民営化=改革では無い。小泉首相の勘違い選挙戦略
選挙運動とインタネ
自民党から民主党のホームページが選挙違反だと伝えられ、自治省は民主党に警告を送ったが、これに反発して民主党が自民党のホームページも「我々と同じように」(笑い)選挙違反であると抗弁している。
ま、ここは大人気ない論争で、基本的に選挙違反を取り締まるのは警察の仕事で自治省には違反か否かの判断は出来ない。ただ、「抵触する可能性がある」としか言えないのだから。
選挙民に伝える方法は千差万別だが、インタネもその一つとして認めるには現在のメディアの世代間格差、いわゆるデジタルデバイドが問題だろう。地方では立会演説会の動画配信を臨場感を持って見ることが出来ない。メディアによる不公平が発生するのは紛れも無い事実だ。
このあたりの内容については1996年の新党さきがけの自治省への質問とその答えってのが先駆的ありまた役所の前例(笑い)である。この資料は新党さきがけが霧散したことにより原本(大分のコアラに有った)を参照することが今は出来ないので、関連書類を引用して掲載しておく。
1998年、新党さきがけのインタネ利用に関する質問の自治省の返答
で、選挙違反とは正確には選挙運動違反で、選挙運動は選挙における広報手順を決めたものであって全ての候補者が手順を合わせて選挙運動を行うことを目的にしている。つまり、競争のルールを規定したものだ。よく勘違いされるのが公職選挙法違反は不正な手段を用いて当選を図った罪と思われがちだが、基本は公正なルールに反して選挙運動を行ったってことなのだ。だから、不正はルール破りってことで、これはサッカーで手を使う(ハンド)と同様ルール違反であり、選手の人格を損なうものではない。このあがりの理解がいまだにすすまず、日本は法治国家なのかなぁとため息が出る。
で、選挙運動は「特定の公職の選挙につき、特定の立候補者 又は立候補予定者に当選を得させるため投票を得又は得させる目的をもって、直 接又は間接に必要かつ有利な周旋、勧誘その他諸般の行為をすること」と返答されてるので、現に立候補者を出してる政党や立候補者自信が当選を目的に(ま、それを目的にしないはずが無いのだが)選挙期間中にインタネでホームページやメイリングリストを利用して自動送信を行う行為は限りなくルール(公職選挙法)違反に近い。
が、それ以外は選挙運動とみなされないことになる。ゆえに、上記に抵触しない範囲で書いておくことにする。
改革は善、保守は悪って誰が決めたんや
歴史を学ぶときに歴史のターニングポイントでの主人公は脚光を浴びるが、所詮歴史は人間の歩いてきた道である。そこには多くの歴史に書きとどめられなかった人々の生活があった。例えば2004年12月に封切られた映画「北の零年」を見ると、国の政策であった北海道開拓に沿って入植した人々が政策の変遷とともにいかに苦労して北の大地で行きつづけてきたか良くわかる。同じように木下啓介監督の描く映画「家族」では閉山により九州の炭鉱を離れ北海道の根釧原野に入植する家族の日本縦断の旅が華やかな大阪万博と対比されて描かれている。
「痛みに耐えて改革を断行する」ってのは日本人の悲劇のヒーロ嗜好に合致するかもしれないが、本音は痛みの無い改革こそが人間の知恵であり政治の本丸なのだと気が付かねばならない。
小泉純一郎首相の過去4年間は思いつきの出たがりの自己顕示欲だけが目立ち、そもそも改革を叫ぶと注目されるから叫んでいるだけって根無し草なのが良くわかる。
首相公選制度なんて何処かに吹き飛んだ、30兆円以上の赤字国債は出さないも吹き飛んだ、議員年金の見直しも見直しすらしないで吹き飛んだ。要するに目立つために発言すれども実現の方策は何も無いし実現に努力もしない。そして最後は「それくらいの公約が守れなくてもいいんだ」って開き直る。
郵政民営化については巧妙な騙し絵が描かれてる。民営化=改革の路線は正しいと洗脳する騙し絵だ。郵政民営化は郵政民営化って制度変更であり必ずしも改革と呼べるものではない。下手するとその制度変更の方向によっては改悪にすらなる。「民営化=改革にも改悪にもなる」って制度改革について回る是非論を切り落として「民営=改革」ってのは騙し絵以外のなにものでも無いだろう。
制度変更の是非を議論せず、民営化=改革、改革に反対な奴は排除する選挙ってのは一国の総理大臣が学級委員長クラスの責任感しか無いのかとあきれてしまう。そこには国益よりも優先する「自分は正しいって思い込み」が見え隠れしてるのだから。
民営化は経営方式の変更、決して改革と呼べない。いや、改革する単に変更ってことでそこに善悪の要素は無い。改悪に対する反対語は改善。
失速状態になった郵政民営化選挙
多大な責任がマスコミ(にも)あると思うが、参議院で郵政民営化法案が否決されたのに衆議院を解散する。これが憲法に違反するかどうかでは無くて、政治の正しい舵取りであったかどうかをマスコミは掘り下げない。小泉純一郎首相が騒ぐから尻馬に乗って報道の勝ち組み(視聴率高く)になりたくで扇動してる。そもそも政治の手法として今回の衆議院解散は是非の分かれる議論すべき課題の一つなのだ。
また、1本の法案にのみ縛った選挙が今日の日本の選挙制度で可能なのかどうかも議論すべき課題だ。そもそも、国民投票制度を作ってこなかった国会の特に与党が、いまさら国民投票的な手法を既存の選挙に持ち込むのは自己矛盾だろう。
そんな背景を知ってか知らずか、刺客が誰かに走り回って今回の選挙の是非、そして今後の最長4年間の国政のあるべき姿を議論しない風潮は、マスコミの国民のミスリードの典型だろう。
投票を9.11に設定したのは自公協議の上らしいが、解散から投票までの時間が長すぎることは小泉純一郎首相にとって不利な要素であった。郵政民営化選挙一本では時間が経過するに従い失速するからだ。その前に郵政民営化選=改革するのかしないのか選挙って雰囲気のまま投票まで突っ走りたかっただろう。現実には数日前の世論調査から郵政民営化が選挙の主眼から失速し、年金問題がじわじわと関心を高めてる結果があらわれている。自民党の支持率も下がる傾向にある。投票が1週間早ければまた違った展開になっただろう。(もっとも、9.11の結果は今の時点では解らないが)
そもそも、選挙で投票するには小泉純一郎首相の言っている郵政民営化ってどんなことなのか、マスコミが「国民に解りにくい」って自らの姿勢を省みず標榜するように、情報不足だったのだ。それが、いざ投票ってことで国民が情報を集めだしたってことだろう。実は、この時間が小泉純一郎首相が恐れていた失速なのだ。
3事業一括民営化はやはりおかしい
そもそも小泉純一郎首相の叫ぶ「郵政民営化」は具体的な方策に欠けていた。一方で郵政公社化を進める舌の根が乾かないうちに打ち出してきた郵政民営化は3事業一体民営化論だった。
コンビニのように郵便局がなるってイメージが強かった郵政民営化が財政投融資も巻き込んだ財政改革の入り口(だか本丸だか知らんが)と叫びだしたのだから正直国民は「聞いてないよぉ」とダチョウクラブのように叫ばざるを得ない。
郵便局がコンビニ経営できるなら事業の多様化の道を開くので歓迎だが、実はこれは公社のままでも出来る。小泉純一郎首相にとって簡易保険事業と郵便貯金事業こそが郵政民営化の本丸なのだろう。それを騙し絵で郵便局問題に論点を移すとこれまだ騙されやすい野党は「地方に金融機関が無くなる」と叫びだす。この論調には肩透かしをくらわせておいて、本丸の郵貯は騙し絵の影で葬るってのが深慮遠謀なのだろうと思う。つまり、財政改革のためには無駄な経費を使っている特殊法人を国の直轄事業から切り離す必要がある。しかし、そのロジスティック(兵站)は郵便貯金から供給されている。特殊法人を整理統合するのは相当なエネルギーと自己改革の意識が必要だから、実現は難しい。ならば、そのロジスティックを絶とうっての郵政民営化が改革である本音なのだろう。
北朝鮮にも行わない経済制裁を郵政民営化によって特殊法人向けに経済制裁やろうってまたく腰の砕けた発想が郵政民営化は改革の本丸って発想だ。
で、騙し絵にはカモフラージュが必要で郵便事業を前面に出して裏の郵便貯金を国民の目からそらして闇に葬るのが現在の郵政民営化法案である。他にも郵政民営化の方法は沢山あるのだが、是非を論議することもなくこれ一本ってことで行われたのが先の郵政民営化法案だ。で、結果はご承知の通り「何故民営化か?」って基本的な問に答えられず参議院で廃案になった。
諸外国の例を見ても郵便事業は社会インフラであり国営の場合が多い。他の金融事業は国営である必要は無い。もっとも、政府保証が付いている郵便貯金を国会の議決だけで明日から知りませんって訳にも行かないだろう。暫定処置は当然の法案変更だと思うが、結局背景にあるのは財投を止めたら郵便貯金事業は成り立たないってニワトリと卵の関係にある特別会計に「改革」の手を染めず、スケープボート(生贄)のごとく郵政民営化を目指す政治姿勢が破綻してきたってことだろう。
ま、9.11の結果がどうなろうと、本質を見誤った改革は自滅していくのだけは歴史が教える事実だろう。