国債発行残高、プライマリーバランス黒字には程遠い

来年度(2004)予算が提示されたが
 相変わらず30兆円余の国債を発行してつじつまを合わせている。税収が少ないのだから赤字国債を発行するのだが、小泉純一郎首相が就任してから3年。「構造改革無くして成長無し」と言いながら来年度も過去最大の赤字国債発行を行わなければならない現状を小泉純一郎首相はどのように感じているのか。
 「改革的な」ってスローガンのパフォーマンスを越えて実質的な改革はやれているのか。実態は「打つ手無し」の状況を一歩も出ていない。しかもこれは一般会計の話であって、特別会計の惨澹たる状況の報道はマスコミの使命なのに何処でも報道されない。
 また国債を発行して、いったい何時になったら行政はプライマリーバランスが取れるのだ。結局、掛け声だけで実態は借金の積み重ねの繰り返し、あと2年しか首相を務めないのだから、あとは野となれ山となれの姿勢なのか。無責任極まれりだ。
この予算を見せられたら国民は政界再編の必要性を感じるだろう。来年の参議院選挙に向けて、プライマリーバランス論議を野党は腰を据えて行って欲しい。今の「議院内閣制度」では政権を取ると言うことは行政を担うって事。立法府のコップの中で遊んでいては政権は取れないのだから。
ま、菅直人氏のことだから、自衛隊がイラクで死傷者を出したら「それみた事か」みたいに叫ぶのだろうが、そんなことで国民の支持は得られない。この国をどうするのかの大局的姿勢が無ければキャンキャン泣く野党でしか無いのだから。プライマリーバランスをプラスに転じる施策が無くては政権交代はおぼつかない。
 菅直人氏がキャンキャン言えば言う程、「野党的な」民主党でしか無い。政権再編成が推進されるためには、行政手腕へのビジョンの構築と開示が先立って必要だ。
※補足
 これを書いてから調べてみたのだが、10年でプライマリーバランスを黒字化する第一歩にはなっているようだ。2010年度前半にプライマリーバランスを黒字化するために、2004年度はGDP比で0.5%改善したとの政府発表が有った。それにしても10年もかかる。年末に補正予算を組めば、これも飛んでしまうのだが、ただ、2004年度予算について言えばプライマリーバランスについては「目標に向けて改善している」と評価するのが妥当なようだ。ただし、郵政財源の焦げ付きはこの範疇で数値化はされていない。あくまで、国の税収のプライマリーバランスだけだ。

義務的予算にも踏み込まなければ
 僕は戦後の日本の経済的繁栄は一途に「効率重視」であったと考えている。その効率重視は往々にしてコスト低減と勘違いされるが、僕の考える効率重視は余力を生み出す効率のことなのだ。競争により価格競争に勝つことが「効率重視」では無い。現状を効率化して余力を生み出し未来に備える力を生み出すってのが僕の言う「効率重視」だ。
 話は飛ぶが太平洋戦争の頃に「銀河」って戦闘爆撃機を設計主任として担当した山名正夫氏が「設計とはコンプロミス・デザインだ!」と言った。戦闘機の設計は妥協の産物であるってことだ。同じように「効率重視」とは最良の妥協を探ることで、なんでも無駄を切り捨てることでは無い。(山名正夫氏はその後、羽田沖の全日空B727の墜落事故調査委員も担当され、独自の意見が入れられず「最後の30秒」の学術的出版物も遺されている)
 で、一般会計だが律令国家の根底にある平安時代なら公家、江戸時代なら武士、そして明治時代からは官僚、の生活の糧を得る国家運営の制度が律令制度だ。もう少し詳しく言うと、国家運営には様々な事務処理が多い。そのための人を雇わなくてはならない。雇えば給金を払わなくてはならない。その財源が税金や年貢だ。
 江戸時代は百姓(僕は百姓って言葉を差別的に使っていない。百の技術を持つ人々と考えている)から年貢を得て政治経営を行ってきた。そのために商人からのワイロって別な力が生まれてきた。現在なら法人税なのだが、当時の律令制度では法人税は制度の外の「余録」だった。
 現代まで律令制度は江戸時代から主役の名称は変わっても本質は何も変わっていない。取る側と取られる側の構造を形成するために、常に取る側は努力して来た。残念ながら取られる側は取る側に支配され続けてきた。その江戸時代の支配階級の状況と現在の国民と政治と官僚の構造は何も変わっていないと思う。
 いわゆる役人に日本を支配させる構造は何故出来たのか。それは律令制度の宿命なのかと考えると、意外と日本って努力してこなかったなぁと思う。
 何度も繰り返すようで恐縮だが、議院内閣制って何処か民主主義制度(精神では無い仕組みの名称として使っている)にそぐわないと思う。律令のトップが立法から横滑りして行政の席に座っても国民の望む行政は作れないだろう。その最たるものが小泉純一郎は国会議員なのか総理大臣なのかって事に白黒付けられない現状だ。
 「政府与党」って考え方が官僚依存を生み出したのだ。政府は党では無い。単なる行政機関だ。それを野放図にして議員内閣制で首相を送り出した自民党はどこかでボタンを掛け違えたことに気が付かないと消滅する。今までの社会党有っての自民党を払拭する自民党存在意義論が出てきても良いのだけれど、山本(おさる)程度では自民党も社会党の50歩後ろを歩いているとしか言えない。
 党が行政を握ることは三権分立を示した憲法に違反する。議院内閣制は憲法違反なのだ。行政と一体な政党ってのは憲法違反なのだ。その意識が戦後60年問われてこなかったって時代背景と、このままでは終わらないって緊張感、この両者を自民党は感じるべきだろう。で、初めて小泉純一郎首相の言う「自民党も変わってきている」に繋がるのだろう。
 藤井道路公団総裁の事でドタバタする官僚のコントロールも出来ない内閣は行政を担えない。プライマリーバランス改善のために、義務的予算の公務員給与をバッサリ10%くらい切ってこそ政治なのだが、行政のトップは行政に操られて「効率重視」を具体的施策として実施出来てない。

役人天国に切り込めない立法府、行政府
 あまり具体的な例を挙げたくないのだが、役人はサラリーマンだ、「公僕」って美しい言葉で語っても良いのだけれど、基本的にサラリーマンだ。ま、国民の多くがサラリーマンになった昭和30年代からの事実なので特にそのことを問題視しない。
しかし、役人がサラリーマンであって良い時代って本来の律令制度すら否定してないかと僕は感じる。「公僕」って名詞はテレサテンじゃないが「海よりもまだ青く、空よりもまだ深く」てことだろう。それがサラリーマンの1ジャンルになったことを我々民間人は全然気にしていなかった。
 その間に理論武装を重ね(なんせ、暇だから余裕がある)、結局、役人天国を形成した。それは自民党が「議員内閣制」を運営する力が無かった政党故の官僚の漁夫の利だった。今、プライマリーバランスを問題視するのは、過去の政治が国民からの税金(律令制度)を越えて未来に向けての借金まで財源とした点である。今住んでいる現役世代は行政府を選ぶ権利を有する。故に、悪法に対向できる。しかし、赤字国債に代表される新たな財源としての借金は、未来の世代に負担が残る。未来を担う者達に政治を選ぶ権利も与えず納税を強いているのだ。プライマリーバランスの改善は長期的政策ではあるが、未来から借金をする世代間を越えた律令制度の先送り政策のつじつま合わせなのだ。
 個々人を糾弾するつもりは無いが、今の日本の制度では江戸時代の士農工商と同じで「支配する側、支配される側」の構造は何も変わっていない。一見江戸時代と違って「主権在民」に見えるが、それは仕組みは主権在民だが運用は士農工商だってことで何も変わっていない。
 僕の政界再編成の震源地は自民党政権が倒れる、それも自己崩壊ではないかと考える。対決姿勢よりも外部からの内部誘い出しによって自民党に居るより外のほうが活動できると考える若手議員が自民党を離脱する。その結果、自然過半数割れ状況が発生して自民党が内部崩壊する。
 過去、社会党が国鉄を失ったのと逆に、役人天国が自民党を失った場合どのように動くか興味深い。たぶん、年功序列的な人事制度が崩壊するだろう。

収税システムが江戸時代からの行政の目的
 昭和30年代の池田勇人総理大臣の「所得倍増計画」はとりもなおさず税収倍増計画だったのだ。そのために江戸時代の農民から昭和の時代のサラリーマンに的を絞り所得税や社会保険(税)をこの層から徴収してきたのだ。これは「年貢」なのだ。律令制度は常に「貢」層の存在によって成り立っている。
 で、江戸時代の事を勉強して欲しい。結局、取りたてる側の武士層は制度運営に多額の金銭を必要とし、年貢米を担保に商人から借金を重ね、先送り先送りで明治維新を迎える。今のプライマリーバランスがプラスにならない国の財政と似ていないだろうか。
 商人が台頭したのは行政の借金体質を巧く利用したのだ。利権で得られる利益の10%程度を負担すれば利権が得られる。それを行政が賄賂で認めた故に借金体質に陥っていた。本来、年貢以外に租税を設定すれば良かったのだが、商人がそれを許さなかったってのが江戸時代の経済のいったんだ。
 で、現在の自民党は行政も担当しているのだが、池田勇人総理大臣が作った「サラリーマンを昭和の百姓とせよ。年貢はこっから取れ」以上のアイデアは無い。それでやってこれた時代は過ぎているのにそこに固執している。
 百姓から取る、サラリーマンから取る以外に、「自ら稼ぐ」って行政にならなければプライマリーバランスはプラスに回復しない。江戸時代のシステムを繰り返し年金事業団がグリーントピアなんかで巨額の赤字を出す方式は「自ら稼ぐ」では無い。個々人が役人の看板を捨てて稼ぐのだ。例えば学校の先生を時給なんぼで希望者に貸し出す、役所の出張説明会も役所の人間を時給なんぼで貸し出す。そんな「自ら稼ぐ」制度がこれからの新しい律令制度にならなければ「ブラサガリ、親方日の丸」な行政しか作れないのだ。そこには国が借金で運営されてる当事者意識すら無くなる現状を「改革」する必要がある。
 お声のかからない何も出来ない役人はボランティアで国道のごみでも拾うべきだろう。同僚が仕事の都合をつけて時給1000円で働いているのだかから。

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2003.12.23 Mint