責任論を封印する自民党な人々

選挙の結果を黙殺する「責任論封印」
 自民党も力を失いつつあるなと感じるのは、今回の参議院選挙結果への責任論が何処からも出ないこと。首相退陣を迫る程の大敗では無いが参議院幹事長の青木氏は留任続投、安倍幹事長も留任続投。まるで選挙が無かったかのような無風状態。これでは政権政党の体をなしていないだろう。コップの中の嵐で納めてしまっては国民の意思を反映した政党とは言えない。今までの自民党はコップの外の嵐をコップの中にまで取り込んだから強力な与党だったのだだが。
 国民の声を受けてどうするか、これは政権政党が国民の側を見ているかどうかの試金石だ。今の状況は秋の内閣改造に向けて餌をねだる烏合の衆で、組織を律する姿勢が感じられない。国民から見たら自民党の代議士はどっち目線なんやぁ」と愛想尽かしたくなる。常に骨抜きの民営化を進める小泉純一郎首相の手法は国民に見透かされてる。そもそも、未熟な小泉純一郎首相を担いだ自民党が、その補佐をする訳でもなく、抵抗勢力と呼ばれても激怒もせず(本来、自分たちの代表に、抵抗勢力と言われたら、殴ったろかぁ、くらいの気概を持たなくては駄目なのだが)しかも、目の前にポストをちらつかされると尻尾を振る。こんな自民党は内部から崩壊がはじまっている。

選挙は敗北、落城直前とも言える
 圧倒的な負け戦ってのは将来に向けて撤退しか無く、政権維持はもう無理って諦観を呼び起こすものだ。その意味で、現在の自民党の責任論封印は、終戦(敗戦)が決定的になった時の最後の利権(軍需物資の放出)に群がるような様相を呈している。既に本丸を攻められ落城必須の時に、倉庫をかき回して何かを得ようともがいているようだ。
 9月の内閣改造にどのようなメリハリを付けるのか、目玉は外務大臣と財務大臣に絞られるだろう。このポストに誰を着けるか、それが今後の与党の方向を目に見えるかたちで国民に示すことになる。また、厚生労働大臣はどうするつもりだろう。年金改悪の責任を取って更迭するのか、はたまた公明党の順送りのポストにしてしまうのか。ウルトラCで野党からの抜擢も変人の小泉純一郎首相にはあるかもしれない。
 ただ、これもなにも全て落城前のトピックスでしか無い。今後は民主党の自滅を願うしか政権維持は難しい状況にある。説明責任不足がこれほど国民の不信感になるのは、戦後教育の浸透が進んだ結果だろう。戦後教育世代がやっと70歳になる今の今まで時間が掛かるのも教育の欠陥だが、「情報は民主主義の糧である」と言ったアメリカ第3代大統領ジェファーソンの言葉の意味が日本でも体質として浸透してきた証左でもある。
 太平洋戦争中の大本営発表と同じく、年金法改正でも小泉内閣は「大本営発表」しか行わなかった。自身の年金問題でも「人生いろいろ」と煙に巻く答弁で逃げようとして国民を馬鹿にした態度に終始した。これでは「殿、、ご落城です」と寝耳に水でも当然だろう。天守閣から遠くばかり見ている間に敵は本丸を落としに掛かっている。

選挙敗北の最大の戦犯はだれか
 本質を突いているのかユーモアなのか、ヒットラーの最大の失敗は何かとの問いに「そのチョビ髭は似合わないから剃れと言う部下が居なかった」というのが有る。せめて回りに意見する体質があればヒットラーはあそこまで悲惨な結末に追い込まれなかっただろうって意味だ。
 選挙敗北の最大の戦犯は、小泉純一郎首相に意見する者が居なかった自民党の体質と言えよう。「人生いろいろなんて言ってはいかん。真摯に間違いを認めろ」とか「年金法案は強行採決までするな。継続審議にしろ」とか諫言出来る人物が言わなかった体質の問題だろう。実名をあげれば森前首相だが。
 森派ってのは何処か自民党与党の本流では無く亜流の道を歩んできたので、視野が狭い面がある。先の森首相の「選挙に行かずに寝ててくれれば良い」とか「日本は神の国」、「えひめ丸事件の時にゴルフ」とか大局観があれば些細なミスを犯さないものだが、大局観が無いが故に、その場その場を繕う体質が失言を生んでいた。
 戦犯が責任を取る訳で無いのが組織の妙なのだが、少なくとも橋本派あたりから反小泉の狼煙が上がらないと自民党は健全な集団と呼べないだろう。もっとも1億円事件に連座して橋本派も同席した青木参議院幹事長も、はたまた坂口厚生労働大臣も自分のことで精一杯って面もいなめないが。
 結局、自分の身の回りに火の粉が飛んでいてとても天下国家を、そして自民党全体を語る余裕が無くなっている。その個々の構成員が最大の戦犯かもしれない。

玉音放送を誰が吹き込むか
 このあたり歴史観の問題だが、広島、長崎に原爆が落とされて、その破壊力の凄まじさを聞き及んだ昭和天皇は、自身の生命の危機もさることながら1発の爆弾によって帝都と言えど戦場になった現実を理解したのだろう。戦争の終結を宣言するのは自分しか居ない。この時点で「時局を収拾し、和平を開かんと欲する」に至ったのだろう。
 で、戦国時代では無いのだから、岡田代表が乗り込んで小泉純一郎首相の首を取る訳にもいかないだろう。自民党政権終焉の玉音放送は小泉純一郎首相の衆議院解散によってもたらされる。この決断を変人として行うのか、天下国家に立脚して行うのか別にして、玉音放送を吹き込むことは小泉純一郎首相にしか出来ない。
 小泉純一郎首相が衆議院の解散に触れた時、まさに、最後の伝家の宝刀に手が掛かった時だ。それが遠い先では無いと僕は思う。

button 参議院49議席は秋の日のつるべ落とし

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2004.07.26 Mint