東海村におけるJCO臨界事故(2)

臨界事故における報道のポイント
 「もんじゅ事故」以来、原子力に関する特にトラブル情報は意図的に情報操作されて広報されているのが目立つ。ま、国民はマスコミ報道に全てを託していないことを解らない現場の「青二才のエセジャーナリスト」はキャップから出せ出せと迫られてわけも解らないで情報を右から左に伝えている。情報伝達の基本に帰れば、自分の咀嚼できない情報を伝達するのが問題だと思われる。
 臨界事故によって放出された中性子の量は、現在の「時間当たり」の基準には合わないと思う。ピーク時の価を求めて議論しなければ、安全基準の持つ意味を失う。
 さて、東海村のJCOの臨界事故だが、事故の情報は第三者監視によって結構インターネットとかで流れている。マスコミが「10時35分頃」と言っているのは10時37分の後半とインターネットで情報公開されている。
 どのようにしたら「情報を隠した」と断定できるのかは難しい問題である。
情報を生で見たまま伝えることの難しさはニュースステーションのダイオキシン事件を見るまでもなく問題である。「通常の1万4000倍の観測値」が持つ数値としての事実には間違いが無い。が「通常」と「1万4000倍」との間にどれほどの危険の差が有るのかは単純に数値を公開するだけで解るものでは無い。例えば、健康診断の胃検査なんかでは「通常の」「50倍以上」の放射線を浴びているのだが、これを「異常」とするか「通常」とするか情報伝達の情報加工の方法論として難しい。

伝える側の「職業的倫理」
 世間を誘導こそすれ、扇動するのが目的では無い(と、信じたい)マスコミの姿勢として、得られた情報を自分なりに咀嚼して真意を見極め伝達することが望まれるのだが、右から左への伝達と言うより垂れ流しの現状を考えると、情報を発信する側にマスコミ不信が起きてしまうのいたしかたないだろう。
 確率論的な放射線被曝のデーターしか持たない現状では、「通常の何倍」はなんら意味を持たない。既に、被曝された工員の方が「致死量被曝」に係わらず必死の治療で存命していることから明かなように、生物的統計は個人差が大きい。ケースバイケースなので、大勢はこのように統計的に把握されるのが「生物的危険度統計数値」である。
 ここを理解せず、「通常の1万4000倍」などと叫ぶのはマスコミの「理解してから伝える」の最低限のフィルター機能の喪失である。
戦争中の報道で言えば、「敵空母5隻沈没」と同じになる。つまり、当該海域には空母が2隻しか居ないのに、情報リソースは「5隻」と言っているからそのまま伝えたと同じだ。

全てを伝えて判断は任す
 前にも書いたが、夕方の状況で「JCOで再臨界」の情報は事の重大さを理解して報道しているとは思えない状況であった。今回の事故の件で一番有意義だったのはNHK、それも避難対象地域の報道であった。あとは、インターネットの核燃料サイクル事業団のモニタリングポストの数値であった。振り切れてしまって途中から縦軸のスケールを変えたのは気に入らないが、正確に臨界が起こった時間が10時37分(マスコミでは10時35分頃を繰り返していた)近辺プラスマイナス30秒であることや、再臨界が2時間おきに起こっている状況がほとんどリアルタイムで送信されていた。
 平均ガンマ線量がこの場合正しいモニタリングなのか正直言って良く解らないが、生の情報を一般人が入手可能になったのはすごいことだと思う。
 さて、一般マスコミの報道だが、JCOで再臨界が繰り返されているならば(現にガンマ線のモニタリングポストでは2個のピークが現れている)即刻避難が最善の選択肢であるとの報道は世間をパニックにするので流されなかった。その面での情報操作があったのかもしれない。
 僕があの地区に住んでいたのなら、夕方の報道を聞き、JCOで再臨界の可能性を知った時に家族を車に乗せて遠方に退避(風向を調べて風上側に)していただろう。ラジオとアマチュア無線を車に積んで、出来ればケータイでインターネットから情報を得るようにノートパソコンも積んで。
 2度目の臨界が起こった時に、実は半径300mの住民が避難している場所が最もガンマ線が高かったのだから。危機管理なんか形だけで、誰も守ってくれない事実が明らかになった。

専門家の知ったかぶり
 あの時点では判断は無理であったと言えないこともない。
しかし、「放射能が漏れた訳では無い」とか「中性子が出ているのであって核物質がばらまかれたのでは無い」とかの発言は軽率だと言われてもしかたがない。JCOで再臨界の起こる状況で、しかもあの時は強い雨が振ったりして、どこかで電源のショートが起こり停電が発生して冷却や攪拌が止まったり、生きているフェイルセーフが外れたりした場合の最悪のシナリオ、つまり、再臨界による高温が水と反応して大量の水蒸気の発生とそれによる屋内空気が水蒸気に押し出されて屋外への流出。
 そんな事態を考えると、再臨界が観測された時点で、周辺住民の避難が必要だったと思われる。その英断こそが下品な野中官房長官の言う「後で、行き過ぎと言われても」の対策であろう。全然行き過ぎでは無い。そこには44年前に広島に原爆が投下された時に、自分は直接被害を受けなかった大本営の「他人ごと」気分が現れている。長崎に落とされて初めて自らに降り掛かると脅えを持ったのと同じである。
 ここにある教訓は、「放射能は(放射線は)白いきれで防げる」と言った幼稚な「専門家」の発言丸呑みと同じである。

結局住民は逃げ(退避)なかった
 さて、最も不思議と僕が感じたことで話をしめくくろう。
何故、周辺住民31万人は東海村や茨城県の「屋内待機」に従ったのだろうか。スリーマイル島の原発事故の時は乳幼児、妊婦等々その人の状況に応じて個別に退避計画が示された。今回は一律「屋内退避」である。しかも相手は降り注ぐ放射能では無い。貫通力に優れた中性子である。確率的に言えば、体内被曝だとかなんとか言っているものでは無く、体内のナトリウムに中性子が当たれば、そこで放射性同位元素が生成される。つまり、屋内待機しようがなんだろうが、中性子の弾に打たれたらそこに放射性同位元素が発生する。まさに中性子の銃弾に曝される危険な状況だったのだ。だとしたら、銃弾が届かない遠隔地へ逃げるしか無いのに住民は直に「屋内待機」を甘受した。
 何故なのだろうか。自らの生命を自ら守るよりも、横並びで世間の流れに従うのが「正しい」と判断させる何かが31万人の周辺住民に有ったのだろうか。それは、何なのか僕は知りたい。
ここでは2つの仮説を開示するにとどめたいと思う。
1)放射能事故に対する知識が欠落してる。
2)皆が同じ被害を受けるなら「安心」だ。
正直言って、JCOの再臨界のモニタリング・ポストの数値を見た瞬間、僕は逃げたくなったのだが....
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1999.10.25 Mint