「難波金融伝」はおもしろい
金の話しは大阪が舞台のほうがおもしろい
人間が金に振り回される様を「しゃぁない奴やなぁ」と斜めに見てるのが大阪の文化。これは東京の文化と決定的に違う。「世の中、すべて銭ずらぁ」と言う銭ゲバも大阪でこそ笑えるが東京の文化では「悲惨な奴」となる。しかし、実態は東京のほうが金にエゲツナイのだ。
東京人と大阪人と名古屋人がタクシーに乗った話しがある。目的地に到着して大阪人は「ワリカンにしましょ」、東京人は「いやいや私が払いますから」、「そりゃイカンわ、ワリカンでいきましょう」。その会話を名古屋人は黙って見ていた。ってのが有る。このあたりは金への執着については逆な見方ができる。大阪人は小銭で貸し借り関係を作りたくない、東京人は小銭で海老で鯛を釣りたい、名古屋人は払わなくて良いのなら払わない。つまり、貸し借りの関係の意識は無い。
番組は「難波」を舞台に展開する。それも裏金融の「萬田金融」が中心。ここには唯一のポリシー、いやフィロソフィーが有る「借りたら替えす」それだけ。金利は「十一(といち)」十日で1割。それも複利計算。それでも金を借りに来る人々には背中に人生の歴史を背負っている。
基本は東京的な「悪がはびこるのは許せない」って鼠小僧的だが、視聴者には何が悪で何が膳かを自ら決める主人公の萬田に水戸黄門と同様の爽快感を得ているのだろう。
裏金融は狐と狸の化かし合い
結局誰が「最後のババのカードを引くか」が裏金融の仕組みなのだが、強敵は(笑い)自己破産。ドラマは弁護士がチェックしているようだが、最後の落としどころ「自己破産」は避けている。もちろん、トラマとして成り立たない故だが。
「借りたものは替えす」=「貸したものは取り戻す」がフィロソフィーなのだが、そこに大阪風の人情も振りかけられてる。これがこのドラマの救いだろう。金が金を生む金融は所詮世の中に巣喰う必要悪なのだ。それが解っていて、それでもこの商売を辞められない主人公の「何故裏金融にこだわるのか」の哲学が随所に出てくる。必要悪なのだから俺がやらなければ誰かがやる。ならば、俺がやって少しでもエグイ事は辞めよう。そんな姿勢だ。これすら、社会的に認められるものでは無い。あえて汚れ役を担う悲哀が演じられてる。
最後のババのカードを引くのは小悪人では無くて大悪人でなければならない。そんな痛快さもこのドラマにあるのだ。残念なのは先の番組専従弁護士の見解が前面に出るのだが。本当は「無理が通れば道理が引っ込む」みたいな所まで攻めると「男は辛いよ」とか「釣り馬鹿日誌」まで上り詰めるのだが、ここは、そこそこなのが良いのかもしれない。
金は儲けるものでは無くて、使うもの
「金は天下のまわりもの」ってのが江戸からの文化にあるが、実は大切なのは「まわる」ってことなのだ。先の大阪人と東京人、江戸時代の関西と関東の違いは「まわる」ことにある。大阪が経済の中心、東京(江戸)が武家の中心と言われるが、実は、東京こそが経済の中心だったのだ。
経済とは何か、それは貨幣の活発な流通である。大阪商人がせっせと財を蓄えているよりも、東京が「宵越しの金は持たない」ってほうが経済は活性化するのだ。一定期間に何回金が人の手を経たか、それが経済である。前に「子供銀行」の話しで述べたが、金が流通する様が経済なのだ。金が蓄積される(滞留する)と経済は停滞するのだ。
裏金融が貸さない、工場は倒産。で、工場に貸していた金融は不良債権化、富を失う。がしかし、工場が操業を続ければ従業員にも給料が払える、その給料で町の野菜屋から野菜を買う、野菜屋は新たな仕入を出来る。そんな流れが断ち切られるとの苦しくても継続するのではどちらが「経済」に貢献してるかは明らかだ。
「経済は富の集中では無い、富の流通なのだ」。こんな常識が実は忘れ去られている。亀井の馬鹿は「株価が高いのが経済活性化の指標」なんて言っている。小泉に至っては「株価に一喜一憂せず」なんだなぁ。金は流れてこそ金なんだよ。しょせん、紙っぺらなんだから、これが効力を持つのは流れてこそ、誰かが流通を止めてはそもそも貨幣の意味すら無くなるのだ。
何事にも「信念」、「志」が大切
結局「闇金融」の必要悪ってのは必要な人が居て供給する人が居るって自己責任社会にマッチしたシステムなんだろう。金はフローであるってのが最近の経済評論家の意見だが、そのとおりだ。明日手形が落ちなければ「といち」でしのぐしか無いのだ。そもそもフローまで考慮した企業なんて誰のための企業なのか。株主への利益還元なんて100年もまえの資本本位主義社会だろうが、その奴隷に会社はなっているから裏金融が必要悪になるのだ。
たぶん、これからの日本は「有限会社」が増えるだろう。上場して株価でストックオプションなんて事は「誰のための会社か?」ってことに答えてないのだ。
人間は強くなければならない。「萬田金融」は情報、人的ネットワークでその強さを補完している。例え逆境に挑んでも、人間は頑固一徹が人生には必要なのかもしれないって事だ。