選挙の争点は郵政民営化の是非では無いはず

小泉純一郎首相の主張は無理がある
 修正民営化関連法案が参議院で否決された事により「国民の真意を問う」ために衆議院を解散するって手法は国政を担う者、それも最高責任者として選択肢のひとつではあるが、他にも様々な方法が考えられる。そもそも、1法案にのみ、それも国民の議論が二分化する大問題では無く、国会での多数決による議決のみに拘った「数の論理」だけの問題で国政選挙に持ち込むのは最高責任者の責任をどのように受けとめているのか小泉純一郎首相の「変人のよりどころ」に薄ら寒い感覚を得てしまう。
 今度の解散を何と呼べばよいのか。的を射た傑作は耳にしていない。社民党がキャッチコピーが好きだから「自爆解散」とか言ってるが、小泉純一郎首相には自爆の考え方は無いから的を外している。ちなみに、歴代の解散の俗称のホームページがある。なかなかウイットに富んだものもあるが、概して時代を映したネーミングにはなっていない。
 「9.11テロ解散」は関係各方面への配慮から無理だろう。「わがまま解散」を一押ししたいのだが、どうだろう。小泉純一郎首相の変人たる思考回路は理解の範囲を超えているが、今回の衆議院解散へ踏み切る裏には「勝算」が無ければならない。先の 社民党の福島みずほ・党首の「自爆解散」は、勝算無き選挙ってことだが、選挙に打って出るかどうかは首相の自身の手のひらにあり、今解散したら勝てないって思惑があれば解散しないで済む、だから、詳細は解らないが「勝算」があっての行動と普通の感覚では思ってしまう。
 郵政民営化の是非国会ってのはありえても郵政民営化の是非選挙ってのはありえ無い。何故なら、国民投票制度が無いいまの日本では選挙は国政全般にわたる今後の方針を選択するもので、何もかも投げ出して郵政民営化一本で投票してくれって言われてもそれば選挙の基本に反するのだ。
 逆に小泉純一郎首相の「勝算」が「国民は郵政民営化賛成だ」って部分に着目してるのであれば、これは非常に危うい。時間が経てば郵政民営化は大きな目標で、ステップとして行った郵政公社化の結果を踏まえる必要があるって論理が広まってくる。「郵政民営化は当然だが、何も急ぐ必要は無い。2010年頃に再度郵政民営化の議論をすればよい。何故なら、成果を焦るあまり、稚拙に行った道路公団民営化は様々な問題を起こしてるではないか」って政治的アジテートが正論として浸透すると思われるからだ。
 伝家の宝刀を抜いたら自爆だった。福島みずほ・党首の言いたいのは、そこの所だろう。しゃにむに郵政民営化選挙に持ち込むのも小泉純一郎首相の自爆に見えるのだが。

争点を突き詰めると自民党では出来ない
 何度も繰り返すように、小泉純一郎首相の考えていることは変人の論理なので我々の想像の外にあるが、郵政民営化が自分の我がまま方針である、だけでは説得力無いので様々な理論武装(言い訳)をしている。間違ってはいけないのは、小泉純一郎首相の頭の中には「郵政が民営化されれば良い」の一点しか無い。他の理論武装(言い訳)はすべて後追いの付けたしだと理解しておくべきだろう。
 その中に「小さな政府論」がある。現在の郵政公社でも職員は「みなし公務員」である。公務員てのは国雇う役人であり行政府の一員である。公務員の効率の悪さはかねてから言われることだが、単年度会計制度がその根源にあり、労働組合を筆頭にした特殊な職場の世間知らずが根本原因の双璧をなす。で、どちらも前例なので政治主導でも手がつけられない。唯一、民営化って手法で切り離すしか解決策は無いってのが現状だ。そこで小泉純一郎首相の考える「小さな政府」では公務員を切り離す方策を手段として選択することになる。ま、抜本改革よりも小手先の改革のほうが成果が早く出るって姑息な手法なのだが。これには前例があって、日本電信電話公社、日本国有鉄道は歴代の総理大臣によって「民営化」されてきた。
 スローガンである「民間で出来ることは民間で」ってのは、まさに切り離しの論理なのだ。正確には「民間で行うべき事は民間で」が正しいのだが、日本語の不正確さってのはスローガン作成にも現れていて、是非を論じるのでは無く、同等の機能が民間にあるもすべて民営化するって乱暴な話になっている。
 「小さな政府」とは公務員が少ない政府ってことでは無い。国が行うのは外交と防衛(経済政策も出来れば外したほうが良い)だけで、他の公共的正確をもった事業は地方に委ねるってことだ。国は何もしないとか言っているのでは無い。税金によって富の最還流経済を構成する現代社会においては、行政は政府と地方自治の両輪で構成される構造が国民のニーズに合致する。福祉や教育は全国一律であるよりは、地域特性重視で行われるのが望ましい。
 で、このような中央集権を否定するような政策は自民党で可能なのだろうか。

自民党を変えて新生自民党は作れるか
 どうみても小泉純一郎首相が自民党を出るほうが手っ取り早いのだが、小泉純一郎首相は新生自民党を目指して総選挙を戦うつもりらしい。郵政民営化が可決できる自民党が小泉純一郎首相が目指す新生自民党なのだが、では、先の「小さな政府」成就までのプロセスにおいて何回瀬戸際の法案可決が必要になるのか。郵政民営化法案だけ通せば自分の任期は終了するので後は野となれ山となれなのか。
 そもそも道州制に至っては暗礁に乗り上げるいぜんに無関心の黙殺により闇に葬るつもりらしい。言い出しっぺの責任なんかなんも感じていない。道州制法案を可決する段階で郵政民営化には賛成だが道州制には反対って勢力とどう渡り合うのか、また衆議院解散か、はたまた、自分は引退してるから無関心で押し通すつもりなのか。
 かりに新生自民党が選挙の結果誕生したとして、それは郵政民営化集団でしか無く、公約の「小さな政府」に向かう集団とは程遠いものだ。国家100年の大計とは逆の短期的目先の成果だけを追った小泉純一郎首相の行動が如実に現れてるのが今回の衆議院解散総選挙なのだ。
 で、この小泉純一郎首相の「小さな政府論」に一番近いのが民主党のマニフェストに書かれてる小さな政府論だ。奇妙な選挙だと思うのは変人で無いと仮定した小泉純一郎首相の選挙スローガンと民主党のマニフェストが妙に合致することだ。そして、どちらも反自民党的な発言と行動をとっている。
 自民党をブッツブすってのは現在の自民党を新生自民党に蘇らせることなのか、はたまた本当に破壊って意味なのか、どうも、このあたりも「変人」なので理解に苦しむところだ。

変人たる要因のゲスカン
 終始一貫していない小泉純一郎首相だが、それをサプライズとか変人とか理解不能のまま置いておいても良いのだが、なぜ、あんな発言を行い言動を繰り返すかを考えてみるとひとつの「薄ら寒い仮定」に落ち着いてしまう。
 歴史を紐解くと旧ドイツ帝国は1919年のワイマール憲法があるにも関わらず、選挙で、ここの選挙でってところが重要なのだが、選挙でヒットラーを選んでいる。そして、ヨーロッパ戦線での戦いにつながる。ま、同時期日本にも外務大臣を務めた松岡洋右って変人も居て、東京裁判でA級戦犯の判決を受けるが裁判中に死亡してる。この二人が会談して「ヒットラーのロシア不可侵」を情報として持ち帰った松岡洋右外務大臣のいっかげんさにはあきれるが、更に対米強硬論者でもあった。
 戦争に繋がるプロセスを調べてみると、カリスマ的変人が各国に存在する。そして小泉純一郎首相も....。
 てのが主題ではなくて、変人たる行動の根源を探るのが目的なのだが、これに大胆な仮定として「小泉純一郎首相健康不安説」を唱えておきたい。郵政公社化で時代の流れを作って、最終局面で郵政民営化って進むプロセスを無視して急激な改革に突っ走る理由を余命いくばくも無いからと勝手に下衆の勘ぐりしてみる。
 最近はマスコミから流れてこないが、先の小渕総理大臣の急死を受けて政府官邸には健康管理のための医療関係者が強化されている。実は小泉純一郎首相は大の医者嫌いでなかなか官邸で診察を受けない。軽い風邪でも「自分で解る」と医者に診察させない。こんな情報が総理のぶら下がり記者から紙面に流れた時期があった。
 風邪の診断に加えて血液検査を行うのは昨今の医療の常識だが、血液検査ってのはからだの状況のかなりの部分が解る。保険点数なんて姑息なことを考えなければ血液検査だけでも疾病のほとんどを把握することができる。
 どうも短期的成果にこだわる昨今の小泉流を見てると、裏に健康不安説は無いのかと思ってしまう。で、生きててナンボの人間の人生の中で死が近い人間に国政の代表権を渡しておいて良いものかと更に薄ら寒い感覚になってしまうのだが。

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2005.08.11 Mint