灼熱の北海道最南端白神岬...福島、松前

コース概要
 北海道の最北端は、日本の北端と思われているので(実際は北方領土の4島のうちエトロフ島の北端が宗谷岬より北緯が高い。マスコミの「最北端は宗谷岬」は間違っている)有名であるが、北海道の南の端は何処か? 渡島半島の西側亀田半島の先の白神岬(しらかみみさき)である。そして、ここの近くから本州と北海道を地続きにしている青函トンネルが津軽海峡の下に伸びている。
 先週のサイクリングで実は青函トンネルの北海道側出入口は福島町では無く、福島町の地底を伸びて隣の知内(しりうち)町にある。しかし、青函トンネル関係の博物館は福島町にある。もちろん、福島町は青函トンネルの北海道側工事現場なので、なにかと痕跡があるかもしれない。
北海道で最初に開拓されたのが松前町。松前藩の領地として渡島半島の西側が認知されたのは1600年頃。つまり徳川家康が江戸城をかまえて全国を統治した時代にまで遡る。ここ松前町にも北海道の最も古い歴史が残されているかもしれない。
この両町を渡島半島西側の亀田半島最後の市町村として訪れるのが今回の目的。それにしても、札幌から往復の車の運転時間がサイクリング時間を完全に越えてしまう。今までで最も遠い所を訪問することになる。

福島(ふくしま)町
 先週のデポ地点(道の駅「しりうち」から更に7km程福島町より)で自転車を組み立てる。今週は北海道は狂ってしまったのかと思われるような天候が続いている。7月に入ったのだから気温が30度を越えることもあるだろう。しかし湿度の低い北海道では珍しく気温31度、湿度85%なんて日が続く。木曜日、金曜日と車で出張だったのだが、車で移動中はエアコンを入れたままなので気が付かないが、昼食のおりには湿度85%はこたえる。北海道の食堂ではストーブは有ってもエアコンは無い。そのため、食事をするために入ったのか、サウナなのか解らない状態になる。まったく殺人的蒸し暑さと言える。
 がしかし、自転車を組み立てていると午前10時で気温26度、しかも湿度も高い。ペダルを踏み始めて若干の向かい風なのに気が付く。普段なら向かい風は嫌いなのだが、今日は向かい風が心地よい。もし追風だったりすると(実は帰りがそうだった)汗が蒸発する風もなく大変なことになるかもしれない。このような天気は北海道では珍しく、僕の経験でも1週間に渡って「高気温、高湿度、加えて時々強い雨」ってのは記憶に無い。本来気温30度を越える時はサイクリングは控えたほうが良いと思っているのだが、夏の前半に渡島半島制覇を行っておきたかったので、この最悪の気候の中福島町を目指す。
 地図で気になっていたのは、海岸線を主体にしている国道228号線が知内から海岸を離れ山に入り「福島峠」を越えて福島町につながっていること。つまり、ここいらの海岸線は山から直接海に切れ込み、道路を設置する環境に昔から無かったためだろう。そして、地図には福島峠の標高が書いてない。近くの山と比べても標高300mはありそうだ。直接海岸からの登りなので、この高さは帰路に利いてくるかもしれない。
 「峠越え」これはサイクリングのストーリーの中で重要な位置を占めると思う。自転車と言えど平地を快適に走っていると速度は個人差はあるにしても僕の場合無風で30km/h程。これはバイクの原動機付き自転車の最高速度に匹敵し、この状態の時は運動としてのサイクリングになる。峠越えの時は坂の勾配にもよるがこれより確実に低い。おおむね急勾配では10km/hまで落ちるであろうか。そして、これは自分と自転車と共同で挑んだコースのストーリーを形成していく。辛かった峠ほど記憶に残り、また思いだしても楽しい。昔、白石サイクリングロードで話した年配のサイクリストが「風は運が悪かったと思うが、峠は登りの貯金と下りの利子があるから辛くても楽しい」と話していたのを思い出す。
てなことを悟る程に福島峠はきつく無く、峠の湾曲した短い福島トンネルを過ぎると傾斜6%の坂を下って福島町市街に入る。
 青函トンネル北海道側の拠点である福島町。青函トンネルが鉄建公団の設立とともに始まり昭和63年の津軽海峡線の営業開始までの20年以上に渡って拠点であった町には何か特徴があるのか、それに最も興味がある。しかし、目に入ったのは「青函セメント」と他人とは思えない「中山クレーン」の会社くらい。少し旅館が多いかなと思わせるくらいで、ここが青函トンネル北海道側拠点にはこだわっていないようだ。
 国道を市街地に抜ける辺りに「青函トンネル記念館」がある。ここの公園で水を補給して顔を洗わせてもらう。中に入るのは帰りにする。(よって、紹介は後述)
 町は「横綱の町」が公式キャッチフレーズで、たしか千代富士(九重親方)ともう一人、大相撲の横綱を生んだ「郷土」を誇っているようだ。お約束の役場での証拠写真を撮って、これまた定番の道の駅「横綱の里ふくしま」へ寄る。ここは道の駅として規模も小さく、隣の横綱記念館の付随施設のような位置づけになっている。ふーん、なんか変。
スタンプを押して普段は食べないのだけれど暑さに負けてソフトクリームを食べて一休み。それにしても、ここの道の駅の女の子は笑顔が良い。ただ、それだけかな?
 ここから先に進む。青函トンネルの北海道側は「吉岡抗」。この吉岡が福島の吉岡港の先になっている。地底数百メートルに青函トンネルが有るのだ。この吉岡を通り過ぎ、なんか、場違いな病院が多いと感じる。たぶん、青函トンネル工事時代の需要に合わせたのかもしれない。
ここの丘の上に「トンネル記念公園」があることを発見。これも帰りに寄ることにする。記念公園を過ぎるといよいよ北海道最南端の白神岬に向かう。シェルターと呼ぶのかトンネル一歩手前みたいな覆い進む。道路の安全性向上なのかショートカットのトンネル工事が行われている。道を進みながら、たまたま左側なので海を見ながら進む。なんて綺麗なな海なのか。道路の上から見ても海の底が見える。それが海藻で覆われているところまで見える。

松前(まつまえ)町
覆道をいくつか過ぎると急に「白神岬」の覆道にであう。北端の宗谷岬に比べると扱いが淡泊になっている。覆道の左に10台くらいの駐車場スペースがあるのが、北海道最南端の白神岬。天候の関係で海峡の霧に妨げられて、薄く龍飛岬が見える。これで、北海道最南端を確保。市町村を訪れるとは別な感慨がある。ここから、覆道に戻り松前町を目指す。 所々で海水浴を楽しむグループが目にはいる。お、スレンダーな水着の彼女は彼と二人っきりかい。親は知ってるのかい!って余計な雑念が走る。
そろそろ雑念が無くなった頃、つまり海水浴客が見えなくなる頃に松前町市街に入る。
さすが1600年からの歴史のある町だと思うのは、元祖の菓子等の食品専門の店が多いこと。いまさら400年の歴史にしがみついてもとも思う。松前公園が、旧松前藩の城の跡に再建されている。ここの「馬坂」から自転車を押して入っていく。ここ松前町は言ってみれば松前藩の出先、正式には福島城が正しく、本来の松前藩城と名称では別扱いになってる。あくまで、「松前城」の呼び名は便宜的なもの。
観光施設なのだろうか、ここに松前藩時代の家屋が再現されている。入場料310円。この金額なら許せる。昔名古屋で明治村を見たのだけれど、これに比べて我が施設はどうれくらいの入場料かを考えると良いと思う。ここの施設は妥当な金額だろう。
 でもね、施設内で「さくらアイスクリーム」がなんで450円なの! 先の道の駅福島でのソフトクリームは150円なのに、何を考えているのだろう。施設内の食堂で昼食をと思っていたのだけれど、なんで、「郷土料理」が1200円もする訳? 結局公共料金で運営されている施設に利権で入り込んだ業者って構造なのかなぁ。外から来た人間には全然ホスピタリティを感じない。そして、車で来た人は木古内まで戻るのだろう。あそこの商店街には飲食店が多いから。
観光施設ってのは見学して後どうするかまでフォロー出来なくてはいけないのですよ。
 ここで、自転車に寝袋を積んだ長距離ツーリングの装備の自転車を見たのだけれど、本人とは会えなかった。7月も中旬になると学校関係が休みになるので、北海道を走るサイクリストが急に増えてくる。その一人が函館からこちらに向かったのだろうか。ここ松前から日本海に添って北上する国道228号、通称「追分ソーランライン」はここ松前町から上の国町まで70kmはほとんど補給が出来ない。その覚悟で進むつもりかどうか、彼(彼女がな)の健闘を祈る。
 ほとんど「作り物」の松前藩の建物を見学してここで小休止。公園でおにぎりを食べながらなんか割り切れない。幸いなことにここ松前も先の福島も公園の水道の水は飲んでも支障が無いようだ。気温が高く水分の補給を公園の水に頼る身としてはありがたい。
 ここから再度今来た道を戻る。特にパスしてきた青函トンネル関係の施設を見学しながら出発点に戻ることとなる。
 今日から地域の祭りが始まるのかお神輿を出している地域にであう。追風に乗って30km/hで進みながら、今度は右手に見える海岸線に目が行く。この気温なので結構海水浴の人は居るのだけれどその数は少ない。途中で後ろを振り返った時に、海の先に小さな島が見えたが、あれが渡島小島かもしれない。大島はたぶんここからは地平線の向こうだろう。

青函トンネル記念公園
 吉岡港の手前で左に曲がりと言うより左にターンしてトンネル記念公園への坂を登る。この道は結構トラックの通行が多いのは公園の奥に青函トンネルの吉岡斜抗の入り口があり、ここから物資の補給をしているからかもしれない。ここ「トンネル公園」こそが青函トンネル完成に向けて福島町が担った吉岡斜抗の場所なのだが、福島町としては忘れてしまいたいらしい。ここから遥か南の龍飛岬を長めながら斜抗を下った直轄組の鉄建公団の人には忘れられない景色だろう。
 ここには3つの記念碑があった。一つは青函トンネル完成の記念碑で当然であろう。もう一つは青函トンネル作成の起点となった出来事である昭和29年の洞爺丸台風関連のもの。先の昭和天皇が台風の被害にさいし詠んだ「その知らせ悲しく聞きわざわひを ふせぐその道 疾くとこそ祈れつく」が書かれた石碑。この解説には「陛下も着手を望んでいた」と書かれているが少し違うのではないかな。昭和29年当時に実在した構想は太平洋戦争時代の「弾丸特急」構想で、これを思い出して「その道」と詠んだものが戦争が終わって9年目の民主主義が曲がりなりにも定着した時代に「天皇のご意向」は無いだろう。
そもそも青函トンネルは政治的に微妙で、選挙の年には予算が強化され保守系の選挙戦を後ろから推す効果があった。先進導抗の貫通に首相官邸から中曽根がスイッチを押すなんて演出もあった。これに加えて「陛下のご意向」まで持ち出す背景に嫌悪感をおぼえる。
 そもそも吉岡斜抗の場所にこんな公園を設置し、「横綱の町」を表面に出し青函トンネルは隠してしまう福島町にも疑問を感じる。結局、政治に振り舞わされた青函トンネルは「まま子扱い」なのだろうか。だとしたら、人類の損出である。今でも世界に誇れる最長海底トンネルがスポーツと言うより興行である大相撲の横綱ごときに公報の首位の座を譲るとすれば、まったく「おそまつ」である。それくらい青函トンネルは福島町に「お荷物」なのだろうか。
 最後にここの公園に「駆逐艦柳平和記念塔」の碑がある。犠牲者21名の小さな事件だがこの石碑に新しい切り花が供えられている。ここの3つの記念碑のどれが心がこもったものか自明であろう。
 ここが吉岡斜抗の入り口なのだと感慨に耽りたいのだけれど、複雑な思いである。ま、この公園から津軽海峡を望み、はるか先の龍飛岬と陸続きのトンネルが足元から伸びていると思えるイマジネーションが無ければ感激も何も無いのだが。それにしても青函トンネルより相撲興行だなんて、一人の技術者として悲しくなる。

青函トンネル記念館
 吉岡の港を過ぎて、先に通り過ぎた「青函トンネル記念館」に寄る。入場料150円の道立の施設である。受け付けの女性の小林さんは2年契約の臨時職員なのだろう。この種の道立施設は奥に鼻毛ぬくのが仕事の「館長」が多いのが特徴だ。
実はこの施設は青函トンネルが完成する遥か昔(笑い)昭和48年に開館している。歴代の館長が馬鹿なのか、北海道が馬鹿なのか、入場料を払ってもらったパンフレットも昭和48年のものとしか思えない。そもそも「津軽海峡線」の文字が何処にも無い。タイムトンネルに入って昭和48年に戻ったような気分になる。しかも展示は所々に上からシールを張って修正しているが、基本的に青函トンネルを公報しようなどと毛先程思っていない施設である。
 だいたい、「ユーロトンネル」の文字は無く、「ドーバートンネル」なんて昭和48年のままじゃないか。展示には青函トンネルを自動車道にしたものまであり、即刻撤去してもらいたい。ガラス注入工法も説明されず、青函航路の説明も無く、施設の目的である「青函トンネルの意義」なんかまったく感じられない展示になっている。受け付けの小林さんが美人なことが救いだ(笑い)。
 しかし、東宝50周年記念の映画「海峡」が紹介されている点は高く評価する。150円払ってこんな施設を見るよりレンタルビデオで7泊8日で300円でこのビデオを借りて観たほうがよっぽどましである。そもそも、この施設には見学者に訴える管理者の情熱を感じない。
 しかも、それでよしとしている福島町の姿勢も疑問である。世界に誇る「青函トンネル」が、かくも意識の外に捨てられてる現状は北海道の民度の低さである。8000億円の準国費を費やした事業の扱いがこれでは、たまらない。屋外に展示されている人車もシートは天日でボロボロ。塗装もぶっかけたようなドブ付け。これに乗って斜抗を降りた人々を愚弄している。土建屋の求めに応じて青函トンネル工事の終了後の失業対策なのだろうか、ま、見に来る人が少ないから大事にならないのかもしれないが、青函トンネルへの「思い」がなさ過ぎて悲しくなる。この工事で亡くなった人は化けて出たら良い。技術屋の僕は「人を馬鹿にしてる」と思った。ただ、映画「海峡」のスチール写真を見て亡くなった森下司郎(名前に自信が無い)監督の爪の垢でもここの施設にあればと思った。たぶん、あの映画は失礼だが森繁久弥さん最後の好演となるであろう。この映画に映画人が打ち込んだ情熱なんか、実際にトンネルに潜り堀進んだ人の足元にもおよばないだろう。しかし、この映画は見る人に訴える。その情熱がこの施設からは感じられない。まことに惜しいことだ。
 展示で解ったことだが、先週知内かたみた青函トンネルの入り口に「道隋函青」のトンネル表示があるのだけれど、この筆者が橋本龍太郎なこと。当時の運輸大臣だったっけ? 津軽海峡線が完成した頃には森繁久弥さんで良かったような気がする。彼も知床旅情で北海道になじみの人なのだから。なんで、平成最悪の総理大臣橋本龍太郎なんだろうか?
 ここを後にして、福島峠を登りながら映画「海峡」も「鉄道員(ポッポ屋)」も「幸せの黄色いハンカチ」も高倉健だったが、一番映画を大事にしているのは夕張市かもしれない。それにしても、長期出張の折り、熊本で見た映画「海峡」、そのお膝元での青函トンネルの扱いに接すると北海道人てのは馬鹿ばかりと思う。いったい何を考えているのか。僕がユーロトンネルの関係者なら、必ずここを訪れると思う。しかし、この「青函トンネル記念館」では納得できない。
 男が(最近は女性も同じだと思う)情熱を傾け作った作品を解ってない人にいじられたく無い。人知れず「トンネル記念公園」に建つトンネル記念碑が携わった人々の心のよりどころだろうか。そこでは高倉健のモデルである持田豊氏の志に触れられると思う。みんなこの場所から海峡を見、吉岡の縦坑にもぐって行ったのだ。「解る人限定!」そんな風に扱われているように思う。
 複雑な思いを胸に福島峠を越えて、出発地点に戻る。途中であまりの暑さに、千軒小学校で頭から水をあびる。ここも千軒目指して入殖したのだろうか。現実には百軒も無い。でも大きな志を形にしたものが「千軒」の地域名だったのではないだろうか。
このように地に足が付いた考え方も存在しているのに、全体として、この地をどのようにしたいのか。それが解らない(訴えていない)地域って印象が残った。
僕だったら、青函トンネルを全面に出し、映画「海峡の町」として観光立地を考えていく。青函トンネル見学には知内の道の駅「しりうち」から数キロのところにある「誰も知らない」青函トンネル眺望公園。そして吉岡漁港の裏の丘にある「誰も知らない」トンネル記念公園がお勧めである。
1999.07.17 本日の走行 71km 車の走行は往復622km

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