学園ドラマの変わりもの

あいも変わらず金八先生と思っていたら
 連続ドラマは毎週見なくては面白みが半減なので最近は見なかったのだが、毎週火曜日、水曜日、木曜日と決まってみてしまう。きっかけは「3年B組金八先生」がまた始まるので見てみようかなと思った事だった。実は、火曜日「さよなら小津先生」(田村正和)、水曜日「レッツゴー永田町」(石橋貴明)、木曜日「三年B組金八先生」(武田鉄矢)を見比べてどれかに絞ろうと思っていたのだが、結局はまってしまった。特に火曜日に。
 水曜日の「レッツゴー永田町」は雷波少年、電波少年のT部長がディレクターで、もっと踏み外すかと思ったが、なんとか石橋の演技に支えられてる程度。学園ものはやはり「さよなら小津先生」に軍配が上がる。


「つかみ」の違いが出た
 単にシナリオの出来では無くて、第一回目の役者の意気込みがそのまま両ドラマの差となって出ているような気がする。この種のドラマは生徒役の演技がそのままドラマの出来につながる。良い例がNHKの長寿番組「中学生日記」だろう。テーマ設定もさることながらその週の主役である生徒の演技の出来がそのまま作品に反映される。地味なドラマだから各回の出来を計るスケールは無いが、出来が良いと次週も見てしまう。
 ETVの「いちご同盟」、「6番目の小夜子」なんかは出演者の生徒役が良く練られた感じがする。
 両学園ドラマも最初はざわついた教室の場面が有るのだが、金八先生のほうは「ただ、ガヤガヤとうるさい」感じ、小津先生では「まったく教室にならない反抗的雰囲気」が良く出ていた。金八先生は「恒例の顔見せ興業」からのスタート、小津先生は「どん底の挫折」。しかし、その後の展開は金八先生は「有りもしない危機管理」、小津先生は「誰でもが直面しそうな場面を自分で考えて結論を出す」。まるで違う方向に展開していく。

時代は何処に居るのか
 大学の学生に紹介したら圧倒的に「さよなら小津先生」支持派が多い。そこに今の時代が若者にどう見えてるか解るヒントが有る。「世代間断絶」これが今の若者が社会に抱いているイメージでは無いだろうか。必ずしも社会だけが悪いのでも無いし、若者だけが悪いのでも無い。
 ただ、問題のウエイトは若者側に重いと思う。まず、今の若者は「クレナイ症候群」が強すぎる。「僕たちの予兆サインに気が付いてクレナイ」、「解らないことを教えてクレナイ」、「自分たちのためにやってクレナイ」数え上げたらキリが無い。
 これらを専門に「子供たちのサインに気が付いてあげましょう」とかヒョーロンしてる「知識人」がテレビを賑わしているが、基本的に意思表示、コミュニケーション下手に育て上げてしまった結果なのだ。人間は社会性の動物である。社会の中で生きていくのに協調性ばかり訓練して来たのが今の教育だ。特に義務教育では訓練ばかりである。それも、教師が管理しやすい生徒を育む教育。そこを変えないでコミュニケーション不全に陥った生徒の救済措置ばかり考えていては根本的解決にならない。
 小学校からの英語教育を揶揄して朝日新聞に「小学生に英語、大学生に敬語」って川柳が出ていたが、若者に「話し方」(コミュニケーションの仕方)を教えなくてはと感じるのだろう。
 「お前は聞き上手に育って欲しい」と親に言われているとか言う子が居る。我を通すなとの意味で言ったのだろうが、子供は話し上手より聞き上手になるべきだと思ってしまう。
良く例に出すのだが「明石屋さんま」は「聞き上手か話し上手か」。同じ質問で「黒柳徹子」は「聞き上手か話し上手か」。実は両者が代表するように「話し上手」でなければ「聞き上手」にはなれないのだ。話し上手のより精錬されたものが聞き上手なのだ。この辺を解らずに「聞き上手になれ」とは認識不足もはなはだしい。
 で、横道に逸れたが、今の若者は本当に思うことを表明できない。表明できずにストレスが溜まり集団から落ちこぼれて行く。表明出来ないのだから誰にもおちこぼれた理由が解らない。この悪循環が今の若者を取り囲む社会の不幸なのだ。
 その解決には親身に表明を待つ方法もあるだろう。しかし、もっと簡単なのは小学校低学年で「意思表示」を身につけさせることだ。学校教育にディベイドを採用すべきだ。それが出来ないで金八先生のような「友達先生」を目指しては教育は崩壊する。
大分でパソコン通信の「コアラ」が始まった頃のキーワードは「はきはき、前向き、ネアカ」であった。これを教室に持ち込める先生は数えるほどしか居ない。

さよなら小津先生が分かるって教師は偽物
 フジテレビのホームページに「さよなら小津先生オフィシャルページ」がある。ここの掲示板に「バスケ部の顧問」を名乗る女性教師から「私の担当しているバスケ部は試合に負けてもひょうひょうとしている。何のためにバスケしてるか解るまでバスケを辞めろと言った」って書き込みがあって、まぁ、本当に現場の先生ってのは世間知らずが多いのだろうかとあきれてしまう。
 「スポーツする心を育む」のが学校教育の目的であり「勝つこと」はその一部でしか無い。勝つことは、どちらかと言えば顧問の先生の手柄だけで、生徒は「スポーツする心」が会得できるのが望ましい。本末転倒の意見が現役の教師から出るのだからこの国の教育は崩壊していると思う。
 また、同じく現役の高校教師から、「さよなら小津先生のような先生は回りにいっぱいいる」って書き込みがあった。これにはさすがに呆れてレス付けなかったが、あなたの感じる小津先生みたいってのは具体的に何を指しているのかと聞いてみたい。
 金融業界のような虚業において挫折し、立ち直れないでいる時に、自分の価値観が間違っていたんでは?(お前、幽霊みたいだと生徒や娘に言われ)と気づき、金で世の中を計るのでは無く、人を見ること、育てることで世の中を計りたいと思うような先生が「回りにいっぱい居る」訳が無い。居たとしたら、その学校は刑期を終えた犯罪者を積極的に教師に登用する特殊な学校だろう。
 少なくとも教師なのだから「さよなら小津先生のドラマのような生徒は回りにいっぱいいる。その生徒達を引っ張って行く力をドラマから教えられた」くらいの真摯な発言しよろなぁ。
 結局、社会勉強が足りないで教師になるから、こんな教師が出来て、フジテレビの掲示板におく目もなく書き込みするんだろうなぁ。ここに問題の根元があるような気がする。
「さよなら小津先生」を見のがした人はフジの事だからビデオ&DVDが出ると思われるので、それで見て欲しい。
 このドラマの教える所は「背を向けていては何も解決しない。前を向いて解決策を考えよう」ってことだ。今の若者には「背を向けている」場面が多すぎる。


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2001.12.06 Mint