札幌市長選挙、再選挙

この件に関してはノーコメントにしたかった
 先に書いたように札幌市の市長程度では国政への影響力が無いだろうって僕の感覚があるので、あまり札幌市長選挙に関心を払っていなかった。ま、近い関係者が立候補してるってのもその理由だ。
 4月に行われた統一地方選挙の前半戦と言われているが北海道の札幌では4個の投票を一気に行ったのだ。なんせ投票所で右往左往したのが僕なのだ。で、札幌市の市長選挙なのだが、前に書いたように行政のトップたる政策が無い。正直言って「市長=政治家」と思っている節がある。だから、市民派って政党をバックに運動しても衣の下の鎧が選挙民に見えてしまう。
 札幌市長に当選したいってだけでは駄目だ。基本的に限られた範囲でいかに独自の自治体運営を実現するかが新しい組長の責任なのだ。そのために、市役所運営の方針を明確にすることが行政のトップとして訴える最大のテーマなのだ。にも係わらず政策を争う。
何度も言うように国政の議員選挙と地方自治組長選挙は目的が違うのだ。地方自治は地方の経営であり、国政での政策とは違った「経営方針」を明確にしなければならない。考えてみたら良い。株式会社の社長が株主総会で「アメリカのイラク武力行使に見られる世界の秩序が..」なんて言うかぁ。トップとして世界状勢に関心があるのは良いが、自らの組織の業績とは何も関係無いのだ。その事が解ると組長選挙は何が争点か見えてくると思う。

で、書いちゃったので書き続けるが
 札幌市長選挙再選挙って事態は中尾氏の善戦が醸し出したのだ。鳩山由紀夫氏の「はーとめーる」では「政党の支持を得て25%を得られない候補者は再立候補すべきでない」と語っているが、ま、今まで鳩山由紀夫氏を支持していたのだがガッカリした。何の説得力も無い、ただ「中尾を当選させてくれ」としか読めない。これが鳩山由紀夫の限界なんだろうなぁとメルマガを読んで思った。
 僕は再選挙は法定得票数を得られなかったメンバーのスクリーニングだと思っている。そのスクリーニングである全得票の10%を得られなかった候補者を除くと残り4名である。
4名の内訳は得票順に民主党、無党派、自民党、無党派の4氏である。自民党は候補者を替えて再挑戦するなんて噂が流れているが、基本的にこの4氏の戦いだろう。あまり生臭く書きたくないのだけれど、上位4氏を見ると民主党、自民党、無党派の3タイプに分類される。そして、再選挙は自民党と民主党の面子を賭けた組織動員選挙になるだろう。そこに無党派が存在できる余地は少ないと思う。「数の論理」で政党は過去60年のノウハウが有るのだ。
 最近googleの検索で個人名を決め打で検索されるので、これからは個人名を書かないで上記の上位4名を得票順に民主党(u)、無党派(n)、自民党(d)、無党派(a)として「解る人には解る」って方向で書いてみようと思う。ここで個人名が解ると理解が早いが、解らなくても僕の主張は理解できると思う。
 そこで僕は2大政党での戦いの札幌市長再選挙を歓迎しない。国政と同じ政策では地方自治体は持たないのだ。地方の自律のためには地方独自の組長が必要で、今の全知事の半分が官僚出身では戦前の内務省任命知事と変わらない中央集権制度でしかないのだ。だから、札幌市長が政党の力で選ばれては困るのだ。その意味で非常に生臭いのだが、札幌市長選挙を3勢力の戦いに集約したいと思っている。
それは民主党、自民党、無党派の3勢力である。

無党派の組織化
 無党派なのだから組織的動きはしない。これは大きな間違いである。無党派は新党派であるって認識が必要なのだ。西友(北海道西友しか知らないが)の「無印」はブランド否定のブランドなのだ。同じように無党派とは既存政党批判政党なのだ。
 小沢一郎のメールマガジンで小沢一郎は国政と地方政治は違うと断りながらも「政党政治を否定した無党派では政治は変わらない、議会制民主主義の根本は政党である。政党政治を批判する政党を作らなければ何も変わらない」と説いている。このあたりから小沢一郎が自民党の選挙参謀から自由党の党首へ「豹変」(これは小泉メルマガのネタだが)した経緯が解る。つまり、彼は議会制民主主義の元で改革を行う戦略として自由党を結成し、なおかつ、政権を狙う事を決して諦めていないのだ。
野党に甘んじる野党議員が多い中で、本当に政権党を目指すために妥協を許す度量が旧社会党には無かった、今の民主党にも無いだろう。イデオロギーは妥協を「偏向」と称する。組織運営では妥協を「調整」と称する。培った文化土壌が何かによって表意文字が違うのが日本の文化なのだから、行動のまえに文化土壌を振り返る必要がある。ただ、僕はこれすら変えることが出来ると思っている。それは、情報開示と徹底的な議論だ。イデオロギーは徹底的議論を否定してきた。教条主義は「Noと言うことを否定」してきた。だから、旧ソ連のようにドタンバの崩壊まで誰もブレーキを踏めないのだ。

無党派勝利のシナリオは一つしか無い
 で、話しは無党派の組織化の話し。札幌市長選挙は自民党(d)と民主党(u)の組織の存亡を賭けた与野党対決になるだろう。でも、どちらも先の選挙で有効得票の25%を得ていないのだ。だから戦術としてはスクリーニングされた有効得票10%未満の候補者の票の拾い上げだが、仮に共産党が独自候補を立てない(あまり考えにくいが)なら無党派(n)に流れるだろうが、他は「投票に行かない」って行動になるだろう。
自民党(d)は自民党が候補者を変えて立候補させ(d)が(t)に替わる可能性があるが、どちらにしても(d)か(t)が出てくるだろう。解りずらいのでこの候補者は(dort)としておこうか、だとしたら前述の(d)は(dm)の表記が正しいのだが、それは訂正しない。
 で、北海道の特色である「二大政党激突」のシナリオに消えてしまいそうなのが無党派(n)と無党派(a)なのだが、僕は西友の無印と同じく無党派の党派化を望んでいる。他の市町村や知事選挙で無党派が勝利したのは無党派候補の一本化と言う選挙の常識が偶然によって実現したからなのだ。つまり無党派は一人しか居なかったのだ。
今回の札幌市長選挙が再選挙になったのは複数無党派候補により組織票がブレタのだ。党派候補ですら無党派市民党を唱っていた。でも再選挙では組織票は一本化されるだろう。無党派が党派になる千載一遇のチャンスは無党派(n)と無党派(a)の大同団結なのだ。
僕は得票順位から無党派(n)が無党派(a)に「副市長制度の提案」を行うべきと思っている。お互い選挙で戦った者同士が解り合える部分は直接対話である。組織の思惑で動くのでは無くて、市民派を自認するのなら自ら動いてこそ市民派なのだ。江戸城開城を調整した勝海舟と西郷隆盛の会談のように新しい時代を予感させる両者の会談が欲しい。
無党派(a)はその提案を受け入れるだろう。無党派が党派になるって歴史的先鞭こそが無党派(a)の志しなのだから。
 「選挙は数の論理」とは自由党の小沢一郎が良く口にするが、それは正確には「選挙戦は数の論理」なのだ。選挙はあくまで「政策」であるが僕は「志(こころざし)」だと思っている。候補者の「志」が何処にあるかを有権者は見抜いている。だから、無党派、市民派は新たな党派にならなくては日本も地方も変わらない。
無党派だから勝手気ままにやって良いってことでは無いのだ、無党派をまとめるリーダこそが次世代を担うのだ。
 

札幌市長選挙が2大政党の票の狩場となるのなら、僕は投票に行かない!


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2003.04.12 Mint