|
|
2回出た声明文が不思議
最初の声明文の中で日付の表記の問題は前回書いたが、2度目の声明文は日本で茶の間でワイドショーを克明に見ているのではと思われるほど指摘された不可解な点を修正している。日本から誘拐グループに情報が流れているとしか思えない。その一部にアルジャジーラで放映されていない内容も含まれるのだから疑問が沸いて当然だ。そもそも誘拐グループは日本人の誘拐を目的に自衛隊のイラク撤退を声明するのだがら多少なりと日本の事情を知っている必要がある。しかし解放された3人からは、例えばビデオ撮影時に「怖がってくれ」とどの言語で言われたのか明確な説明が無い。いや、出来ない事情があるのではないか。 裏情報からは2名の記者会見の時に「2通の犯行声明を書いたのは日本人じゃないのか」と質問した記者を同席していた共産党系女性弁護士が「拉致させた」なんて情報も伝わってくる。誘拐グループの中か近くに日本通の人間が居たのは状況証拠から間違いない。 うがった見方をすれば赤軍派ではないかと推測される。そして、犯行声明を書いたのも赤軍派の人間。3人は自作自演では無いが、有る程度知らされていたシナリオを演じた、つまり出演者だったのではないだろうか。 逆に、インターネットが使える現在だから、日本から何日にイラクに入るなんて情報は簡単に手にはいる。高遠氏も今井氏もホームページで(日本語で)行動予定を公開していた。また、取り巻きが逐次入る情報を代筆してホームページに公開していた。この情報をイラクで入手するのはさほど大きな組織力が無くてもできる。 加えて、発表された声明文がどのように報じられているかもインタネで検索して知ることが可能だ。ましてインタネが使えるのなら日本国内のシンパから電子メールで情報を得ることも容易だ。 3人が自作したように見えるのは、第三の(この場合4人目以降って意味だが)日本人が関与している可能性を考えると合理的な説明ができる。彼らがシナリオを書いたように見えるのは「やけに犯行声明が日本事情に通じている」と見えるからで、この第三の日本人の存在があるからと考えると犯行声明の謎は理解できるのではないか。 |
3人の帰国記者会見は無く、後日郡山氏、今井氏の2名で行われることになるが、帰国当日は家族による会見と3人の手紙が公開された。最初のは郡山氏のものだが、ごく普通のメモに見える。文言も特に過激な発言は見られない。
次に今井氏だが、日付が73.4.18もしくは93.4.18と読める。実際は平成16年か2004年が正しいのだが、これは単なる勘違いだろうか。もしくは西暦年から書いたら良いのか日から書いたら良いのかパニックになったってこと? 単純な間違いでは無く、なにかメッセージが込められているようで不気味だ。
高遠氏のメモは非常に読みづらいが、心労を見せたい演出か実際に疲労困憊なのか解らない。ただ、文字も書けないほどであれば、もっと簡素な文章で十分だろう。郡山氏のような簡潔な文章で良い。気になるのは最後の「必ず、お話しします」の部分だろう。イラクからヨルダンへ、ヨルダンから関空へ、関空から羽田へと日本の状況が解るに連れて精神的にも肉体的にも追い込まれてきたのか弱ってきていた。その高遠氏が回りに向けて「必ず、お話しします」って内容は何なのか非常に気になる。
|