「原子力船むつ」に見る政治、行政の無責任

立法府は原子力を理解出来るのか
 もう何回も言ってるのだが、政府は行政、国会は立法って三権分立が議員内閣制度ではうやむやになっている。小沢一郎氏だって勘違いしているのだ。立法の長が行政の長になる矛盾を是正しなければならない。だから、小沢一郎氏の言う立法府としての「政党政治」は了解する。でも、数で与党にならなければ首相を選出出来ないって部分は変えたら良いと思う。その制度の元で努力するより、制度に国民主権の精神が無いのだから制度を変える努力をすべきだ。つまり、首相公選制は日本の政治改革の基本路線にならなくては政治は変わらない。
 「原子力船むつ」について言えば、「放射線漏れと放射能漏れ」の事実認識のズレが問題だと思うのだが、所詮、技術を理解できない政治家にとって「放射能、恐い、住民不安、政治家の活躍、選挙での得票」って構造になってしまうのだ。事実を調べるよりも風評に従ったのは、まさに「選挙での得票」だけしか理解できないからだろう。
 アメリカでも立法府が民衆迎合して「禁酒法」だとか結構「どっち目線やぁ!」みたいな立法がある。アメリカの田舎では「当町内で核爆発を行った者は100ドル以下の罰金に処す」なんて法律もあるそうだ。ただ、アメリカでは国会議員で有る事の延長線上に大統領が有るのでは無い。国民は立法と行政を分けて選出出来る。だから、立法府に税金にまつわるスキャンダルは少ない。と言うより立法が行政を食い物にするのは自らの命取りにつながるのだ。
 ま、統一地方選挙の年なので、「原子力船むつ」の話しにまで選挙制度の話しが出てくるのはお許し願いたい。
 僕は政治家の多くは「陣笠議員」だと思っている。現に今の国会議員定数は陣笠を含むので多すぎると思う。ここで言う「陣笠」は国会議員が目的の輩だ、国会議員になって何をするかって議員は実は少数派なのだ。只々国会議員になりたい、そんな人間が立候補し当選する国政選挙は代表民主主義の体をなしていないと思う。
 選挙で投票する市民にも問題がある。「投げやり民主主義」なのだ。投票の時には意識あるが個々の行政課題に無関心なのだから。そして「首相を選ぶ数の論理」で陣笠議員を金でかき集めているのだ。そもそも、自民党総裁選挙では金をなんぼ使っても違法では無いのだ。そして総裁が総理大臣になる。田中角栄が首相になった時に考えなければならないテーマだったのだ。でも、自民党はこれを放置した。国民側に目線が無いのだ。
 これで「日本が民主主義制度である」と言えるのか、それを変える力すら立法府に無いのだから「国民が選挙に行かないのは制度の欠陥に起因する」としか言いようが無い。
 実は原子力施策は誰も族議員が居ない、しいて言えば10電力の票を得た議員なのだが、それって今国会に居るかなぁ。電力会社は「国策会社」で安泰だし、しいて政治献金する必然性も無いだろう。そして「利権」が無いので国会議員は無関心だ。原発の実態は定期検査に人海戦術で駆り出された多くの下請け、孫請けの従業員や臨時雇が被爆しながら検査に従事している。定状運転の視察をして「原発を理解した」みたいな感覚ではどうにもならない。

不安を利用した権力闘争はテロと同じ
 放射能と放射線の話しを先に書いたが、基本的にスローガンとしての「被爆国日本」に説得力が有るらしい。実は袋叩きに合おうとも僕が言いたいのは広島、長崎への原子爆弾を作ったアメリカの工場の労働者が一番「被爆」したって事実。死傷者は広島、長崎のほうが多いが原爆製造で被爆する人も多数でるのだ。
 「放射能をまき散らす船やでぇ」って心情的プレッシャーで「原子力船むつ」を語っては駄目だと思う。そこに「技術の未熟の教訓」を読みとらなければならない。
 にも係わらず「放射能漏れ」(実際は放射線漏れなのだが)している船を受け入れる市町村が決まらないのだ。船は母港が必要で、それを青森県むつ市にするまで紆余曲折が有ったのだ。
 「原子力船むつ」は僕の定義では「放射能漏れ」を起こしていない。単なる放射線遮蔽の問題なのだ。でも、それが公の場で言葉先行で「放射能漏れ」のまま物事の決裁が進んでいく。再度繰り返すが、「原子力船むつ」は放射線漏れが有ったのだ、放射能をまき散らしたのでは無い。これを冷静に受けとめる所から話しを始めたいのだが、過去の事実は「放射能漏れ」である。プロパンガスを使っている家庭の屋外のボンベからガスがシュウシュウ漏れている状況を連想させてしまっただろう。
 原子力船「むつ」の放射線漏れの程度は当時の単位で原子炉の真上で0.2ミリレントゲン。通常の肺ガン検査でレントゲン撮影する時の被爆100ミリレントゲンから比べれば微々たるものだ。その数値を「放射能漏れ」として報道し、「原子力船むつ」は50日も寄港する港を決められず海上を漂流したのだ。この国に科学技術を理解した為政者が居ない証明だろう。
 若干付け加えれば、先のα線、β線、γ線で作用は全然違う。だから単に放射線量を昔のミリレントゲン、今のベクレムで測定することが合理的とは僕は思わない。
それは後述するが、原子力船が日本に必要かどうかの議論も必要だが、その原子力船が起こした事態を正確に把握していたのにも係わらず「原子力船むつ放射能漏れ」でよしとした判断が立法にも行政にも有った事実は恐ろしいと思う。
「放射能をまき散らす船」って報道を前提に政治は対策を考え始めたのだ。それが科学的で無いことを知っている人の「常識」を越えて「放射能をまき散らす船の始末」って政治判断が始まったのだ。くりかえすが、これは無知から始まる「民衆迎合政治」なのだ。事実を理解出来ない立法府ってのは憲法の精神に反しているのだが「集票」にご熱心らしい。
 「原子力船むつ」不安を利用して選挙を戦った自民党青森県連の行動は、僕が定義する「民衆を恐怖によって支配するテロ」と何も変わりは無いのだ。そもそも存在しない「恐怖」を利用して、そして「風評」を利用して選挙に挑むなんてのが許される青森県は「どうなっとるんやぁ」

基本的に日本に原子力船は不要
 良く解らないのが原子力を動力とする船舶を日本が実験開発するって姿勢。それって全然必要性を感じない。にもかかわらず国民の税金をそこに使う理由は何だったのか。当時の自民党は「やりたい放題」だったのか。実はこの点に拘って僕は「原子力船むつ」の情報を追っているのだ。
 原子炉を動力として動く船舶は周知のように原子力潜水艦である。アメリカはこの技術を原子力による発電に結び付けたのだ。兵器産業が民生に応用されたのだ。そのトリガーは船舶に積む原子炉は発電にも使えるって技術の民間事業への応用であった。
 そこで当時の「通産省」(現在の経済産業省)は「科学技術省(現在の文部科学省)」に対抗してエネルギー研究の観点からこの船を実験船として製造したのだろう。
 そこに「原子力発電への応用実験」って名目は無い。単に原子力船を研究したかったのだろう。で、その結果膨大な税金の無駄使いを招いたのだが、誰も処罰されない。そもそも官僚てのは楽で失敗の責任は国が負うって職場でヌクヌク生きているのだ。だから、「原子力船むつ」は「作ろうとした官僚」から「後始末の官僚」にバトンタッチされて、理念無き後始末に場面を変え、その資金(税金)に群がる人間達に翻弄されて、結果的に不要な国民負担(税金投入)を強いたのだ。でも何億使っても担当官僚は責任を負わない。これって、まさに「役人天国」だ。
 科学技術を担う官庁と外交を担う官庁の連携が全然出来てない。だから、原子力船なんかを税金で作れる。これって、縦割りの弊害と呼ぶにはあまりにも情けない日本の現状ではないだろうか。

原子力施策方針の無い日本
 原子力利用にそれぞれの党は何を言っているのか。この情報が開示されていない。だから、市民は判断出来ない。情報を開示せず、その個々の課題に返答できない勉強不足の国会議員は山ほど居る。山崎拓氏に原子力への蘊畜を聞いても答は無いだろう。立法府の代表としての意識が無いのだ。単に業界団体の意見を代弁するだけで自らの意見が無い。もっとも、勉強する気持ちが無いのだから正確な「原子力施策」が国会でできるとも思えない。単純に官僚の書いた作文が今の日本の原子力政策だろう。
 僕が頭に来るのはアメリカでは「マスキー法」のように法律に人物の名前が付与される。それは名誉でもあり責任でも有るのだが、日本では「個人情報保護法」みたいにイミフメな表題で法案が流れる。内容に責任を持つ国会議員が見えて来ないのだ。立法府の国会議員であるにも係わらず、物事が解っていないのだ。
 物事が解らない人には立法なんて行為は出来ない。それが今の立法も行政も含めた原子力無策の実態だ。もっと勉強してもらいたい。エネルギー施策は国策だ。その一部が原子力だ。太陽光発電も風力発電も調べて勉強してよ。風力で原子力をカバーできるのを勉強してよ。
「原子力船むつ」報道に見るジャーナリズムの無責任

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2003.04.30 Mint