「突撃!」は英語では「フォロー・ミー」
文化によって言葉が違う
 とある本を読んでいたら「日本語は日本の文化背景で使われ、英語は英語の文化背景で使われてこそコミュニケーションの道具で、言語を翻訳しても伝わる雰囲気は限られる」って意見が有った。
 日本の英語教育の問題点はたくさんあるのだけれど、文化理解がおざなりで言語学的な英語教育なものだから「次の文章を日本語に訳せ」みたいな教育がまかり通っている。例を上げるときりが無いのだが、「seeing is belibing」を「百聞は一見にしかず」とか訳すと100点なのだ。中にはひっかけ問題のisn'itがやたら試験に出たりする。もはや言葉遊びなのだ。言語の違いを文化の違いと同様に考察する国際感覚育成が英語教育の目的なのだが、現場では「知っとるけぇ」のアミダ・ババアのような丸暗記的な英語教育が大手を振っている。
 かつて日本史が歩んだ「丸暗記」を英語も歩んでいるのは現場の教師の責任だ。丸暗記を推奨しておけば「何故?」って質問が出ない。そもそも質問に答える力量が無いから質問する余地を見せない授業が楽なのだ。だから、手抜きが暗記授業を生んでいる。要は現場の教師の能力の無さの露呈なのだ。
 で、文化が違うと言葉も違う。
 その意味で異文化の中で現地の言葉を使ってコミュニケーションを計るのは至難の技だ。イラクで外務省の「草の根支援」のために走りまわった奥克彦(在英大使館参事官)と井ノ上正盛(在イラク大使館3等書記官)の果たした役割は代替不可能な活動であった。
 その機能は自衛隊が取って代わることが出来るものでもなく、どちらかと言うとNGOが続くことが可能な機能だ。

そんな馬鹿な、と調べたら
 率先垂範、アメリカ軍では「突撃!」と叫んで部下を突撃させるのでは無く「フォロー・ミー」(我に続け)と叫んで将校が真っ先に飛び出すって話を聞いた。それはアメリカ崇拝の嘘、もしくは作り話だろうと感じたが、戦争での戦死兵士の記録を見てうなずいてしまった。
 戦死兵士に占める将校の割合はベトナム戦争時にアメリカ陸軍で戦死者30,743名中将校は3,359名(11%)、海兵隊は3,430名中将校は905名(26%)である。旧日本軍と比較するのは無理があるが、勇猛果敢な海兵隊の将校の戦死率が高いのが目立つ。確かに率先垂範がアメリカ軍の姿勢であると共に「フォロー・ミー」が実践されている。
 何故、旧日本軍との比較が意味が無いかと言うと、旧日本軍は職業軍人全てが将校では無く下士官兵が存在した。「大空のサムライ」の著者である故坂井三郎氏も書いているがアメリカではパイロットは全員将校だった、日本では下士官兵が多かった。同じ戦闘機のパイロットなのに下士官兵と将校では宿舎も違い待遇も違った、そんな組織上の違いが有るので単純な比較は出来ない。
 「戦艦大和の最後」を書いた吉田一氏も「太平洋戦争はは下士官兵が戦った戦争であった。大和の沈む最後まで防空射撃担当の下士官は傾く甲板で機銃を撃ち続けた」とある。パイロットで言えば将校でない下士官兵が編隊長として「フォロー・ミー」と空中戦に挑んでいったのだ。
 ただ、少なくとも「突撃!」と叫んで部下を突進させる旧日本軍の映像は多い。亡くなったビッグ・モローの出演していた「コンバット」でも、一人機関銃を支給されていたサンダース軍曹が率先してフォロー・ミーと突撃していたのだから、軍隊の組織として戦闘に対する姿勢が違うのは確かなようだ。

空母飛龍に見る旧日本海軍の責任の負い方
 いわゆる出版の世界では太平洋戦争の戦記ものは単発なものが多い。昭和の太平洋戦争全体を描くと学術書のようになり、昭和16年から描くと「上・中・下」の3巻で中巻の最初にミッドウェイの敗北を書くと下巻はほとんど売れないのだ。
 僕も経験があって、連載され単行本になった柳田邦夫氏の「ゼロ戦燃ゆ!」なんか、全巻揃えるのに大変苦労したのだ。で、やはりミッドウェイあたりまでが明治から培われた日本軍文化があらわれてるのだろう。
 空母飛龍の第二航空戦隊長山口多聞氏、空母艦長加来氏、共に空母飛龍を失うことの責任を取って空母と共に太平洋に沈んだ。読み物として戦隊長と艦長は艦橋で羅針盤にロープで体を縛って月を見上げながら最後の時を迎えたみたいに書いてあるが、実際は違うらしい。
 空母飛龍機関担当の萬代久男氏(当時機関長付き少尉)は空母飛龍を魚雷攻撃して撃沈する決定後の空母飛龍に生き残り、100名近い避難出来なかった人々と空母飛龍に残っていた。で、彼らは甲板に居たにもかかわらず戦隊長からも艦長からも声をかけられていない。カッターに避難した直後、空母飛龍は大爆発と共に沈没、6月6日午前6時6分頃だったらしい。彼ら35名はその後15日間漂流しアメリカの駆逐艦に救助された。
 話が少し逸れたが、「艦と運命を共にした」のだが、実は艦が沈む前に艦を見捨てて自決したのが事実ではないかと思う。そのことが山口多聞氏や加来艦長の名誉を損なうことでは無い。ただ、敗戦の責任を取る死に方が当時の日本海軍の責任の取り方だったのだろう。
 その意味で南雲中将のその後の戦歴、最後の戦死の状況は語られることが少ない。負けて恥じを晒すなら死を選ぶって軍隊の考え方ははなはだ非合理的で強い軍隊の育成とは正反対なのだが、江戸時代の「武士道」の精神が近代国家の軍隊に生きていた故の旧日本軍の問題点だったのだろう。

軍隊は武士道で無い、効率的な破壊の道具
 アメリカの将校には負けて責任を負うって考え方は無い。負けた事により責任を問うなら問え、私は最善を尽くしたって姿勢を取ることを教え込まれる。
ここに既に日本軍と違う兵士教育がある。敗戦も有効な戦記なのだ、ORに学ぶのが軍隊の合理的運営で勝利だけ勉強しても実践に役立たない、それを訓練に生かしている。だから、勝利しようが負けようが、戦闘は詳細に分析される。その分析のためにも兵士は生きて証言しなければならない。それが、アメリカの軍隊の戦争に対する姿勢だ。
 将校が「フォロー・ミー」と言って突撃するに足りる情報が完備している。突撃か撤退かそれを判断する過去の戦争の記録、そして戦闘によって勝っても負けても自分の行動の記録が残される。その体制があるからこそ率先垂範で「フォロー・ミー突撃」できるのだろう。自分の為では無い、国の一部を担っているって気概が出てくるのだ。
 方や日本では、昔の国鉄では無いが「怪我と弁当は自分持ち」って軍隊だ。特別手当1カ月100万円だけが現場への誠意だ。それは違うだろう。
 不幸にして外務省の職員2名が亡くなられた。その政府対応が「2階級特進」ってのも太平洋戦争の真珠湾攻撃の特殊潜航艇の軍神に通じると考える日本人は居ないのだろうか。それくらい「2階級特進」は報奨なのだろうか。行政府が個人にそのような対応をする事を二人は望んでいただろうか。
 小泉純一郎首相は合同葬儀で声を詰まらせて弔辞を読んだ。パフォーマンスだろうあれは。小学校の時に書いた作文を小泉純一郎首相が目にする訳が無い。官僚の書いた「感動的な作文」を朗読しただけなのだ。
 せめて「率先してイラクで復興支援に携わった両氏の「フォロー・ミー」の精神を高く受け止め、残された我々も両氏の目指したイラク復興を実現すべく、付いていくことにより、両者の精神を実現したい」みたいなこと書けないのか>官僚。
 彼らは軍神扱いを望んでいない。まさに「フォロー・ミー」の継承を望んでいるのだ。彼らは自衛隊の先頭に立って「フォロー・ミー」とは言っていない。その精神を何処まで小泉純一郎首相は解っているのか。その理解度が日本の外国からの評価に繋がるのだ。
 両者が日本に残したのは「フォロー・ミー」なのだ。

botton 政治>テロとの戦いは武力では勝利出来ない

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2003.12.06 Mint