速報、キティ・キホークを小樽港に迎撃

3年ぶりの小樽港空母入港
 前回の空母入港は退役を控えた空母「インディペンデンス」。3年前になる。この時は初めての空母入港で全てが初体験。とにかくの空母入港及び一般公開で8万人の見学者の到来でアタフタしたってのが実態。
 今回は、かなり前回の事態を踏まえて対策がとられているかどうかが、逆に、今後の第三の母港「小樽」の試金石かもしれない。「インディペンデンス」の後継艦の空母「キティ・ホーク」は佐世保、横須賀と母港とする、アメリカ本土以外の土地に母港を持つ特異な艦船。日本を地図で見ると、佐世保・横須賀と2点を拠点にすると、残りは北海道の何処かになる。港の施設規模と、補給の可能性をを考えると、ま、小樽が順当な「第三の母港」候補だろう。
 そのあたりの布石があっての3年前のインディペンデンスの小樽寄港だったのだろう。事実としてこれは「成功した」と言って良い。思想信条は別にして、経済的効果は有ったのだから。それは、小樽市のみに留まらず、札幌も含めて有った。
 3年前に有給取ってまでって意識でインディペンデンスの迎撃をした僕は、ギリギリ仕事の状況を見ながら、やはり「あの、空母入港の雰囲気を再度肌で感じたい」って誘惑に勝てずに前日午後ギリギリに有給をとって、当日早朝4時に起きて、迎撃の体制を整えるのだった。
 小樽生まれの小樽育ち、戦前のハイカラ趣味は全てやってって父親の話しでは、前回のインディペンテンス入港の時にズバリ「撮影は銀輪荘か平磯公園だな」と言い切っていた。
 また、戦前の海軍大演習の時に一度、旧海軍の空母赤城が演習のために小樽近郊に停泊したらしい。ただ、寄港とは呼べず、石狩湾の中に投錨したとのこと。
 僕は前回も含めて、小樽湾を訪れる有史以来の空母(1)「インディペンデンス」と有史以来の空母(2)「キティ・ホーク」を記録したく札幌を5時に小樽に向けて車を走らせる。

撮影の基本は、ロケーション確保
 前回は西から到来する空母を写真に納めようと思って小樽市の西にある丘の「祝津」から撮影したのだが小樽港は東に向いているため、写真撮影は逆光でまったく駄目。平磯公園は渋滞で登ることも出来ず、朝里峠からの撮影となった。今回は、接岸が7時30分とのことで、前回と同じ。だとしたら、日の入り直後の入港を目指して夜明け前(5時30分)には、積丹半島を大きく巻いて石狩湾に入り待機しているかもしれない。
 そんな想いをいだきながら、一路平磯公園を目指す。道はいくつか有るのだけれど、平磯トンネルの前かを左折し、桜町本通りを登り、ロータリで桜町中学校に曲がり、中学校から平磯公園の裏を目指す。
こんなに詳しく書くと、次回利用されるかなぁ(笑い)。
 旋回の平磯公園の渋滞を考えると、裏道からアプローチして車の駐める場所を確保することが大事。撮影場所の駐車スペースはもはや前日から確保されているだろうから、ここは路上駐車になる。が、前回の様子からして、なんらかの手を警察はうっているだろう、との読みがあって、平磯公園唯一の電話ボックスの僅かな空き地に先人が車を駐めている横に駐車場所を確保。撮影機材を持って公園を横断して撮影ポイントに向かう。
 道路の両わきは「キティ・ホーク見学者の駐車禁止」の看板と、両わきにコーンを並べている。やはり、警察はここの道路に目を付けているようだ。それでも道路脇に車を駐めて道路脇で撮影のために三脚を立てているようだ。
 一番の撮影場所は割り込む隙間が無いので、石垣の上で場所を探す。あったあった! 目の前の電線が邪魔だが、この下を狙えば勝納(かつない)埠頭に係留されるキティホークを十分狙える。ここから2km程先だろうか、ゴルゴ13なら、ここから艦橋の艦長を狙撃できるなって場所。

同類がまわりに集まってくる
 場所は確保した。カメラを構えてアングルの見当も付けた。望遠で見ると港の公園に反対派の集合も始まったようだ。これがカメラ・アングルに入らないように願うだけだ。もはや意識は「良い写真を撮りたい」の一点で、イデオロギーもなにも「俺を邪魔するなぁ!」って事が優先する。
 確保したここは穴場だと思う。右側に平磯公園への誘導路が有るのだけれど、この誘導路からの撮影では場所が高すぎて、撮影には絶対に電線が邪魔になる。それを知ってか、時間待ちで煙草を吸っている僕のまわりにカメラを持った人たちが集まり始める。空母は右側、石狩湾で小樽方向に右回転しているようだ。
 「電線のしたから撮れるな」。三脚を低く構えた人からの声がある。そうそう、ここでツッコミ。「前回は祝津で、苦労したんだよねぇ」と僕。「あ、俺も全然駄目。今回は、やっぱりココだよねぇ」。「前も来たんですか?」、「今度は仲間がそれぞれ持ち場に居るよ。あの、勝納サイロにも登っている。前は銀輪荘に撮影料払って入ったけど、今日は駄目みたい」なんて情報を聞く。「僕も3年前は祝津に居ましたよ」、「あ、俺も居た。逆光で全然物にならなかった」、「そっかぁ、横に居たかもしれませんね」、「今度は、何人かで手分けしてい、一部はあそこの勝納サイロに登っているんだぜ」
いやはや、オタクな人たち。
 警察のミニパトが来る。「ここは駐車禁止です、すみやかに車を移動して下さい」って言いながら「白のライトバン」ここを移動してください」と連呼しながら駐まっている。このミニパトのために「渋滞」してる(笑い)。
 「ここ、使わせてもらって、いいですかぁ?」ってテレビ局(TV−H)の問いかけがしたからある。別に、誰の土地でも無いのだけれど、最初にここに来た僕のほうをみんなが見る。
「ま、仁義切るのは立派だけど、別に誰かの土地じゃないから、いいんじゃないの」
やがて右手から空母キティホークが現れる。会話そこそこに皆、カメラのレンズを構える。

「車を移動してくださぁい」のミニパト
 クライマックス。小樽の防波堤を通過するキティホーク。シャッター音がまわりで聞こえる。で、交通機動隊や白バイ隊がここの道に入ってきて「駐車出来ません」、「99ー99のライトバンの運転手さん、車を移動して下さい」って叫ぶのは何の意味を持つのか。
 馬鹿としか言いようが無い。そもそもここ平磯公園なんて、誰も知らないどうでも良い公園。ただ、勝納埠頭に係留される艦船の撮影場所としては価値は高い。その撮影時間は入港の前後10分。たしか、駐車違反を立件するのは15分。なんだ、単なる警察の建て前の「権威威嚇」じゃないか。そもそも、駐車違反の車の移動を促すために、道を塞いだのは、おめーのミニパトだろう。
「このシャターチャンスに車に戻る奴はここに居ないな」って意見は的を射ている。
空母は防波堤の入り口を越えた。
 真横からの撮影になる。所々に小さな赤い点が見えるのだが、横で500mmを構えていた人が「反対派のゴムボートはアングルに入れたくないなぁ」と言っているので、ゴムボートらしい。3個程見える。
 10月の小樽の天気はあまり良くない。特に、秋特有の雲が風に流れている。まさに空母が防波堤を通過する時に雲の切れ目から朝日が射してくる。カメラのシャター速度を変えながら撮影を続ける。札幌から車で来る途中で雨に会ったのだが、これが、伸びてくる。空母が湾内に入り、舳先を回し始めた頃に急に曇り始め雨が降ってくる。かなり強い雨で、カメラの雨被いを持っていない人は残念そうにカメラを撤収する。
 撮影場所を変えて撮っていたのだけれど(なんせ、前の場所は勝能埠頭には木が邪魔になる)、「あっちに雲があるから、雨は止まないなぁ」と地元の人に言われて、ここを撤収することにした。
 空母の写真は撮った、あとは、飛行機オタクの感で航空機を撮影することにする。

マイカル・小樽を突っ切って旭日展望台へ
 前回のインディペンデンスの時に感じた空母入港の興奮と言うのは、国家財産である兵器を守る体制。つまり、多くのヘリコプターが上空を警戒する中を空母が入港し、接岸する。4km四方の小樽港に米軍のヘリだけで8機が上空警戒に飛ぶ。加えて報道陣の飛行機(後でテレビ放映で確認したのだが、HBCテレビはセスナを飛ばしていたらしい。他にリアジェットが1機、海上自衛隊(もしくは、海上保安庁)のヘリ)が混じる。
 この様子を確認するには小樽湾を一望できる旭山展望台が最適。空母が接岸する勝納埠頭の横を通る道を走って展望台に向かう。インディペンデンスの時は赤旗振って反対運動の集会を行い、行った後で旗を畳んで空母見物した雰囲気が今回は違う。「真面目に」(笑い)反対運動しているようだ。その集団を見ながら標高190mの展望台に到着したのは7時を過ぎていた。
 警戒ヘリのフォーメーションは全体が反時計回り。空母の真上1000フィート(300m)に定点警備のヘリが1機。防波堤の入り口で高度30m程でホバリングしているのが1機。連なって湾内を監視している2機。あとは、それぞれに監視しながら反時計まわりで空母を取りまいている。
 このパターンに入らない航空機がマスコミや日本の航空機と言える。
実は前回は朝里峠で見ていたのだが、皆有視界飛行(VFR)なので、時々全然関係無い地域を低空で通過することがある。今回もこれが有れば写真を撮ろうと、ここ旭山展望台に構える。
 結局、劇的チャンスは無かったのだけれど、米軍のフォーメーションが解っただけで、これからの小樽入港の「空母撮影」の事前情報になった。

空母は一つの国家
 前にも書いた気がするのだけれど、「いわゆる武力行使」について日本では暴力団の理不尽な暴力だけが武力行使と思われているふしがある。実は、それは正しくは無いのだけれど、自分の意見を通すための「武力行使」てのもある。
 映画「12人の怒れる男たち」ってのを見た事があるだろうか。ピーターフォンダの熱演が感じられるが、これって「議論、デモクラシー」を考える、加えて議論のありかたを示唆する映画と言える。結論を先に言うと、正義の味方と思われるピーターフォンダが実は自分の意見を通すために「脅し」を使っている(もちろん、それは議論ではあたりまえの「駆け引き」なのだが)。相手をこの言葉の「脅し」で追いつめている。
 日本の風潮として、血が流れないから「武力行使」では無いと言い切る認識が恐い。これは十分「武力行使」である。何故か日本では言葉の暴力がとがめられない。多くの教師が、教師になるような性格が厄しているかもしれないが教師にありまじき言葉の暴力で子供に「武力行使」している。
 大学時代に嫌いな助教授が居て、言葉で人を傷つける。「こんな事も知らないと、社会に相手にされないよ」なんて言う。本人は大学から大学院に進んで助教授になり「社会」なんて知らないのだから滑稽だ。学生運動が華やかだったので「チビで弱虫の助教授」なんて呼ばれていた。こいつが、団交にも出ないで、やがて学生運動が下火になると、またいい気になって学生を罵倒する。こいつは一生「チビで弱虫」の十字架を背負って生きるつもりなんだろうなぁと哀れさを感じた。
 おっと、話しが逸れた。空母の入港は「無言の圧力」である。アメリカの国益のために、日本を従える「圧力」である。そんな事は改めて書く必要も無いだろう。
 しかし、自分の正しさを通すためには「無言の圧力」カードをいかに沢山持つかも外交の1手法である。最近感じているのだがインドのガンジ(親父のほうね)の「無抵抗主義」ってのは、全て時代の流れとして諦めるのは無く、「無言の圧力」によって抵抗するって意味ではないかと考えている。
 世の中には血を流す「武力行使」以外に「武力行使」があるのだと、その無言の武力行使を体感した者にしか解らない事がある。空母の寄港ってのは流動的国際情勢の中で「外交」がどのようにあるべきか考える機会になるだろう。武力を行使しない日本の外交は、ある意味でカタワであり、ある意味で特徴的なのだが、前者が前面に出ていて、後者は認知されていない。それは、「無言の圧力」って外交カードを持たない未熟さではないだろうか。

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2000.10.13 Mint