テロと同じ土俵で戦えぬ民主主義
合法的テロ対策、違法的テロ対策
暴力的違法行為を行うテロ集団に合法的に立ち向かうのは難しいのではないか。テロとの戦いは、実は兵士と警官が戦うようなものなのだと、ふとトム・クラインシーの愛国者のゲームを読み返していて気が付いた。
兵士は武力により相手を撃破する機能が求められる。警官は市民を守る機能が求められる。この両者は通常戦わない。逆に国内における兵士の機能は本来の機能とほど遠く災害出動のような国民を災害から復興させる機能に限定される。
方や、テロ集団は兵士と同じで撃破する機能を発揮する。これと戦うには同じように撃破する機能を持った兵士が必要だが、これを別機能の警官で対応しようとすると、対応の難しい問題が多々出てくる。最も大きいには予防的攻撃は警官には認められていない。兵士は敵兵が居ればその敵兵が自分を攻めてくるか否かによらず撃破することができる。警官は正当防衛以外、つまり、攻撃される前には手が出せない。これは警察国家を防ぐための民主主義の基本だが、テロ対策の面からは十分目的を達することに繋がらない。
通常、破壊力の大小で言えば、大きい順に「兵士>テロ集団>警官」と並ぶのではないだろうか。テロ集団を撃破する機能は警官には無い。
民主的に人権尊重の精神での対応は、テロ対策には不十分な場面が多々発生してくる。かと言って、それをないがしろに出来ない民主主義法治国家としてのジレンマがそこに出てくる。
アメリカが恐れるテロ集団のパターン
9.11の時に直感的に思ったのはトム・クランシーの小説に描かれるテロリストが現実の世界に表れてきてる点だ。旅客機を利用してビルに突入するのは「日米開戦」で最終章に描かれている。とりあえずはこの1点だけだが、同じ様なテロから国際紛争に繋がるのが「レッド・ストーム・ライジジング」でロシアの石油精製コンビナートの破壊。「いま、そこにある危機」では紛失したプルトニューム弾頭を改造する核テロが。それぞれ描かれている。
少数の集団による多数の殺傷行為こそがテロリストにとって「効率の良い行動」となるわけで、小はAK-47から大は核爆発まで、少数の集団に「効率的な」武器を入手しテロを実行することが可能になった。
8〜12kgのプルトニュウムが有れば核兵器を作成できる。核爆弾作成の最大の難関は原料である濃縮ウランもしくはプルトニュウムの入手で、加工は大した技術は必要としない。ところが日本の原子力発電所の使用済み燃料を再処理してトン単位(六ヶ所村が稼働すればウラン換算で800トン/年)でプルトニュウムを生成している。原子爆弾100、000発分の貯蔵が日本でなされるわけだ。この1%が流出しても1000発の原子爆弾が作れることになる。テロリストにとって非常においしい話だ。
だから、核兵器にテロリストは向かっていくのが必然の気がする。
イラクの主権委譲とテロ国家
結局、大量破壊兵器は見つからなかったなんて話を蒸し返すつもりは無いが、アメリカは無いことを確認して安心するまで徹底的にイラクを調べたかったのだろう。そのために、フセイン政権を倒すのが近道だと考えたのだろう。それは必ずしも効率の良い判断では無かったと思うが、それくらい核テロを恐れる事態になっていたってことだろう。
最大の問題はその説明が真摯になされていないこと。日本では大量破壊兵器に毒ガス等の生物化学兵器を含めて考えているが、世界の常識では「大量破壊兵器」とは核兵器のこと。核開発はこれだけ偵察衛星の発達した時代では秘密裏には行えない。ただ、濃縮ウランやプルトニュウムを入手した後では検知は難しい。そして、背後には政情の変わったロシア、兵器輸出大国のフランスが濃縮ウランやプルトニュウムを「製品として」保持している。何時イラクが入手しても不思議では無い政治状況が続いていた。
結局、大量破壊兵器が無かったから、予定通り(2日前に)主権委譲を行った。たとえイラクがどうなっても、アメリカに向かって核兵器を使うような事態にはならないことを確認してからの主権委譲だ。
だが、実際には治安が安定していないイラクではテロリストは暗躍しやすい。住み易い国家と言えるだろう。主権を取り戻しても、治安が安定しなければ、テロリストが大量破壊兵器を持ち込む余地は十分に残る。この時にアメリカは再度、しかもイラク政府の合意を得て駐留軍を派兵するだろう。今度は国連決議を必要としない、イラクとアメリカの関係での駐留になるのだから。
そして、合法的にこの国をアメリカの52番目の州にする。ま、52番目は日本だから、正確には53番目か。
テロとの戦いとは軍隊の領域
カンボジアのPKOでは警察組織からの人員を派遣した。今回のイラクでは人道支援であり秩序回復なのだから積極的に警察組織からも人が行っても良さそうなものだが、やはり、戦闘地域であり、軍隊(自衛隊)が出ていくのが順当だろう。その後、文民活動が国連軍なりイラクから要請があればその時点で判断すれば良い。
それよりも、現在駐留中の自衛隊が主権委譲により進駐軍(占領軍)扱いからイラク政府の認めた他国の武装集団に趣旨を変える手法はどのように行うのだろうか。マスコミも全然触れてないが、国連軍は占領軍では無く駐留軍なのだから、それなりの手順が有ってしかるべきではないのか。
話は最初に戻るが、有事立法あたりで想定してるテロ集団への自衛隊の対応は認められるべきだろう。警察の機能強化で第二の警察予備隊みたいなものを作るのは無駄だ。自衛隊が戦争できない自衛隊では無くて、日本の領土、国民の生命財産を守る自衛権の機能を発揮するには現在の縦割りの自衛隊と警察を有機的に結びつける工夫が必要だ。これは政治にしか出来ない。その意味で、護憲・自衛隊違憲をイデオロギー化してしまった政党に明日は任されない。そもそも、警官と兵士の違いも理解していないだろうから。