映画、ホタルの見方

ひさしぶりの映画ネタ
 映画「ホタル」を見たい。が、一緒に行ってくれる人が居ない。昔なら一人で映画館に行くのも苦にならないのだけれど、今の映画館は平日の最終上映ともなると20組(この「組」がくせもの)くらいしか客が居なくて、とてもじゃないが一人で割り込む隙間が無い。なまじ場壊しな役を引き受けなくてはならず、とてもじゃないが映画館に足が向かない。
 東京の上野だったと思うが、ゴジラの最新作を見たのだが、これが「チンピラ」との2本立て。どちらかと言うと石坂浩治がゴジラに踏まれるよりは「チンピラ」の「和製スティング」が気に入った。これを最初に見たのが先の上野だったのだが、札幌でも上映されていたのでフラフラと映画館に入ってしまった。
 今ではやらないのだけれど、映画館で何処かで煙草の煙が上がると、なんとなく煙草に火を付けてしまう。僕の感覚では映画館で煙草を吸うことは当然で、それによって消防法はいざしらず、スクリーンの映りが悪くなるのは映画館の責任って意識がある。これは、映画との付き合いが鑑賞姿勢を作ったと思う。子供の頃に小樽に育ったため、映画館と言えば東映、日活の直営館で漁師の娯楽であった故に、喫煙には誰も注意しなかった。逆に映画見ながら煙草が吸えるのが小樽の映画館の常識だった。
 札幌で就職して何年もたたないころ、間違って「幸せの黄色いハンカチ」を見てしまった。じつは友人から「マッドマックスはすごいでぇ」と言われて札幌駅の地下の映画館に行ったら、昨日までで、今日から「幸せの黄色いハンカチ」だったってのは前にも書いた記憶がある。
 この頃から、平日の夜は客が少ない映画館って雰囲気があった。「宇宙船ヤマト」の映画版を身に行った時だと思うが、映画を見ている時に煙草を吸っていたら、5列程後ろのアベックが「あんた、煙草を注意しなさいよ」、「いいじゃないか、関係無いだろう」、「あんたって何時もそうね」みたいに揉め始めた。ま、悪い事なのですぐに消したが、かのアベックは映画を無視して言い争いが始まってしまった。
 ま、こんな理由で植村直巳さんのような「マッキンリー単独行」が僕は映画館では出来なくなってしまったのですよ。ちなみに今は映画館で勝手に煙草を吸うなんてことはしてません。
 にも係わらず、最終上映を待つ間にケンタッキーフライドチキンの臭いプンプンで喰いながら映画待つ馬鹿を放置している現状に怒りを憶えて更に映画館から足が遠のく。
 一緒に入ってくれる人募集中です。

知覧はたかだか「陸軍」の特攻基地でしか無い
 太平洋戦争と言うか第二次世界大戦と言うか大東亞戦争と言うか、ま、このあたりを描いた映画は数しれない。僕が見た中では映画では黒沢の「トラトラトラ」が筆頭に上げられる。映画館では見ていないのだが五味川純平の「戦争と人間」は原作に忠実で奥が深いと思う。この映画のロケが小樽市で行われて、出征のシーンだったと思うが、小学校2年生の頃に母と見学に行った。撮影の途中で電力が不足になり停電になったのを鮮明に憶えている。
そもそも僕の映画好きは母の影響かもしれない。小学校にあがる前に佐多啓二の「喜びも悲しみも幾年月」を見にいった。当時は小樽の緑町に住んでいたのだが、映画館は満員で小学生の僕には立ち席ではスクリーンも見えない。ここで母は「ほとんど見えなかったので、夕方もう一度見に来てもいいか」と映画館の職員に交渉を始めた。「おやまぁ」と驚いていると「いいですよ」ってことで、半券に判子をもらって、再度見たのだった。
同じ様な経験が「少年ジェット」を見ている時に父が家族で寿司を食べに行くので迎えに来た。その時、「全部見ないのだから、200円にして」とか交渉していた時もある。考えてみると僕がいちばん映画を見たのは予備校の学割を使って150円で札幌の狸小路2丁目でマカロニ・ウエスタン3本立てを見たころだろうか、最初に自分で料金を払って見たのは小樽の洋画専門の花園劇場での「グランプリ」だったかなぁ。その頃は高校1年生だったと思う。親戚の法事の前に「映画見てからいく」ってのがわが家ではOKだったのだ。
 考えてみるとわが家の母は映画「ジャイアンツ」を生で(生ってのは映画館でって意味)一人で(あの時代、主婦が一人で映画を見に行くってのはすごいことだと思うのだけれど)見に行った経験があって、映画の感想を映画館の前の公衆電話から長々と話すってことがあった。
 映画が文化だった時代ってことも言えるが、やはり、それを支えたのは情報への探求心であったのだろう。そんな「映画」の背景を考えると、降旗監督が「ポッポ屋」(あれはヒドイ映画だった)の次にクランクインした「ホタル」は起死回生の作品だと思う。
 がしかし、最近テレビを中心にしたマスコミの取扱いが気になる。当時日本は海軍と陸軍の双方の調整が難しくなっていた。海軍がやれば陸軍もやるって雰囲気で、面子が兵士の声明に優先していた時代だった。
 「特攻」も本来は「特殊攻撃」であり、選ばれた「特殊」なもので、戦況打開のための、やももえない「特殊攻撃」だったのだ。戦術としての「特殊攻撃」が方針としての「特別攻撃」に言葉が変化するのが日本的なのだが。特攻は「特別攻撃」では無い。「特殊攻撃」なのだ。少しでも戦争を理解し、戦法を理解する人ならば、あれは「特殊攻撃」なのだ。用兵として「外道」なのだから、特殊なのだ。だが、それを、特別に選定された兵士の行動として広めたのはマスコミ対策である。記事がセンセーショナルで売れるネタなものだから、こぞって紙面を飾った。その本質をジャーナリズムで問おた記者は居ない。

戦没者の人生から我々が学ぶ事
 「人生」って言葉をどのように受けとめるかって問題があると思う。仏教では「諸行無常」のスローガンがある。形ち有るもの何時か崩れ、命あるもの何時か絶えるって意味だ。中学校で教わる古文の原型でも平家物語の「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響き有り」ってことで記憶にある人も多いだろう。
 人間は何時か死ぬ、永遠の命なんかは無いのだ。その意味で生まれてから死ぬまでを「人生」と呼ぶ。だから、若くして戦地で亡くなった青年にも「人生」が有ったのだ。20歳で亡くなっても「人生」、80歳まで生きても「人生」なのだ。
 加えて、20歳までの人生が80歳まで生きた人生の1/4しか価値がないかと言えば、それは問題外の質問である。生まれて死ぬまでが「人生」なのだから、80歳まで生きようが、20歳で亡くなろうが、同じ「人生」なのだ。
 「若くして死ななければならないなんてカワイソウ」って発想は辞めてもらいたい。当時は青年の寿命が25歳だった時代なのだ。その時代を重く受けとめることが大切であって、「若き死」にことさら着目しては歴史を読むことができない。
 WHOの統計によると、平均寿命(余命)が24歳の民族が居る。この人達と比べて我々日本人の平均寿命は3倍以上である。がしかし、その人生が我々より3倍も凝縮された濃密な人生で無いのは理解できるだろう。日本では考えられない些細な疾病で一生を終えてしまうのだろう。
だが、それを「不幸」だとか「カワイソウ」だとか言う前に、そのような人生を歩む宿命と自分の環境を対比して考えてもらいたい。
 人生が25歳の時代に生きた人々の記録を読みとってほしい。自分だってその時代に生きたのかもしれないのだ。生きた長さでは無い、生きた中身なのだと思わせるのは書き残した遺書の文面である。今の時代にそれほどの文章を表す青年に出会わない。60歳くらいの高齢者のような蘊畜有る文章だ。これって、我々の感覚の人生80年を20年で駆け抜けた人故ではないだろうか。
 高齢化社会で、成人式を向かえる若者の常識の無さが昨今指摘される。僕は織田信長の「人生50年」を元に考えると、30年伸びたことにより、昔の元服年齢も伸びたためかと思っていた。実際、僕が「大人の女性」を意識する、いわゆる女性の範疇は昨今、25〜30歳の年齢層になってきている。昔はもう少し若かったのだが。(あ、余談だが)
 諸行無常。生まれてから死に向かって走り始めている人生。がしかし、その長さの差はあっても、描かれる人生は割と誰でも同じなのかも知れない。

戦争を忌み嫌う時代から戦争を考える時代に
 ビスマルクの言葉だが「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」ってのがある。戦後の日教組を中心にした教育の現場では、「戦争は悪い事」ただひたすら念仏のように唱える反戦教育が主流であった。武力行使を問題解決の手段と考える思想は問題外だったのだ。それ故に「えせ民主主義」が横行する。学級委員、生徒会、なんてのは民主主義の勉強でもなんでも無い、リーダ不在の組織の陥る醜態って意味しか無い。そのようになったのは、教師が「為政者として生徒の「自主的な」組織に介入した」のが原因だ。これによって、自主を奪われた生徒は組織を見限った。
 同様に、国際政治の場では武力行使もシビリアンコントロールの元、行使されるカードであるって意識がいみきらわれた。これは、アメリカの日本への占領施策として行われたのなら見事と言うしかない。日本人は「武力無き外交」って、全然力の無い外交を戦後半世紀も続けてきたのだ。
 1930年代から日本が現在の韓国、北朝鮮、中国の土地で行ってきた武力行使は「侵略戦争」だったのか。僕はNoだ。そもそも「戦争」と呼ぶためには「宣戦布告」が必要だがこれが無い。だから戦争では無いとは言わない。戦争であった。が、「侵略戦争」では無い。あえて言えば「非民主的アジア解放のための武力行使」だろう。
 それが招いた功罪が「日本の戦後処理」であり、これは戦後100年は続くであろう。アジアはヨーロッパと違い、一度争うと修復に時間がかかる。スポーツって文化が無い民族故の違いであろう。
 小泉首相が靖国神社公式参拝するらしいが、その論理ははなはだ心情的なものだ、例えば社民党から「A級戦争犯罪人も奉られている」って意見に「それは、戦勝国が押した烙印」と応える勇気が無い(か、知恵が無い)のだが、説得力有る理論武装で公式参拝して欲しい、心情的なものだけではこれからの「改革」は出来ないのだ、特に理論武装が必要なのだ。
 もう少し我々は戦争を勉強したら良いと思う。それは残虐、悲惨さの勉強では無く、高所に立った歴史観の勉強である。参考書に田原総一郎氏の「日本の戦争」をあげておく。内容は読み辛いが、入門編として参考になると思う。

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2001.07.21 Mint