テロとの戦いにイラク派兵は無い
邦人に犠牲者が出た
邦人を狙ったテロと思われる事件が起きた。この事件に対するコメントが適確では無いと感じる。特に「テロに屈しない」だから「自衛隊派兵は必要なのだ」との政府筋の説明は衣のしたに鎧が見える不手際だろう。テロと戦うこととイランと戦争することは全然違う。
そもそも、イランとの戦争はアメリカが仕掛け、9.11と混同されてるが、イラン侵略戦争は、それ自体単独の行為でありテロとリンケージしたものでは無い。どうもイラン戦争がテロとの戦いと置き換えられていないだろうか。
自衛隊はテロを撲滅するためにイラクに派兵するのでは無い、人道支援なのだ。そのため、テロ勢力と戦闘を交えることは無い。「テロに屈しない」の姿勢は自衛隊の派兵で証明するのでは無い。その論理の飛躍を指摘するジャーナリズムも希有だ。
「テロに屈しない」って姿勢は残念ながらテロと戦うことで示すものでは無く、目的遂行の障害にテロが有っても、それを恐れ、目的遂行から手を引くことは無い、って姿勢で示すものなのだ。テロと戦うことが「屈しない」では無く、テロを恐れず目的を遂行することが大切なのだ。
その意味では昔のインドのガンジーのように「テロには無抵抗主義」って姿勢こそが「テロには屈しない」の説得力有る姿勢なのだ。
国内的には治安維持、国際的には人道支援
警察の取り締まりを武力行使と呼ぶかどうか議論が分かれると思うが、少なくとも国内では必要な武力行使とコンセンサスを得ている警察が治安維持のための活動を強化することは可能だろう。かつての暴力的左翼学生運動の取り締まりにローラ作戦と称して個人のプライバシーを侵害するまで調査した事があるのだから。
しかし、同様の方法を国外で行ったら警察では無く軍隊の武力行使に当たるのだ。
その意味で「テロに屈しない」ために、国内の治安維持強化を行うのは予防的立場から必要だろう。
国際的にはイラクにイラク人による政権が樹立されるまではアメリカの占領地域なのだから、日本が国として出来ることはNPOの支援とかに限られるのではないか。自衛隊を派兵する環境が整うまでは先走った「アメリカ組、組頭」みたいな行動は行うべきでは無い(これは繰り返しになるが)。
あくまでイラク国からの要請が有って自衛隊が派兵されてこそ、独立国としての日本の判断であり、憲法に添った自衛隊の運用なのだ。
コスト対効果はNPOが数段上
海外派兵される自衛官には一日3万円の特別手当てが出るらしい(朝日新聞情報)。1000人派兵するとして一日3000万円、月10億円弱。この費用は自衛隊員の給与として支払われるから国内へ還流し所得税は国庫に納められる。それを踏まえて「イラク支援にこんなに金を使ったぜ」と言ってもイラクには伝わらないだろう。
NPOの活動では必要な物資が直接イラク国民に届く。そのコストも自衛隊の3分の1以下ですむ。
どちらが、真の人道支援か考えてみる必要がある。アメリカに対して見栄を張って国民の税金を無駄使いするのが良いのか、イラクに対していかに効果的な人道支援を行うのかを考えるのが良いのか、そのあたりが政治で語られなければならない。
松本仁志の言う「ドッチ目線でものを考えるか」なのだ。
自衛隊派兵阻止を狙ったテロなのか?
「テロに屈して自衛隊派兵を辞めることは出来ない」と小泉純一郎首相は詭弁を重ねるかもしれない。もし、このように言ったら大変な問題を引き起こすのだ。
今までの国会答弁では「時期を見て慎重に判断する」と言っていたのだから。その「時期」とは「邦人被害」を指すことになる。そんな首相が居て良いものか。国民の生命と財産を守るのが政府の最大命題なのだ。
そもそも自衛隊派兵には問題点が多いのだ。国民が納得する説明が出来てない。その説明を引き出す役割の野党も議論の空回りを繰り返す。
テロと戦うために自衛隊を派兵するのでは無い。あくまで人道支援が目的なのだ。そして人道支援ならば何も自衛隊にしか出来ない訳では無い。福田官房長官は「完結型の自衛隊が最適」と言うが、テロと戦うなら自衛隊が最適だろう、また、イラク国から「自衛隊を」と言われたら最適だろう。現状は誰に言われるでも無く、日本の独自判断の段階なのだ。まず自衛隊ありきの判断基準を見直すべきだろう。
最後に今回の事件で犠牲になった外務省の職員2名のご冥福をお祈りしたい。