が生かしているか疑問がこの時点であった。理屈っぽいようだが、たぶん、ここにダムを作るにあたり、水没してしまう土地を買収するときに「公共の利益」が優先したであろう。その結果を出せたのか、竣工から28年、どこかで目にすることが出来るかもしれない。
 僕は決してダムが嫌いなのでは無い。大学時代に電気工学を専攻して、当時は原子力発電なんか東海村しか無くて、発電と言えば水力の時代で(火力も水力を追い越す直前だったが)ダム建設は立派に電気工学の中で概論として存在した。映画で石原裕二郎の「黒部の太陽」なんか、やっぱ興奮して見た世代だ。結局、時代の流れの中でダムに水没してしまった、特に生産活動に利用されていた農地を考えると、それを上回る価値をダムに求めてしまう。その意味で、北海道では歴史的博物的価値のある桂沢ダムが好きだ。生活臭がする。
 あ、また、話がそれた。
 ここから8km東に進むと南富良野の市街地にでる。湖面を右手に見ながら自転車を走らせる。途中ショッキングなものが有った「湖底の故郷」として水没した自らの家の庭石を提示しているもの。ま、歴史っていうのは個人が保存しなければ伝わらないのだから、しっかり記録しましたよ。
 既に3時間を過ぎて「かなやま湖森林公園」で小休止。なんせ、このコースは給水ポイントが少ない。気温が低いので汗も出ず、ちょっと中途半端なサイクリングになっている。ここの施設もすばらしいと思う。ただ、利用者が少ないかな。
顔を洗って、吸水して、土曜日だからなのか、利用者が少なく、道ばたの露天も6軒のうち1軒した開いていない。北のこのあたりではウォータースポーツも年数ヶ月のシーズンでしか無いのだろうか。
 さらに進むと「鹿越大橋」がある。うーーん、この橋を越えて対岸に行く気はしない。何せ、石切り場なのか、山の斜面が荒廃している。
鹿越大橋の前で考えてしまう。この橋を渡って、対岸を走るか、それともこの道を進むか。地図を見てみると道の駅「南ふらの」へは現在の道を進むのが良いみたい。5km程で国道38号に合流して「かなやま湖」を離れる。
 南ふらの物産センターで2つめの道の駅のスタンプを押す。ここの水そうに展示してある魚は、金山湖で捕獲された「いとう」と「鯉」。いとうは1m以上の大きさでこれが幻のいとうかかお思うと、見ているだけで得をした気分になる。
 映画「ぽっぽや」のロケ現場になったためか、「ぽっぽや」のポスターがいたる所に張られている。網走番外地のイメージなのか高倉健のイメージは北海道に似合うのだけれど、やっぱり僕は武田哲也、桃井かおりが共演した「幸せの黄色いハンカチ」が記憶に残っている。また、映画「海峡」でも高倉健さんと北海道がイメージとして切り放せないと考えている。増毛をロケ地に「駅」とか、やはりこの人は北海道を描くにははまり役なのだろう。
 JRの南富良野駅は無い。一番近いのが「ぽっぽや」のロケ現場になった幾寅(いくとら)の駅である。ここの駅で入場券でもと思い駅舎に入ってみる。なんか、田舎の特徴なのかキップを発売する時間帯が限られて、1時間待たないとキップの発売が行われないようだ。この駅の前の広場に「ぽっぽや」の撮影のための理容院、菓子屋等のセットがる。建築基準が「仮設置」のためか、9月には取り壊されるらしい。
駅前は「ぽっぽや通り」なんて旗を出している。考えてみると、20年以上も前の「幸せの黄色いハンカチ」の記念に夕張には撮影に使った赤いマツダのファミリア(色があせて、朱色になっているが)が展示されている。僕は1昨年これを見たときに、抱きつきたくなった、あの映画のファミリアが目の前にあるのだから。しかも夕張の「幸せの黄色いハンカチの丘」は、有志が出演者のサインをプリントしたハンカチを1枚500円で販売して施設の運営費にあてている。もう20年以上も前の出来事なのだけれど、それを風化させない地元の人の意気込みを感じる。ここでビデオを見て涙を流している女性が居たが、あの映画は今でも名作として鑑賞に堪えられるのだ。
南富良野と言えば、倉本聰氏の「北の国から」の舞台である富良野の隣である。この棚からボタモチの映画「ぽっぽや」を生かせるかどうかは、10年単位の、この映画に対する思い入れであろう。僕は夕張が「幸せの黄色いハンカチ」の舞台になったことを誇りに思い、それを訪れる人にアピールしたいと思い、1枚500円の出演者のボランティアでのサイン入りの黄色いハンカチの販売を通じて思いを継続している姿勢を見てきた。南富良野が「ぽっぽや」に賭ける思いが一過性でなく、南富良野の文化の一つになることを願う。
 実は映画「駅」の舞台になった増毛町はまるで映画の撮影を無かったことにすように、その痕跡は無い。来年「ぽっぽや」が有って、初めて南富良野町は「ぽっぽや」の撮影現場として残れる。がしかし、どうも、一過性のような印象を受けたが。
 ここから、近道を利用すると国境山を越えて占冠に抜ける道路があるのだけれど、今回は狩勝峠の入り口の偵察にあえて東を目指す。

占冠(しむかぷ)村
 悪いことに向かい風である。それに逆らって東に向かう。ここは国道38号線通称「狩勝国道」と呼ばれているらしい。ほどなく「落合」駐車場にたどり着く。ここから直進は「狩勝峠」右に折れると「占冠村」へでる。今度来るときはここをスタートポイントとして利用させてもらおう。
右に曲がって道路標識を見ると「占冠まで40km」おっと、少し計算が違う。ここから30km程で日高にまで戻ることが出来ると思っていたのに。改めて地図を出して確認すると曲がりくねった山道が直線距離を相当長くしているようで、道々夕張新得線(136号)は予想よりかなり長い。
 さっきから気になっていたのだけれど、気温の低さと糧食の補給が金山ダムだけだったので筋肉が力を発揮しない。空も曇り気味でこれから気温が下がって行くと思われる。まず、ウインドブレーカーを着る。コンビニで買った「きびだんご」を食べる。気温も低いので先の「かなやま湖森林公園」で補充した水もスポーツドリンク一本にして、他は捨てる。
いよいよ、占冠を目指して山道に入る。車の通行量は極端に少なくなるが、それでも数分に1台は通過する。どうも舗装の方法が違うのか5mおきに継目があり、この振動がやけに気になる。また、右に左に見えているJR石勝線がいつまでも見えている。これが第二串内トンネルに消えてくれなくては進んでいることにはならない。横に流れるトマム川は当然のように進行方向から流れて来る。当然の緩い登り坂。
時々道脇に見える測量の標識の表示の「H」つまり、高さが500mを差している頃、上トマム到着。なんと立派な小中学校の校舎だこと。ここを右に曲がって下りが始まる。すでに正面にはトマムのツインタワーが見えている。そして、そのツインタワーの奥に新ツインタワーが。たしか映画の「ナイスガイ」でここが撮影に使われて、ツインタワーのメゾネット形式の部屋の窓から織田雄二の乗るツインバートルが撮影されていた記憶がある。今は、先の上トマムの小中学校の校舎とともにバブルの清濁の象徴なのかもしれない。
山に来てプールに行って、そこの貸しタオルが1、500円ってのは何処か変だと言ったら「貧乏人には金持ちの余暇の楽しみ方が解らん」と一喝されたが、ま、何処か頭の構造のおかしい奴の施設だって思っていたのは当たっていたような気がする。どう見てもリゾートにはふさわしくないバアサンが、トマムの駅に大きなクーラーボックスを下げて降りたち、専用リムジンバスで会員特典の部屋に滞在する。昼飯平均2000円、夜は5000円のここで、クーラーボックスからコンビニのおにぎりを取り出して食べて過ごす。こんな施設の実態を、バブルの頃は口にするのは貧乏人と言うことで黙殺してきたのだった。
 ま、コンビニのおにぎりも無い身としては、そろそろハンガーノックになりそうで怖い。気温が下がる分汗もかかず、スポーツ・ドリンクの補給もできない。結局、戻ってきた占冠で役場の前の居酒屋に入りラーメンを食べる。身体が冷えて硬くなっているのと、これから再度日高峠を越えるには、足が付いていかない。まさか100km越えるランになると思わなかったので、糧食の補給を間違ったようだ。とりあえず、こうゆう時はラーメンの店で大休止。
気温が低いのでラーメンを食べてもすぐ身体が冷えてしまう。それにしても、おおむね2時間毎の補給を守れなかったのがまずかった。南富良野でコンビニが有れば補充しておくべきだったのだろう。夕日を浴びながら、毎度の最後のラン。充実感と敗北感と、達成感と未達成な部分への反省。これが交錯しながらゴールの日高町「道の駅」を目指す。決まった距離を走るサイクリングに比べると、輪行でデポ地点にまで戻らなければならないランでは多少の計画だおれもやむおえない。とにかく100kmを越えて走れた満足感で、最後の日高峠を越えて道の駅「日高」に到着。峠越えからの一気の下りに体は冷えてこわばってしまった。シーズン開始の最初のランとしては少しきつかった。
1999.05.15 本日の走行 125km

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