本当にプライマリーバランスが取れるのか

プライマリーバランスがナイマス
 毎年新規に国債30兆円を発行して、既に517兆円程積みあがっている。前にも書いたが財務省のホームページにその詳細が掲載されている。
ちなみに一般企業の借金に相当する借入金は58兆円で前年に比べて減っている。国債が「借金」の「借」の字を使わないのは、日本語独特のレトリック表現で本質を見えなくくしているのだ。
中曽根康弘総理が「大型間接税」はやらないと選挙で公約した。が「消費税」をやらないとは一言も言ってない、って抗弁したのと同じで、日本語は諸外国と比べて文化的に名詞が沢山有るので一つの物を沢山の固有名詞で現すあいまいさが有るのだ。
例えば寿司であるが、日本では「カッパ巻」、「鉄火巻」、だが英語では前者は「キューカンバー アンド ライス ラップド ウイズ ノリ」、後者は「ブルーテールフィッシュ アンド ライス ラップド ウイズ ノリ」である。固有名詞では無くて属性から命名されるのだ。
「きのこ」も「しめじ」「椎茸」「舞茸」なんて言わない、全部「マッシュルーム」だ。
 ま、話が逸れたが、プライマリーバランスってのは難しく言うと「国債関係費を除いた財政の基本収支」と言える。分かりやすく言うと、今まで発行した国債の利息払いは除いて、収入と支出の差がどの程度あるかって指標だ。
 国の場合は税収が基本的収入なので、もっと分かりやすく言うと税の収入と行政の支出の差がどれほどかって事。これを分かりやすく「家計簿」にして説明しているマスコミも多いが、これはレトリックのやりすぎ。例えが分かりやすくするが本質を見失しなう好例だろう。
要は「どんなに期間が掛かっても、本質的に借金が返せる状況にあるかどうか」がプライマリーバランスだ。どんなに借金が有ってもプライマリーバランスがプラスなら、何時かは解らないが借金を返して行ける財政状況に有るってことだ。今の日本はプライマリーバランスがマイナスなので何時までも借金を積み上げていく財政状況に有る。ただ、借りれるってことで国の倒産騒ぎが起きていないだけなのだ。実態は、毎年支出の40%も借金して行政が成り立っているのだ。

律令制度の根源は官僚の台頭を招く
 前に「律令制度」とは何かで書いたが、国が成立する条件として「国土、国民、憲法」がある。その意味で世界各国で起こっている民族運動は心情的には解るが制度として「国」の体をなしていない場合が多い。
 国を興すってのは難しくてアメリカがイラクで苦戦しているのも旧イラクって国をぶっ壊したのに新イラクを国家として形成出来ないジレンマなのだ。
 上記の条件を明示するのは国家は税金を徴収するって裏付けを明文化する文化的な側面も含まれる。つまり、西暦800年当時から世界は律令制度による国家の運営を規定してきた。当時のアジアでも日本が「日本国」になるには律令制度に立脚した「国家」である証明が必要で、そのための「日本書紀」だったのだ。
 話がガンガン逸れるが(笑い)、律令制度ってのはインカムを確保する理論武装だったのだが、それが憲法に国民の義務みたいに「押し付けられる」まで成長した。つまり国家と言うか官僚はその存在を憲法(昔は日本書紀)にまで溯って存在を保証されてる国家を日本国民は見とめているってのが現状だ。これから1000年後でも歴史観では大化の改新も昭和も平成も同じなのだ。自分が今生きているからとの言い分も分かるが、所詮歴史の中で「律令国家」の時代(1000年くらい続いているが)に我々は生きている。
 で、我々が払う税金だが、これって国民の義務と憲法に書かれてるから払っているって戦後の時代は過ぎたのではないかと思う。行政による税金集めシステムが完成したのだ、もちろん将来に向けての課題は多い。例えば年金や医療問題だろう。だけど、官僚の給料は未来永劫「律令国家」であるが故に保証されてるのだ。ここにメスを入れる「律令国家」の矛盾を指摘する意見は少ない。
 そもそも律令国家の運営ルールで「入りをはかって出を決める」つまり。租税収入に見合った支出を基本に行政を運営する暗黙の了解が、これまた律令国家の運営方法として必要なポリシーであったのだ。
 プライマリーバランスなんかを議論する以前に、議論の土俵に乗せる必要の無い行政手腕が必要であった。しかし、議院内閣制で首相を国会議員から選出する制度の中で、立法府が法をねじ曲げ、行政府をして税金のバラマキ、足りなければ借金してのバラマキを行った結果、プライマリーバランスの用語が土俵にのる結果となった。

律令国家の、経営責任は行政にあるのだ
 国の経営を民間企業のように収益で見るってのは僕は若干の違和感を覚える。その意味で道路公団の民営化に向けての動きは藤井総裁がどうこうの問題以前に方向として正しいと思う。つまり、小泉首相が言っている事は「民間で出来ることは民間に、民間で出来ないことは政府で」ってことだが、後者の説明が出来てないのだ。
 料金を徴収する道路は民間でやれば良いのだ、料金を徴収しない道路は国がやればよいのだ。つまり地域特性を配慮すれば「儲かる可能性があれば民間で、民間が手を出さないが利便性が向上するなら国が」って住みわけをすべきなのだ。日本って狭いけど「一律」って考え方は何処かに矛盾を発生するのだ。「均衡ある国土の発展」のためには効率重視の民間事業者と国民本位の行政とのバランスが必要なのだ。
 国が何でも国営で行い、税金を投入する時代では無い。国は民間が出来ない事を行い、それが民間が可能になったときに移行すべきだ。国鉄の民営化も電電公社の民営化も国が税金で行う事業である必要が無くなった時代背景を踏まえての民営化なのだ。それによって税金を使う事業が納税する事業に変身するのだ。
 だから、税金を先行投資的に使う事業は賛成だが、何時までも税金で賄う必要は無い。なぜなら、先行投資が無駄かどうかの試金石なのだ。道路は国が税金を使って整備する時代を経て、民間が有料道路として行う時代に移行すべきなのだ。
 ただ、この税金を使っての事業興しの結果の正否は行政府に責任がある。今の議員内閣制度では自民党にその責任がある。で、先の話に戻るが、税収が50兆円しか無いのに30兆円の国債を発行して日本株式会社を運営する行政の責任者は何を考えているのか解らない。毎年積み重なる国債を何時返済する予定なのだろうか。
 プライマリーバランスのプラスを達成する、とは借金の返済をのぞいて、収入と支出の比が黒字。つまり、収入の内部保留が発生する財政支出の目安なのだ。これにより借金返済が何年かかろうと可能になる。今の財政は借金を毎年30兆円積み重ねるだけの財政政策なのだ。消費税を上げてプライマリーバランスをプラスにする。これは旧態然とした「自民党的な」発想でしか無い。本来、行政はどう有るべきかを立法府が語らないで、最大数を頼んで行政を牛耳る。この体制を打破しないとプライマリーバランスなんかプラスに転じないのだ。インカムが増えたらますますジャブジャブと使う体質を改善しなければ未来は見えてこない。
 選挙が終わって今、自民党を含めた与党は国民に行政責任を負わなければならないのだ。行政経費、国の財政の責任を負えないのなら政権交代なのだ。国を経営出来ない経営者が何時まで議員内閣制の下、行政のトップの座に甘んじて座っていられるのか、自民党は経営責任を責められて当然だろう。

国会を選ぶか行政を選ぶか
 今の議院内閣制に潜む矛盾の最たるものが立法と行政の癒着である。
 プライマリーバランスを最大課題と受け止める経営者を生むには総裁公選制しか無い。マスコミは選挙の後で「二大政党制の時代」なんて言っているが、これは見当違いなのだ。正しくは「政界再編成夜明け前」と言うべきなのだ。
 直接、行政の長を国民が選べてこそ少数政党も生き残れるのだ。少数の意見を国政(立法府だけでは無く、行政府も含めて)に反映するには行政府のトップは大統領だか総理大臣だか名称は別にして、国民が直接選べる制度を作らなければ駄目だ。で、任期は2年。国民の判断を繰り返し行える制度にすべきだ。そこではじめてプライマリーバランスがマイナスの施策なんか打てなくなるだろう。
 国会は国家100年の大計を語れば良い、行政は短期的な成果が求められる。10年も毎年30億円も借金を積み重ねてる状況に国民は何も言えないのは構造的に欠陥がある。日本を経営出来ない人間を訳の解らない事由で選ぶ今の議院内閣制を変えなくては税金を浪費する公務員国家になってしまうのだ。プライマリバランスの回復は長期的な日本国家の命題である。これを政治と利権の構造の中に埋めて置いては何時までもプライマリーバランスはプラスに変わらない。

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2003.11.15 Mint