映画「ホタル」はブレークする
概要しか伝わってこないが
「日本映画」ってなんだろうか。そもそも、日本独自の映画の「作風」ってのが有るのだろうか。いろいと議論のある所だと思う。
国際的に評価される「日本映画」と我々が感じる「日本的映画」の間のギャップは相当なものがある。ビートタケシの映画は、実は我々の「日本的映画」のジャンルでは、まったく評価外である。黒沢明監督の作品も多くは我々「日本的映画」のジャンルでは「ダメ、ダメ」が多い。
おどろおどろしく「映画」なんてジャンルをぶちあげたが、これは大相撲と同じ「興業」って分類がふさわしい。旅芸人のドサまわりとなんら違いは無いのだから。その中で、映画を1ジャンルでは無く、「映画しか無い」って正面から取り組んでいるのが降旗監督を中心にした東宝グループであろう。そのグループが5月26日封切りで「ホタル」を仕掛けてきた。
このメンバーでの作品は映画「ぽっぽや」である。正直言ってこれくらい駄作な映画は日本映画史に前例を見ない。これに匹敵する映画と言えば、大変失礼だが、山口百恵と三浦友和の「潮騒」だろう。このヒドサを越えていると思う。
この政策メンバーが撮った新しい作品が「ホタル」である。
何処まで前回の駄作を挽回できているのか、とても注目されるところである。しかも時代を太平洋戦争中に設定し、在日韓国人兵士による特攻と重たいテーマを扱いながら、これまたある意味で重たい高倉腱を使って、どこまで完成度の高い映画に仕上がるのか。
映画「ぽっぽや」が駄作の理由
広末涼子が悪い(笑い)。素人演技である。それをよしとした降旗監督以下のスタッフの甘さも指摘しておこう。で、僕は広末の「爬虫類顔」が好きでは無い。だから、せめて前向きに積極的に演技するなら許せるが、それをせずに映画全体をぶちこわした責任は大きい。そのような責任を負えない広末をあえて選んだスタッフにも問題が有ると思う。
最大のミスは、「高倉健が父親なら、あんな子供にはならない」って事だろう。広末は未熟過ぎて、キャラクターの形成が出来ていない。しかも演技に努力していない。そもそも過去日本映画での「高倉健」とは何かを知らないで加わっている。そんな安易な姿勢が映画フアンには解ってしまう。で、NHKの朝ドラのように豪華なわき役をそろえても、本人に能力と言うか、真摯な態度が無いのだから全然盛り上がらない。NHKの朝ドラの場合、新人のヒロインを補佐する役割にはベテランは俳優を配置する。その精神に応えてないのだから救いようがないのが広末なのだ。
次に戦犯(笑い)なのが、小林稔樹(字が違うかな?)である。役者としてキャラクターが出来ていない。本来、「さんまとしのぶ」の「いこかもどろか」の作品で演じた「悪役刑事」がはまり役なのだ、デカ役なのだ。その意味でテレビドラマの「七人の刑事」でデカ長を演じていた芦田しんすけが、ドラマ終了後様々な役に挑戦しながら大成しなかったのと似ている。役者は本来持つキャラクターを演じるべきである。営業的に変身してはいけない。時代が自分を求めないのなら自分を求める時代を待つべきである。幸い喰って行くにはテレビって「電気紙芝居」の世界が有るのだから。
普段は優しいお父さんなのだが、演技の世界では(「銀幕」と古い表現をしようかな)では悪役ってのが出来ないのかなぁ。実は「高倉健」ってのはそれを演じた人間なのだ。だから「幸せの黄色いハンカチ」が賞賛されるのだ。それまで、「網走番外地」の渡世人が助演の役者のおかげてシャバに戻ってきたのだ。その意味で、「幸せの黄色いハンカチ」での桃井かおり、武田哲也の功績は高い。が、やはり、高倉健本人の映画に掛ける姿勢がこの作品を歴史に刻んだと思う。
で、何故「駄作」の」ぽっぽや」が撮られたか。それは、このままでは映画が遺跡になってしまうって意識が各自にあったからだろう。もう一度集まって映画つくろうよって精神で「再結成」って位置づけが「ぽっぽや」だろう。そこには、監督降旗、カメラ木村、主演高倉って、言ってみれば昭和30年代の化石的スタッフがあたってるのだから。
で、日本映画史上最悪の映画「ぽっぽや」が出来た。僕は本当に最悪だと思う。それは、先に書いた広末問題だけでは無い。全体が「映画、映画」してないのだ。その責任はスタッフ全体が負わなければならない。で、起死回生の「ホタル」につながるのだ。
慣らし運転は終わった。
「ぽっぽや」の時期(1999年)は同時にNHKの朝の連続ドラマとの連携が巧くできていたと思う。でも作品として最悪の「ぽっぽや」の同じスタッフが再度挑戦したのが「ホタル」。
今度は期待できるだろう。
僕が一番危惧したのは「ぽっぽや」が高倉健の最後の映画になってしまわないかって事。それではあまりのも酷い。そのために、是非ともリベンジしてもらいたい。ただ、朝日新聞社が後援する映画もまた「高倉健最後の映画」になってしまっては困るのだけれど。
少なくとも、ひさしぶりに映画を撮ったスタッフが「ぽっぽや」で慣らし運転を終えて、本当の映画ってこんなもんだぞ、と訴えるものになっているだろう。その意味でこれは歴史に残る映画になると期待する。