渡島半島西、亀田半島を進む.木古内、知内

コース概要
 前回のサイクリングで後輪のギアが緩んで巧くシフトチャンジが出来なかったので、ここを修理すべく後輪を外してみる。ギアのオイルを拭き取って見てみたが、特殊な工具が無いとこの部分は手が付けられないことを発見。後輪のみを車に積んで「サイクル小野」へ持ち込み修理してもらう。処理はいたって簡単で特殊な工具で「巻締め」してギアをしっかりと後輪のフリーホィルに固定してもらう。ついでに、ハンドルグリップが擦り切れていたのでscottのソフトラバーも購入し、これを交換する。
ディレーラーの調整は結局走ってみなければ出来ない部分があるので、今回調整を兼ねて渡島半島の西側、木古内(きこない)町、知内(しりうち)町を訪問する。
 さすがに車で4時間半を越え、自転車で走る時間が十分とれない。最低2市町村をノルマとして今後の展開を考えてみる必要がある。加えて、一方通行のサイクリングを行い、輪行で車に戻ることも考えられるが、JR路線の少ない北海道でははたして「輪行」がそれほど威力があるのか疑問である。
 前回発見の駐車場に車をとめて自転車を組み立てる。おっと、新しく付けた前照灯の取付が前輪のステーから外れている。これは六角レンチ対応なので新たに締め直すことができない。とりあえず小さなトンネルしかないので、前照灯無しで行こう。
おっと、前輪のブレーキシューの片方がフリーにならない。常に前輪に触っている。これも、応急処置で前輪を少しだけ斜めにしてロックすることにする。なんだが、前途多難って言葉が頭をよぎる。

木古内(きこない)町
 今回のコースは青函トンネルへ向かう道で、最初の上磯(かみいそ)から木古内まではJRに沿った国道228号線を進む。特に鉄道好きではないけれど、ときおり走る列車を見ながら走るのは楽しい。大阪からのトワイライトエクスプレスなんかと擦れ違うと、あちらは大阪からの旅、こちらは始めてから数時間。でもなんとなく旅人同士の挨拶なんかを感じる。特にピースサインはしないが、トワイライトエクスプレスに敬礼。
左に見えていた函館山が後ろに隠れながら見えなくなる。函館山は函館島と呼んでも良いような島が砂州でつながった感じの岬である。そのためか、ここから見える函館山は津軽海峡に向けて急な崖が目立つ大きな岩である。
 その函館山が背後に隠れる頃左の海岸線から遠くに山脈が見える。これが本州の下北半島であろう。竜飛岬はこのさきの福島町まで進まなければ見えないと思われる。20km程走ると木古内の町に入る。上磯が石灰岩を利用したコンクリート産業の町なら、その消費地は函館なのか木古内なのか考えていたのだけれど、やはり木古内らしい。国道に並行して商店街があり、jrの駅前にはつきなみだけれど「駅前商店街」がある。
ビジネス旅館(さすがに、ビジネス・ホテルとは表明していない)が多い。青函トンネル工事の名残とも思えない。周辺の市町村で発生する工事関係の人々はここ木古内を拠点にしているのかもしれない。
jrの木古内駅で「硬券の入場券」を求める。が、無い。最近駅で入場券を求めるのだけれどほとんで「無い」との返答なのだが何故と聞いてみる。「新しい方式で、乗車券はコンピュータで発行するので、硬券は無くなった」とのこと。もしかして¥、「総合販売システム」のせいなのだろうか。このシステムを作るのにプロジェクトに参加した我が社。つーことは、我が社が硬券入場券を一掃するプロジェクトに荷担した訳? それは無いだろう。JR北海道の馬鹿な社員は「駅」が持つ存在事由(レーゾンデートル)がまるで解っていない。入場券だけはそれそれの駅の駅長の裁量権の範疇で発行してもらいたい。そもそも、あの、硬券をシャカっと通すと日付を刻印する機械を廃止し、大沼公園駅の記念入場券には平成11年ではなくて1年と刻印されているのですよ。合理化も良いけれど、「情」を忘れた組織には敗退しか無いのですよ。JR北海道に硬券の入場券の発行を求めたい。
木古内の駅前商店街を見て進む。やはりこの地方の中核的商業都市らしい。スナックと料亭が多いのがその特徴を表しているかもしれない。上磯のセメント鉱業は、ここに流れるのかもしれない。
木古内の役場の前で記念写真を撮影し(なんと赤煉瓦を模した大きな庁舎なのだ)、知内に向かう。役場の位置からすると10kmしか離れていない。数キロで町村境界に出る。

知内(しりうち)町
 むむ、仲が悪いのかぁ、知内と木古内。町の境界線にミカゲ石で出来た大きな境界線の門が建っている。揉めているのだろうか。
実は歴史は1600年代に松前藩が北海道に藩領を構えたあたりに遡る。今から400年前。その後幕府が建有川を境界として松前藩の領地をここから南、北を幕府直轄領にした。この境目の建有川が洪水の度に河口位置を代えるので境目があやふやになっていた。
そこで川の両岸の代表が、ここに建有川塞門を建てて例え川の流れが変わっても、ここを境界線とする両者合意が成り立った。この跡地が先の記念碑になっているとのこと。
記念碑には「北の鼓動の起点」と書かれている。
とまぁ、詳しくレポート出来るのは、実は今回からDoCoMoのi−mode携帯電話を持参しているから。電子メール機能でメモして、これをインターネットの自分のメールアドレスに送る(1回総量250文字まで)。メモのまま残しておいてもよい。実は今、携帯の画面のメモを見ながらキーボード入力をしていたりする。いよいよセカンドマシン機能を持った携帯電話が出たと思う。現在時点で携帯電話で電子メール(しかもインターネット接続)は、このi−mode以外には日立のピッチくらいらしい。本当、i−modeの携帯電話を持つと、鞄に携帯電話とモデムとノートパソコンを詰めて、夏場汗だくになりながら「モバイルでんがなぁ」なんて言っている人が化石に見える。
おっと、話がそれた。
木古内の町を離れ知内に入ってから淋しいのはJR線が見えなくなったこと。実は木古内からは昔は江差線が日本海側に伸びていて、国鉄の線路はここまで。(ちなみに、江差駅の入場券はゲットしている)それが、津軽海峡線が出来てさらに南に伸びているのだが、分岐点は木古内、ここから国道228号を離れ青函トンネルに向かっている。
知内町市街に入るが役場が見つからない。知内橋を越えて右に曲がり登り坂になったので、一旦Uターンして役場を捜す。北海道の場合衛星のパラボラが役場の目印だが、そのパラボラは消防組合のような建物に取り付けられている。この建物の周りを探るのだけれど、役場の看板は無い。で、「町民センター」の看板の建物を発見。ここに役場もあれば町議会もある。考えてみると全ての機能を「町民センター」と称するのはしごく当然なのかもしれない。ま、拡大解釈すると「町民から見た中心(センター)」に全て揃っているのが当然なのかもしれない。妙に関心させられる施設配置だ。ここで記念写真を撮ってこれからどうするか迷う。
 一気に福島町まで行って残る松前町を北海道のサイクリングにおいて最大のモロッコ(こうゆう表現は使わないほうが良いのだけれど)と言われる「追分(おいわけ)ソーランライン」を上ノ国から松前に攻める(往復140km)か、ここでUターンして次回福島町と松前町を残すか考えどこである
 どう考えても上ノ国からの松前国道(別名:追分ソーランライン)は自転車には酷だと思う。「北海道を自転車で走るハウツー」って本を読んだことがあるのだけれど、「フルマラソンを走ろう」と同じように、20km/一日から始めてやがて100km/一日をマスターしたら北海道へ行こうみたいな内容だった。夢を追ってこの本を買うのは良いけれど、実際1kmおきにコンビニが有るような地域と違うのだから、ここ「追分ソーランライン」を無補給で走れてこそ北海道サイクリングなのだとの思い入れがある。
 夏場の給水を考えると水1リットルで40kmが限界だから、このコースは2リットルの保有が無ければ難しい。せめて若ければと思うのはこの場面である。結局、追分ソーランライン完全制覇は若い人に任せて、今回北海道の最南端である白神岬への足掛かりを目標にする。これを読んで「私は追分ソーランラインを松前から上ノ国へ自転車で抜けた」と言われるかたは電子メールいただきたい。
 さて、目標が定まったので、とりあえず道の駅「しりうち」を目指す。実は野球帽を忘れてきたのだが天候は曇りなので安心していたが、ここから青空が広がる。気温も上がって25度を越えているだろうか。若干の登り坂を道の駅に進む。
おっと、道の駅がJRの駅と一緒になっているのが「道の駅、しりうち」なんだ。ここは津軽海峡線の駅でしかも道の駅になっている。記念のスタンプを押しながら、はるばるきたなぁと感じる。札幌に住んでいると、道南は函館どまり。ここより南の状況に接する機会は少ない。で、一歩一歩が新鮮である。
 道の駅を次回のデポ地点にしても良いのだが、少しでも先に進んで、次回は青函トンネル見学のサイクリングにしようと思い先に進む。若干の登り坂を越えて道の駅から8km程の所に駐車スペースを見付ける。サイクルメーターは51kmを指しているので、ここからUターンすることにした。
 帰りの道で最初に気になったのは道の駅「しりうち」の少し手前(福島側からの少し手前)に北海道の出口と書かれた看板。地図を見ると驚くのだけれど、青函トンネルは吉岡海底駅を通過して福島町はすべてトンネルで最初の北海道側出口は知内町の第一湯の里トンネルなのです。この前に「コモナイ川」を越える橋があるのだけれど、これも知内町内なので、実質的には本州からの旅人はトンネルを抜けて知内で地上と出会うのです。
この出口が知内にあるのです。知らなかった。福島町こそが北海道最初の出口と思っていたのだけれど、実は全てトンネルで出口は知内町にあったのです。この青函トンネルの出口を眺望する場所が先程通った看板だったのです。ここの展望ポイントから遥か西に青函トンネルの入り口が見える。最初に青函トンネルを「特急:ゆうづる」で通った時にここの出口から出てきたのだなぁと感慨ひとしお。
青函トンネルの出口にしてはアピール度が低いと思う。あのトンネルを出て来る列車は飛竜から53kmを経てここ北海道に顔を出したのだから。
前回七重浜の「洞爺丸等慰霊碑」を目にして、それがキッカケで着手された青函トンネルに近づくに従い、人間が作ってきた「社会資本」の意味について考えてしまう。昨今は公共投資などと言われているが、永いレンジで青函トンネルが社会資本として担う役割は大きいと思う。現に、ここから見る青函トンネルの出口に感激した僕が居る。あのトンネルを入ると出口は本州なんだと思うと震えが起こる。東海道53次は公共投資が有った(たぶん、参勤交替であった)かしらないが現代に残る社会的インフラである。8000億円も投じて完成した青函トンネルは万里の長壁なのか戦艦大和なのか、はたまた新たな東海道53次のような社会資本なのか。それは、これからの我々が担う課題だろう。
誰も立ち寄らないここ「青函トンネル出入口眺望台」は実は技術者にとって最高に素晴らしい場所なのかもしれない。誰が何と言おうと、本州と北海道を地続きにした証拠が目に出来る場所なのだから。
正確には先の木が邪魔して眺望台からはトンネル出入口は見えない少し左からが良く見える。
 次回の福島町の青函トンネル記念館を楽しみに、これまで来た道を木古内へもどる。
 車のデポ地点の近くに「渡島当別」の駅がある。最初に石狩当別を訪れた時に、当別をあえて石狩と冠をかぶせるには別途冠をかぶせた当別があるんだろうと思っていたけれど、その当別がここ「渡島当別」らしい。駅は郵便局と合同庁舎で渡島当別駅。ここの待合所で小休止。小さな座布団が駅のベンチに置いて有る。なにか言われでもあるのかなと待合室の壁を見回すとその経緯が筆で書かれた掲示がある。
 毎朝ここの駅から30年に渡り勤めに出ていた御主人が亡くなり、残された奥さんがご主人が通った駅への感謝を込めてこの座布団を贈っているとのこと。小さな町の小さな駅に良い話がある。このような話に触れられるのが自転車の旅の楽しみだろうか。渡島当別には歴史とストーリー性がある。誰も気が付かないが内に秘めた話がある。
 函館山が大きく見えてきて国道の横のパーキングに到着。もはや車を運転している時間が往復で8時間。自転車が6時間。札幌からは輪行の限界かもしれない。
1999.07.10 本日の走行 101.0km

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